無力感・宣伝・庭・決して動かない。

 自分の手元でものをちまちま作るのは、今も昔もずっと好き。

 それをやってる間は、何も考えなくて良いし、そうやって自分を忘れるぐらい夢中になれる、ものを作るって行為自体と一体化できることが至福。

 でもね、できたものを人に見せるってなると、急に怖くなることに気がついた。

自分が急に無力になったような、ようするに自信がなくなる。

なんだろ、閉まった扉の前で力なく膝をついて、扉の隙間から差してくる光をボーッと見て、扉の向こうに声をかけたいけどかけられない、みたいな感じになるの。

 作ることに関してどうだったかは分かんないけど、わたしは子どもの頃から、あんまり、わたしが泣いても喚いても、しんどい環境って別に変わらないし、そういう根本的な助け方は誰もしてくれない、っていう経験を積み重ねちゃったから、

「やっぱりわたしは無力なんだ」って、わたしの作ったものへの反応をそういう前提で穿って見てしまって勝手に落ち込む、を繰り返してる。

 自分の影響力のなさが、自分で嫌いで嫌いで仕方がないの。

 でもそんな自分を嫌えるのは、本当は自分は影響力があるはずなのに、ってわかってるからなんだけどね。

 わたしだけの、犯しがたい世界。

 だからもう誰にも見せずに抱えておきたい、と思うのに、ブログを書くのは、この形でしかわたしはわたしの思ったことをうまく言えないからで。

 でも、だから、歌とかをさ、どう歌ったらいいのかもなんか分かんなくて。

 わたしの美しい世界を見せてあげたいほど、わたしは外の世界のことがあんまり好きじゃないから。

 だからって溜め込んでたら溜め込んでたで気持ち悪くなるんだよ、友人にもよく言ってるけど、わたしにとってものを書いたり作ったりして出すのは自分の中のエネルギーや溜まった感情の「排泄」だから。

 んんんんーーーーー

 ちょっとシミュレーションしてみるね。

 おうちで歌を作りました、DAWとかギターで音を鳴らして、詩を書いて。

 そしてそれを「曲!(音源)」って形にします、これで作品完成。

 そしてそれをYouTubeとかに放り投げます、

 ……おしまい。

 これでおしまいがいい。

 告知とか宣伝とかめんどいし、見てください聴いてくださいなんてほんとはさほど思ってない。

 興味あるやつだけ来いや。

 本当はそれってダメなのかなって思ってたんだけど、わたしの中にわたしを広めたいって気持ちは別にないからいいや。

 その代わり近づいてきたら落とすけどね。

 一人になりたくて音楽やってんだよこっちは。

 お前もわたしの国には一人になりに来いよ。

 ということで宣伝も告知もやめます。

 知ってもらうための努力とかもういいや。どうにかなるだろう。

 わたしが努力しなきゃわたしにも辿り着けねえやつはそもそも要らんわ。

「食えるのか病」でさ、知名度上げなきゃとか人気取らなきゃとか思ってたけど、いやそんなのも別にわたしが頑張ることじゃないよね。わたしのことが好きな人が頑張ってくれ。

 わたしは幾多の障害を乗り越えてわたしのところに会いに来てくれる人としか会わん。黒い森を越えてうちの城壁まで辿り着いてみろや。

 それだけの勇気を示してくれたら、わたしも多少は面白いって思えるかもしれん。

 うん、そんなファンが集まる方が絶対わたしにとって面白い。

 全然分かりやすくもない、宣伝頑張ってるわけでもない、ただわたしが生きて生まれたものを垂れ流してるだけで、わたしの庭国に人が集まってくる。もしそうなったら、「え〜〜〜なんでこうなったの!?」って、面白いに決まってる。

 そしたらやっと、自分から会いに来てくれる人たちがなんかこんなにいっぱいいるこの世界のこと、少しは見直すかも。

 世界はさ、わたしに何にもしてくれなかったよ。

 だからわたしは、わたしに色々してあげようと頑張った。

 わたしがわたしのままで生きていけるところに行こう、って小さなわたしの手を引いて、二人きりで歩いてきた。

 でも、大人のわたしも、頑張りすぎて疲れちゃった。

 それが今。

 だから最近思うんだよね。

 もうわたしが頑張るのはおしまいで、

 世界に頑張ってもらう番なんじゃないかって。

 女性の自立がエンパワメントとして叫ばれる世の中で、もちろんそれが希望になる人もいるだろうけどさ、

 今のわたしには、止まってもいい、自立しなくてもいい、っていう言葉が必要だから、それこそわたしがわたしにその言葉をあげるね。

 お前らがわたしのところに来いや。

 わたしは絶対に動かない。

 

