性のブロックが外れた話。

 sensualな人になりたい。

 ずっとそう思っていたことを、思い出しました。

 わたしはずっと、自分の顔や身体のことはむかしから好きだったし、美しいと思っていたけれど、誰か多くの人に見られることには抵抗を持っていました。

 舞台の上に立つ、人前に立つ、と言う状況でのそれは平気ですが、早い話が、ネット上にそんな自分の姿を見せる事には、ずっと抵抗があり、抵抗があるまま「その方が良いのかも」と一時期晒したりしていて、本当に迷走していました。

 それと、やっぱりどこかで、認めたくないですが、「ネットに自分の写真を晒すバカな若い女」(これも実際のところ、だいぶ悪意を込めて作られたイメージに過ぎません、わたしはずっとそれに踊らされていたわけです)になりたくない、と言う気持ちも強かったんだって、気付きました。

 今ならわかります。

 わたしは「人に〇〇な目で見られたくない」「見られたくない」と言って、
 つまり人の目を気にして、自己表現をしようとしていなかったのです。

 ずっと昔から、
 なんならお互い物心つく前ぐらいから、親同士が知り合いで、わたしたちも知り合いで、小学校高学年くらいから徐々に、特に仲良くなった……ようは幼馴染みが、最近、ネット上で顔を出して活動をはじめました。

” 吸血鬼になりたい。”

” 誰にも、人間なんかに負けない、可愛くてカッコよくて最強の存在になりたい “

 彼女は、自分の表現したい世界観、自分のなりたい自分を指して、はっきりとそう言いました。

 そのために、彼女は、何よりも怖かったであろう関門を飛び越えて、動きはじめたのです。

” 自分の世界を表現したい。”

” 自己表現として、写真で表現したい世界観がある “

 彼女は言いました。

 彼女のTwitterはこちらです→https://twitter.com/sesshouda

 わたしは胸を衝かれたような気持ちになりました。

 やっぱり、自分の姿を主体的に見せる(魅せる、にもつながります)ことは、自己表現なのだと。

 どうしてわたしはそれをしたいと思えないのだろう。

ただ、ここでわたしは踏みとどまりました、もう以前のわたしとは違うのです。
気が乗らないなら乗らないで好いじゃない、それも個性じゃない ” と。
無理やり頭の中を書き換えたり、自分に言い含めたりせず、” 気が乗らない ” という自分の気持ちに寄り添いました

 そうしたら、彼女……わたしの本心が、いきなり言い出したのです。

” Twitterのヘッダー変えたい “

 と。

 何に変えるのって聴いたら、あろうことかこの写真でした。

 この写真自体は、わたしも幼なじみに影響されて、好きな服を着て写真を撮るっていうことをしてみて、だから、手元にあったものです。

 それを、自分が一番納得のいく、一番自分が出したいものに近い、一番美しいと思う形に切り出したものです。

 でも、これをヘッダーにしようとしたとき、とんでもなくグルグルする迷いに、わたしは呑みこまれました。

” エッチだなって思われたらどうしよう “

 と。

 結論から言うと、「エッチだなって思う奴の頭の中がエッチなんだよ」って話なんですが、可笑しい事に、わたしはかなり深刻に悩みました。

 YouTubeの調子が悪い時のグルグル並みに迷いました。

 わたしは元来、「生っぽさ」が好きなのです。

 それは肌の肌理(きめ)感触だったり、
 汗に湿った感じだったり、
 呼吸の温度湿度だったり、
 衣擦れの音だったり、
 汗の匂いそれと混じった香水の香りだったり、
 内容はわからないけど穏やかに言葉を交わしているのがわかる、隣室から漏れ聞こえてくる声だったり、
 カーテンに映る影の揺れだったり、
 体温だったりします。

 たぶん、そういうものを感じられる画が好きで、わたしはずっとそれになってみたかったのです。

 あと、冒頭にも書いたsensualセンシュアル)とは、日本語では「官能的」と訳されますが、それは「煽情的」とは少し違って、「五感に訴えかける」といった意味合いが強いです。

