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※タイトルから予想される通り、死に関する内容があります。
メンタルが不調の方、そういった内容に恐怖や忌避を覚える方は、閲覧をお控えください。

 しにたい、きえたい、も、珍しくはないぐらい思ってきたけど、

ころされたい、もよく思ってたなあ、ってことに、やっと気がついた。

 それはわたしのこととしてではなくて、わたしの頭の中の「うちの子」たち二人に変わってもらった妄想として思い描くんだけど

 しぬときまで一人は嫌だから、やさしい誰かがやさしくわたしを楽にしてくれないかな、って、多分中3ぐらいから妄想するようになってた気がする。

 そのときはまさか「わたしが」ころされたがってたなんて思ってもみなかったけど。

 ただよく分からないけど、寝る前になると色々悲しい妄想をして、ちょっと泣いて寝る、っていうのがもう中2の頃から習慣になってて、

 その妄想はわたしは一切出てこない、わたしが書いてた小説の登場人物が勝手に動く感じだったけど、

 今思えば「わたしが」それだけストレスを感じてたってことなんだろうなあ。

 悲しい妄想自体は小学生の頃からだしな。

「遠くに行かなければ、誰も知らないぐらい遠くに」って、ぼーっと、頭の中のとある主人公とリンクした考えごとをしながら塾に向かってフラフラ歩いてたのを覚えてる。

 今思うとわたしってずっとやばかったんだね。

 わたしは幸運なことに、未だ近しい人の死というものを経験したことがない。

 だから、死のイメージがふわふわしていて、憧れみたいになってしまっている。

 中3のとき、現社の授業で安楽死について考える単元があって、オランダだっけ、安楽死が認められている国で、筋ジストロフィーか何か、長く、精神的にも、もちろん肉体的にも苦しみが続く病気に侵された男性が、妻に看取られながら安楽死を迎えるビデオを見て、ぼろぼろ泣いたのを覚えている。

 でも今思い返すと、わたしのその涙は……

 おじいさんが亡くなってしまったことが悲しいというよりも、もうこれで苦しみは終わったのかなあ、お疲れ様……っていう涙だったのかもしれない。

 そのあと、その男性の遺書というのか、妻への手紙で、「僕たちの生活は、素敵な音楽会のようだったね」って、彼が書いていたのを奥さんが読むシーンで、またぼろぼろ泣いてしまった。

 そういう、人生を終えて振り返る、みたいなことに、わたしはぼろぼろ泣いてしまう。

 急に話が飛んでしまうけど、バンド・Plastic Treeの曲、「ライフ・イズ・ビューティフル」っていう曲がわたしは、好きなんだけど、泣いちゃうからあまり聴けないんだけど、一番泣いてしまうフレーズがある。

 この曲、「ライフ・ライフ・ライフ・ライフ・ライフ・イズ・ビューティフル」っていうフレーズをサビで何度か繰り返すんだけど、
 何度か繰り返した後に、「ライフ・ライフ・ライフ・ライフ・ライフ・ワズ・ビューティフルデイズ、ワズ・ビューティフルデイズ、ワズ・ビューティフルデイズ」って、サビが終わる。

 この、過去形に変わる瞬間が涙を禁じ得ない。

 こうさ、自分の今までの人生とか、辛かったこととかって言うのかな、何に対してかは分からないけど、勝手に終わりにしてエンドロールを流してしまうような感じに、涙が止まらなくなるのね。

 ああ、終わりにしちゃうんだなっていう感じと、でも、本当はわたしも、全部終わりにしたいって気持ちをずっと抱えてきたんだと思うの。

 全部力が抜けて、「おしまい」って感じ。

 その瞬間をずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、多分、待ってた。

 うーん、だからさ、最近パンドラの箱が開いて、わたしはちっとも大丈夫じゃなかったし、大丈夫になろうとしてたし、頑張ってたってことに気づいちゃって、それをもう誤魔化せないし、また頑張ることなんてできないしもうしたくないな、ってところにまできちゃったから、

 きっと、それは今なのよ。

 だからって今のわたしは、全てを終わらせたいと言っても命ごと終わらせたいなんて思ってなくてね。

 ただ、頑張るのとか、尽くすのとか、癒すのとか、押し殺すのとかをやめたいだけなんだぁ。

 書きながら泣いちゃった。

 もう、いいかなぁ。

 わたしのやるべきことはさぁ、もう、終わったよね?