 

続まっくろ3 頼れない女もそれはそれでしんどいでしょ

シンデレラ症候群という本があるのは知ってて

でもダメージ受けそうだから未だに読めてないんだけど

ダメージ受けそうな理由も、読めてないのに感じるモヤモヤも

どうして助けてほしいって思っちゃいけないのかなということに尽きる

わたしは私立中高一貫女子校育ちで

その中でもバリバリの進学校で

めちゃくちゃ生徒に勉強させる学校で

女の子だからって何かができなくていいみたいに言われることはないけど

でもそのかわり、強い女性になるしかなくて

生理が重いとか、ホルモンの波で体調が不安定とか、体力がないとか、

そういう女性の身体的なしんどさ、素朴なしんどさすらどう付き合っていったらいいのか教えてもらえなくて

勉強も部活もなんでも頑張れって言われて

人に頼ることは教えてもらえなかった

その癖都合のいい時だけ急に女子教育とか女性としてとか言う

先生はいい人が多かったし、授業は面白いことが多かったけど

そこだけはすごくどうかと思う

そんな女性活躍みたいなこと言いながらお弁当制で各家庭の(主に)お母さんに負担かけてたのも盛大な矛盾だし

で、どうして男の人に助けてほしいって思っちゃいけないのですか。

そりゃさ、自分でできることも増やしておいたら世界は広がるし、生きる術が増えるってことでもあるから全然そっちが悪いわけではないよ。

ただ、何……何でお世話してもらいたいって思っちゃいけないんだろ。

そんなに強くなれないよ……

まあでも、シンデレラ症候群の内容、大学の授業で少し触れられてたのを思い出すと確か

「母と父から色んな意味で自立できないまま、『安全なので』結婚→主婦となる女性が増えている」みたいな内容だったような……ほんとうに今雑記みたいに書いているので違ったらごめんなさい、鵜呑みにしないでね

で、もし↑の記憶があってたとしたら、たしかに両親から自立できないのは、そしてそこに過保護過干渉があるなら、その2つは確かに問題かなあとは思う

でもーーー助けてほしいとかお世話してほしいむりって思うこと全般をダメって言うのは違うしその本の作者さんもそういうことを多分言いたかったわけではないだろう

マジで憶測で書いちゃってるけどそうであってほしいな

まとまんなくなったけどーーー

あんまりにもお姫様願望を抑圧するのもよくないと思う……

少なくともわたしは嫌だしむり

動けないもん

はー疲れた……

まっくろ3

おうじさまはやくこないかなあ。

何で来ねえんだよ!!!!!

何処ほっつき歩いてんだよ!!!!!

そんな王子いらねえんだよ!!!!!

無能だなドイツもコイツも!!!!!!

おうじさま

たすけて

ころされたかった話。

※タイトルから予想される通り、死に関する内容があります。
メンタルが不調の方、そういった内容に恐怖や忌避を覚える方は、閲覧をお控えください。

 しにたい、きえたい、も、珍しくはないぐらい思ってきたけど、

ころされたい、もよく思ってたなあ、ってことに、やっと気がついた。

 それはわたしのこととしてではなくて、わたしの頭の中の「うちの子」たち二人に変わってもらった妄想として思い描くんだけど

 しぬときまで一人は嫌だから、やさしい誰かがやさしくわたしを楽にしてくれないかな、って、多分中3ぐらいから妄想するようになってた気がする。

 そのときはまさか「わたしが」ころされたがってたなんて思ってもみなかったけど。

 ただよく分からないけど、寝る前になると色々悲しい妄想をして、ちょっと泣いて寝る、っていうのがもう中2の頃から習慣になってて、

 その妄想はわたしは一切出てこない、わたしが書いてた小説の登場人物が勝手に動く感じだったけど、

 今思えば「わたしが」それだけストレスを感じてたってことなんだろうなあ。

 悲しい妄想自体は小学生の頃からだしな。

「遠くに行かなければ、誰も知らないぐらい遠くに」って、ぼーっと、頭の中のとある主人公とリンクした考えごとをしながら塾に向かってフラフラ歩いてたのを覚えてる。

 今思うとわたしってずっとやばかったんだね。

 わたしは幸運なことに、未だ近しい人の死というものを経験したことがない。

 だから、死のイメージがふわふわしていて、憧れみたいになってしまっている。

 中3のとき、現社の授業で安楽死について考える単元があって、オランダだっけ、安楽死が認められている国で、筋ジストロフィーか何か、長く、精神的にも、もちろん肉体的にも苦しみが続く病気に侵された男性が、妻に看取られながら安楽死を迎えるビデオを見て、ぼろぼろ泣いたのを覚えている。