 上に書いたような生っぽさ、生命自然息遣いといったものに五感を開いていく、その先に生 – 性 も含まれる、ということです。

 わたしはそういった自然状態みたいなものと、自分の中の女性性をつなげて感じ取っていて、それを表出させてみたかったのです。

 これからもそういった表現は続けていくと思います。

 でも、この上に書いたようなことを、わたしはずっと閉じ込めていました。

” そんなことをしたら付け入られる “

 と、誰かの思惑通りに、貞淑に、つまり性を抑圧した女であろうとしていた

 それが窮屈になって、「女である自分」をどう受け入れて良いのかもわからなくなってしまった。

ここで言う「女である自分」、また後述する「女性性」とは、ペルソナとかアーキタイプみたいなもので、男性の中にもあるもの、としてこの記事では言葉を使っています。アニマってやつもその一つだと思います。「少年である自分(女性であっても)」「子どもである自分」「大人である自分」「ハムレットである自分」「先生である自分」「歌手である自分」「オフィーリアである自分」のように、” 自分らしさ ” や ” 自分が演じる事により醸し出せる独特の個性 ” の様々な側面のうちの一つと考えてください)

 自分の女性性が受け入れられませんでした。

 そうしてやっと見つけた、自分の本来の女性性は、
 自分の外にある、誰かが作ったもの、表現したもの、あるいは押し付けようとしてくるもの--
 そのどれとも違う
 部分的に見れば似ているところもあるかもしれないけれど、本質は全く違う、
 徹底的にオリジナルな存在でした。

 誰かの作った「女性」なんて概念が、ちっぽけに思えるぐらいに。

 わたしはやっと、わたしの半身と和解することができたのだと--あるいは、やっとそのスタートラインに立つことができたのだと思います。

 ずっと探していたわたしらしさの欠片を、わたしはまた見つけることができました。

 タイトルにも書いた ” ブロック ” とは、自分の、本来無限に広がっているはずの可能性を狭め、拡大を邪魔しているものを指す、スピリチュアル用語……なのかな? です。

 その中身は、過去のトラウマであったり、どこかで耳にしてしまった既成概念であったり、ネガティブな思い込みであったりします。

わたしは自分の女性性を拒絶し、見失っていたせいで
(それはジャミングしてくる外界が悪いんですけどね怒 社会の中の「女性」の概念には、今も変わらずFxxK YOUです)
大きなブロックを抱えていたんだなー、と、今回の件でよく分かりました。

 これからもわたしはヘッダーの感じで視覚的な表現をやっていくのかもしれないし、飽きて全く別様になるかもしれませんが、

 ” 人にどう見られるか ” という、最初にして最大の関門をそのたびに飛び越え、

 もっともっと自分の可能性を広げていけたらな! って思っています。

” そこを飛び越えて死ね。 “

” 死なせないから。 “

 ってやつです。↓

 最近自分の中でまたこの曲の意味の一つがわかって、

 そこを飛び越えて死ね、死なせないから、とか、

 あなたに会いたい、言いたい、って言っているのは、本当の自分が自分に訴えているんだろうなって思いました。

 もちろん、あなたがこの曲を聴いて感じたこと一つ一つが全て正解です。

 わたしにとっての最近の正解はこれでした。

 あなたは、どう思いますか?

髪が長かった頃の話

 大学に入る前、わたしは今よりずっと髪が長かった。

 写真を取ったり撮られたりするのが苦手で、自撮りなんていうものも当時の私には文化としてなかったので、その頃の写真は、少なくとも、わたしのスマホにはほとんど入っていない。
 だから、あの頃の私がどんな姿形をしていたのか、今となってはもう、あの頃のことを知っていて今も仲良くしている数少ない友人から話を聞くくらいしか、窺い知る方法はない。

 髪を伸ばしていた頃のわたしは、とても陰気だったと思う。
 見た目としてまず陰気だったけれど、いやでも、……どうだろう、結局見た目だって中身が少なからず反映されるものだから、中身も陰気で、重たかっただろう。そりゃそうだ。ずっと疲れていたから。

 髪には神が宿る、っていうのは誰が言った言葉だか全然分からないけれど、たぶん、あの頃のわたしは神が欲しかった。

 いつも何かに怯えていたから、見る者すべてを竦ませるような、重たい、ドス黒い神気、もしくは暗雲を纏いたかったんだと思う。「涼宮ハルヒ」シリーズの周防九曜とか、本当は憧れていた。

