《詩》When I Was…

 わたしが蝶だったとき
 花から花へとひらひら飛んだ
 片時も留まっていられない、飛べることがあまりに嬉しくて

 わたしが蜥蜴だったとき
 熱い岩肌に溶け合った
 抱かれるように
 稲妻のように、次の瞬間走り去る

 わたしがカナリアだったとき
 きっと声を枯らしただろう
 誰にもそうとは、悟ってもらえなかったとしても。
 鳴かずにはいられなかった

 わたしが烏だったとき
 この街はおれのものだと
 外灯の上から見下ろした

 わたしが大樹だったとき
 じぶんのつくる影と光を
 うっとりと、悠久、眺めていた

 わたしが炎だったとき
 あなたを温めたかったし、
 あなたを傷つけるものなんて、すべて焼き尽くしてしまいたい

 わたしが子どもだったとき
 たぶん、今と全然変わらない

 わたしが月だったとき
 わたしはあなたを見送った
 いつだって、送り出すことしかできないけれど

 わたしはわたしだったけれど
 たくさんのものと溶け合った
 そのどれもが今も
 わたしの身体の中で
 息づいている




 渦巻く生命。

 

 ここからヘールシュピールになるかもしれないし、歌になるかもしれないし、朗読するだけでも十分芸術的になりそうな代物ができた。

 わたしは昔スポンジ並みの吸収力だって霊媒師さんに言われたらしいんだけど、
 確かに(勝手にではあるけど)何かや誰かやどこかと溶け合ったり、何かや誰かやどこかの中に全身でダイブしてしまうぐらい、染め上がってしまうし溶け合ってしまうところがあるなと、最近やっぱり感じている。

 でも、それこそが、わたしが何かを学ぶときのやり方なんだなって思うから、
 染まりすぎないようにしなきゃ、入り込みすぎないようにしなきゃ、とかももう、あまり思わなくていいのかもなとも、わかってきた。

 全身染まって、全身飛び込んで深く潜って、全身溶け込んだ、その対象は、たとえそれから離れても、一度は染まったし潜ったし溶け合ったものだからさ、わたしの身体や細胞の一部として、いつまでも息づき続ける。
 だから、思う存分に飛び込んでしまえばいいんだって思う。
 ダンジョンや深海や深い昏い場所に潜って旅して、とっておきの宝物を持って帰ってくるみたいなそういう旅路、ただそれだけの話なのだ。
 安心して旅立てば良いのだと今は思える。
 どうせ心配しなくても、いずれちゃんと帰ってこられるから。
 ただ学びの営みが繰り返されているだけ。
 その積み重なりも蓄えもちゃんとある。

 そういうようなことを踏まえた詩だったりします。
 わたしは何かに「なる」ことで、その性質をじぶんの中に取り込む。
 でも多分わたしだけの特殊なことでは全然ないと思います。

 そういうのをミメーシスって言うんだと思うな。

 あとはあとは、そうして取り込んだもののるつぼである「わたし」って、とんでもねえなとも思いました。
 極彩色のカオス、宇宙そのもの、核融合炉。そんな感じがした。