 でも今思い返すと、わたしのその涙は……

 おじいさんが亡くなってしまったことが悲しいというよりも、もうこれで苦しみは終わったのかなあ、お疲れ様……っていう涙だったのかもしれない。

 そのあと、その男性の遺書というのか、妻への手紙で、「僕たちの生活は、素敵な音楽会のようだったね」って、彼が書いていたのを奥さんが読むシーンで、またぼろぼろ泣いてしまった。

 そういう、人生を終えて振り返る、みたいなことに、わたしはぼろぼろ泣いてしまう。

 急に話が飛んでしまうけど、バンド・Plastic Treeの曲、「ライフ・イズ・ビューティフル」っていう曲がわたしは、好きなんだけど、泣いちゃうからあまり聴けないんだけど、一番泣いてしまうフレーズがある。

 この曲、「ライフ・ライフ・ライフ・ライフ・ライフ・イズ・ビューティフル」っていうフレーズをサビで何度か繰り返すんだけど、
 何度か繰り返した後に、「ライフ・ライフ・ライフ・ライフ・ライフ・ワズ・ビューティフルデイズ、ワズ・ビューティフルデイズ、ワズ・ビューティフルデイズ」って、サビが終わる。

 この、過去形に変わる瞬間が涙を禁じ得ない。

 こうさ、自分の今までの人生とか、辛かったこととかって言うのかな、何に対してかは分からないけど、勝手に終わりにしてエンドロールを流してしまうような感じに、涙が止まらなくなるのね。

 ああ、終わりにしちゃうんだなっていう感じと、でも、本当はわたしも、全部終わりにしたいって気持ちをずっと抱えてきたんだと思うの。

 全部力が抜けて、「おしまい」って感じ。

 その瞬間をずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、多分、待ってた。

 うーん、だからさ、最近パンドラの箱が開いて、わたしはちっとも大丈夫じゃなかったし、大丈夫になろうとしてたし、頑張ってたってことに気づいちゃって、それをもう誤魔化せないし、また頑張ることなんてできないしもうしたくないな、ってところにまできちゃったから、

 きっと、それは今なのよ。

 だからって今のわたしは、全てを終わらせたいと言っても命ごと終わらせたいなんて思ってなくてね。

 ただ、頑張るのとか、尽くすのとか、癒すのとか、押し殺すのとかをやめたいだけなんだぁ。

 書きながら泣いちゃった。

 もう、いいかなぁ。

 わたしのやるべきことはさぁ、もう、終わったよね?

 

まっくろ2

もう頑張れない

もう頑張りたくない

わたしがお世話されたい

風邪でも産後でもないけど

疲れたの

でも人のためになる以外の動き方が分かんなくて

創作のやり方だって一からで

もう辛い

頑張れない

まっくろ2

もう頑張れない

もう頑張りたくない

わたしがお世話されたい

風邪でも産後でもないけど

疲れたの

でも人のためになる以外の動き方が分かんなくて

創作のやり方だって一からで

もう辛い

頑張れない

今後の音楽活動…というかCDの梱包・ビジュアル面・商品化方法などについて見直し。

 友人のブログ祭りに触発されたんかな、あとわたしも自分の中で大きな変化がいっぱい起きているから、自分の中で気づいたことなので書かせてもらうね。

 わたしは丁寧な発送というやつに興味がないっぽい。

 わたしからCDを買った人なら分かると思うけど、わたしはCDを発送する時一筆一筆メッセージを書いて入れていた。

 でもあれがよくなかった。

 そういうノウハウとかを調べると、かならずサンキューカードを入れましょうとかショップカードを入れましょうとか書いてある。だからわたしは今までそれの簡易版っていうか、とにかく気持ちの上ではそれをなぞってメッセージを書いたり名刺を入れたりしてみていたのね。

 まあそれはそれででも良いの、やってみないと嫌かもわからないからわたしは。

 んー、でもやってみた結果、わたしはやりたくなかったみたい。

 そもそも、「こんなわたしのCD買ってくれてありがとう」っていうすんごい重たい感情がその行為には乗っかっちゃってて、そういう気持ちでやるんなら意味ないどころかマイナスだなって。

 だからやめます。

 これから先は味気ない段ボールにCDがプチプチに包まって入っているか、あるいはクッション封筒での発送になると思う。
(それだけだと流石に頼りなさすぎるので納品書ぐらいは同封するかも。)