 あと、おそらくは、刺激の多すぎるこの世界が、少しでも自分に直接触れることがないように、自分を守りたかったのだとも思う。

 自分には力がある、と、本気で信じることができれば良かった。

 暴力でも、経済力でもない、ただ生きて、それを知らしめることで強い光のように人を貫く力。

 わたしはわたしのやり方で生きていいのだと、誰も教えてくれなかった。

 わたしの奥底に溜まって、すぐにでも火を噴いてしまう遣り場のない怒りは、多分そういったことについてのものだと思う。

 ふざけるな、散々騙しやがって、わたしはずっとずっと前から真実に気がついていたのに、気づかないふりをしてやったのに、この仕打ちは何なんだよって。
 こんなことなら、とっとと一抜ければ良かったのに、それもずっとできなかった。

 髪を伸ばして、そこにずーっと怒りと恨みを溜めた。時々恨みを歌にして歌った。それをもっと多くの人に届けたかったのに、そうすることも怖かった。

 あの出来ることの少なさを、わたしは忘れられない。

 だからわたしがいつか、誰かを導けるような存在になったら。

 大丈夫だよって、言葉じゃなくて背中で示せるような存在になれたら。

 その時やっと、髪の長かった頃のわたしは、恨みを真の力にできるんだと思う。

 分かれよ、でもどうせ分かってくれないんだろ、じゃなく、
 分かれよ、ふざけるな、おれはここにいる! っていう証明、
 それも誰かに認めてもらうためじゃなく、自分が感じるための証明に。

 そうしたらやっと、あの時のことは、あの時のわたしみたいな子たちを、つまり次世代を救うために、もう繰り返さないために、わたしがそれを止める人になるために起きたことだって、思えるのかもしれない。

 きっとそうだと思う、わたしがそういう役回りなのは、それこそだいぶ前に察したもの。

 

追い出される話。

 物語には、昔から、どれくらい昔からかと言うと神話や民話や伝承レベルの昔から、ある程度決まったパターンがあります(厳密に言えば、神話や民話や伝承を研究した人がいて、その人たちがそれらから幾つかのパターンを抽出してきたわけですが)。

 そのパターンの中でも、今回言いたいことに特に関係しているのが、

 " 主人公は死者の召喚を受けて冒険に旅立つよう動機付けられるが、
一度はそれを拒絶する "

 というくだりが、これらの物語にはほぼ必ずと言っていいほど存在する、という点です。

 ここでの主人公の葛藤が、物語をよりドラマティックにし、また、主人公を共感可能なキャラクターにするのです。

ここからははっきりしたソースのない話になりますが、わたしはここに、” 人間とは、いつまでもぬるま湯の、見慣れた景色の中に居たい生き物なのだ ” ということが表れていると思っています。冒険を避け、最初の村に居続けようとする精神です。マサラタウンにさよならバイバイしないやつです。

 わたしもそろそろ ” 使者 ” から迎えが来るので(とってもリアルでプライベートな事情なので、まだ詳細は一切明かせませんが)、やっと、というか好い加減、なのかもしれない、冒険をスタートさせなければならないようです。

 今まで、わたしはずっと召喚を拒否し続けてきました。拒否していたから気付いていなかった、あるいは使者が途中で道に迷ってしまったかで、呼び出されていることにも気付いてきませんでした。

 今回こそ決定的な時になるのかもしれません。何が起こるのか、もしくは何も起きないのか分からず、ワサワサしています。

 

お腹すいたけど、食欲がない

注 フラッシュバック注意です

注 宵部には希死念慮全くありません。
  生き残ることしか考えていません。今も昔も。

 今日は具合が悪いので、ブログ書くのが捗ります。

 お腹は空いているのに、ご飯を買いに行くのも身体がしんどいし、買っても食べられる気がしない……そんな体力がない……という時間を過ごしました。

 わたしは普段、食べることを人生の楽しみの一つにしているタイプなので(だから、ピンクのサインペンが最近、日記に食べ物のことばかり書くのです)食欲がないということはかなり珍しいことです。

 そして、苦い思い出に直結しています。

 うまく言語化できるかわかりませんが、してみます。
 この先、フラッシュバック注意です。

 わたしは小学校高学年の時、塾通いをしながら不登校していました。
 不登校の理由は、
 ・同学年の子たちと全然気が合わなかったり、
 ・人間関係がめっちゃ色々あって大変だったり、
 ・抑圧的な先生たちのやり方が怖いし人道的にあり得ないと思っていたり、
 ・でもそういうことをはじめ、いろんな「そういうもん」や前提条件に誰も疑いを向けない環境が耐えられなかったり、
 と複合的なもので、
 もちろんその時にはとっくにトラウマもわたしの身体に搭載されていたので、余計、人の思念や気配や視線でいっぱいのあの空間が地獄のように思えていました。

 わたしの不登校に対する家族の反応は、
 母:困惑しながらも、行きたくないならいかなくていいと言ってくれる。
 父:行かなきゃいけないもの。
 という感じでした。
(後になって、というか最近なのですが、母が「でも、パパは本当は『学校なんて行かんでも大丈夫よ(鹿児島弁)』って思ってたみたいよ」とか抜かしやがって ハァ( ゜д゜#)? って感じでしたけど)
 この期に及んで何を言ってやがる〜

 わたしはそういう状況の中で、
 でも学校に行くくらいなら、トラウマティックでストレスフルなのには変わりないけれど、まだ慣れている我が家を我慢した方がまし、と思い、不登校していました。

 塾には行っていたのは、そんな中でも気の合う友人に出会えたからと、勉強がおもしろかったからです。

 そんなこんなでギリギリの状態のまま、2年ちょっと、卒業まで行くことになる塾に通いだしてからは1年半ほどがすぎました。
 今思えば、そんな状況でどうやって生き抜いたのか謎すぎます。小説執筆やボカロ曲のディグ、そしてそれを塾の友達と話す、ということにより、色々紛らわせていたのでしょうが、それにしたってストレスフルすぎると思います……

 そして受験が迫ってきたある日、わたしはいつものように家で勉強していました。その日は確か、体調不良か何かで、父も家にいました。

 わたしはその日、どうも風邪を引きはじめていました。
 なので、身体がきつく、教科書を開きつつも捗らなかったので、ダラダラしていました。
 でも、体調が悪いということは、あまり勉強しなければならない時に言っても(特に父には)受け入れてもらえないことが多いと経験則で学んでいたのもあり、あとその頃から「ちょっと調子悪い、でもうまく説明できない」みたいな体調不良はある子どもだったので、これも風邪などはっきり大人にわかってもらえるやつではなく、ないもののように扱うべき不調だ、と思い込み、不調だから休む、という選択を取りませんでした。
 体調が悪いからと、寝てしまえば良かったのでしょうか。

 その後お昼になって、父が部屋から出てきました。

 書くのが怖くなってきた。

 父は冷凍の鯛焼きをチンして食べながら、「ずっと勉強してたの?」と私に聞きました。
 私はド正直に、
「ずっとじゃないよ」
 と答えました。

 その後どうなったかは、あまりちゃんと覚えていません。

 たしか、父はたい焼きのお皿を流しに置いて自室に戻りました。

 物凄い音を立てて、父の部屋の扉が閉められました。

 私は頭が真っ白になりました。

 自分の身体から血の気がひいて、冷や汗が噴き出しました。

 そのあとは覚えていなくて、ただ、また後で顔を合わせた時に(鯛焼きはこのタイミングだったかもしれません)、父に「少しは勉強できたの?」と荒い語調で尋ねられ、私は、覚えていません。たぶん、答えられなかったんだと思います。

 その後夕方になって、その日はもともと母の仕事終わりに駅で落ち合って、願書用の写真を撮る約束をしていたので、恐怖で動かしにくくなった身体を頑張って動かして(本当に? 全然記憶がないし、できたのだとしたら、なんでそんなことができたのだろう)、ボロボロに泣きながら母と落ち合って、写真も多分撮りました。……多分、その日に撮ったんじゃなかったかな。

「お父さんのこと、怒らせちゃった」

 わたしがしゃくり上げながらそう言うと、母は狼狽していたように記憶しています。

 その後は私も本格的に熱を出して寝て……って感じだったと思うので、いよいよ断片的な記憶しかありません。
 取り合えずっ乳が「腸が煮え繰り返るわ」と言っていたのが聴こえたのと(思い出すと「それはそっくりそのまま同じセリフをお返ししますわ。腹を切れ」としか……)、
 母づてに「『受験させない!!』って言ってる」と伝えられ、「これから勉強頑張って、受験受けさせてもらえるようにしなきゃね」みたいなことを言われたのと、
 トイレにその時置いてあった本(生家にはトイレに本を置く習慣があります)に、「世界を閉じたくなるほどつらい日」というフレーズが書いてあったのを思い出して、「ああ、今のことだな」って若干12歳にして思ったのを覚えています。