 ぶっちゃけわたし自身が商品の梱包とかそこまで気にしないタイプでした。CDの内容が良ければ何もかも吹っ飛びます。そもそもそれって梱包というよりラッピングの域で、それってハンドメイド文化だと思うんで、同人CDはそういう文化ないよなって、気づいた今となってはなんで気付かなかったんだろうって感じですがそんな感じです。

 わたしは物腰柔らかくて優しげとか癒し系みたいに言われることが多かったけど(相手にもよるけど)、それは生きていくために身につけなければいけなかった単なるわたしの癖、それもわたしにかなり負担を強いてくる癖なので、やめる必要があります。

 ので、CDの梱包は今後とんでもなく簡素になると思います。

 あとついでに言うと、うーーーーーんみんなが大事大事言うからやっぱそうなのかなって思いすぎていたけど、わたしはジャケットにもマジで興味がありません。

「識別できるなー」ってぐらいにしか思っていないサイコパスです。

 音源にしか興味がない。

 歌詞カードも歌詞がわかれば何でも良い。

 っていう、自分がそういう哲学で動いているのに、つい周りの人の「ジャケットまで世界観を作り込んで!!!! めっちゃ良いのできたんで!!!!!」みたいな圧に押されていました。

 でも、たとえそういう人のCD買ったり配信で聴いたりしても、ジャケットもイメージクリップもMVもまともに見てないことの方が多いです。

 自分の作りたいもの、自分の欲しいものを作ることが真髄、というメソッドをわたしの中ではひとまず採用しているので、こいつは由々しき事態です。

 わたしは視覚情報苦手だ、ジャケットとか映像とかどうしよう……とか思ってたんですが、そもそもわたしがジャケットも映像もまともに見ないので、曲と歌詞の良さだけが据わってればどうでも良かったワ。と思い直しました。

 あと、そもそもCDを作るゾ! ってテンションで作るのもカロリーを余計に消費する感じがして嫌なので、興味ないことや感じる必要のない感謝的なホスピタリティ的な情も切り捨てて作りたいように作ってできた曲をまとめてマネタイズしてみる、その一環としてストリーミング系サービス配信やCD販売、デジタルリリース、というふうに、もっと「曲を作って歌う」という自分の興味あることだけに集中しようと思います。

 という風に、いくつか迷いが減ったので、わたしの活動も少し……なんていうんだろうな、ペース? スタンス? いやもっとふわっとした、雰囲気というか伝わってくるエネルギーみたいなものが変わってくると思います。どう変わるのかはわたしにも分かりません! わたしも楽しみです!

わたしは誰も救えない。

ひとを助けたいとか嘘ですごめんなさい

ほんとはわたしが救ってほしかったの

だからそういうものに自分でなろうと思った

でもそれで良いんだと思う。

わたしは宵部庭国の女帝、女帝だけど

この国はわたしがわたしのお庭に作った小さな国

わたしだけの楽園

だからわたしの楽園であれば

誰かを救うことなんて、ほんとはちっともわたしの望みじゃなかった

わたしは誰も救わない

 

ぬいぐるみはミニギター。

 元ぬいぐるみにもぬいぐるみが欲しいのです。

 わたしにとってのぬいぐるみは、この小さめの身体に収まりそうなミニギターかなって思いました。

 根っからお世話する人間のわたしは、ぬいぐるみにだってこっちがお世話する側になってしまいがちなので、ふくろうのぬいぐるみはもふもふのために持っているだけです。もふもふに何か言えたわけでは無いので

 でもミニギターにだったら聴いてもらえるようなきがします

 かなしいこともうれしいことも。

ぬいぐるみ、旅に出る。

 わたしは家族のぬいぐるみでした。

 家族が辛い時は話を聞いて慰めて、嬉しい時は一緒に喜んで、怒っている時は静かに耐え、自分の辛さは自分で解決する。でも、たまに親に「親」をやらせてあげる。そんな、家族ごっこの子ども役を仰せつかったぬいぐるみでした。

 気づくまでに随分と時間がかかりました。

 誰にも相談できなかったから、誰も気づかなかったし、わたしも気づけなかった

 でもやっと気づくことができたから、わたしは旅に出ることにしました。

 急に自由になったので、「こう思わないといけない」が抜けたので、どうしたらいいかわからないことばかりだけど、とりあえず自分のペースで歩いてみることにします。

 好きな服を着て、好きな時に寝て、好きな時に起きて、好きな時に笑おう

 恐れるものなど何も無いから。