 ……こう書いてきて思うのですが、どうして母はあんなののことをいまだに庇うのでしょうね。

 そんなこんなで夜が明け、次の日私はパニック状態の心身を叱咤して勉強を始めるのでした。が、そんな頭で何が学べるわけも、当然ありませんでした。

 身体や脳みそが空腹を訴えても、母がいつも冷蔵庫に用意しておいてくれるお昼ご飯を、ほとんど食べることができませんでした。

 その件の「ほとぼりが冷める」まで、どれくらいかかったのか覚えていませんが、わたしは受験をし、合格し、中高一貫校に進学しました。

 その後も一つだけ食欲をめぐる苦いエピソードがあり、
 高校時代、私は疲れ切って心身を病みまくっていたのですが、
「食欲はあるのに(ご飯は食べるのに)本当に体調悪いの?」と母に言われ、何も答えられませんでした。

 これは当時のわたしには言語化できていなかった(しても分かってもらえないと思っていたのでしょう)のですが、頭が重くて気分が悪くても、何か食べたあとは少し動けるようになるので(おそらく血糖値か血圧が上がるから、もしくは脳貧血がマシになるから)自分への処方の意味もあって食べていたのですが、そんなことは説明できませんでした。
 あとは、食べることが人生に残された数少ない楽しみだったのもあるでしょう。それと、食べないことに対する恐怖も多分ありました。

 これはごく最近気付いたのですが、わたしは人一倍燃費が悪く、空腹に弱いです。しかしその理由は、トラウマティックな出来事が起こるのを常に警戒し、回避行動をとる、という自動システムのために、人一倍エネルギーを疲って(まちがえた)使っているから、というのと、空腹状態だとその警戒が疎かになり、トラウマ的経験を引き起こしてしまうのではないか--これが「食べないことへの恐怖」ってことです--と思っているから、というのがすごく大きいようです。
 あとは、それだけ人一倍疲れるので、せめて食べなきゃやってらんない! の精神で、少し過食気味だったかもしれません。少なくとも、早食い気味だったのは間違いありません。

 実際、最近人との接触を減らし、自分の心の素直な声(あの子ピンクのサインペン)をよく聴いて、その要請に従って行動するようにしたら、食べる量が少し減りました。食べる速度が遅くなったからです。
 食事だって体力を使うし、手間がかかるんですね。
 だからこそ、味わって食べるととっても美味しいんですけど。

(今日も、さくで買ってきて自分の理想の厚みに切ったサーモンを食べました。
 ここは夢か天国かって思うくらい美味でした。)

 ……さて、今回のこと、とくに12歳の頃にあったことも、書くのはとても抵抗がありました。
 それは、もちろん怖かったから、思い出すのも本当に怖かった、というのもありますが、それ以上に、

「恥」だったからです。

 わたしが悪いんだ と思っていたからです。

 だから、隠しておかなきゃいけない、
 なかったことにしなきゃ、
 そう思っていました。

 そんなことはありませんでした。

 あの時のことを思い出すと、今でも、「全てを捨ててしまいたい」と思います。

 今まで、頑張っていい子になって、大人になって、誰も守ってくれないからと、そうやって自分を守ってきたけれど、どうやらこれまでのようです。

 これからは強がることをやめ、五体投地の精神で生きていこうと思います。

 でも、五体投地でいられるということは、「これだけは絶対にやっちゃいけない!」みたいなことも、もう自分に何も課さない、ということです。
 それはつまり、とても自由、ということです。

 五体投地した結果、家族に迷惑をかけようが、もちろん意外と物事がうまく行こうが、また家の中が大変なことになってパニックになろうが、一切もう自分でなんとかしなきゃと思わないとここに決めます。

 わたしは良い子ちゃんなので、自分が頑張って家の中の問題を解決しようとしてきました。

 でも、それももう、おしまいです。

 これからは、わたしはわたしの機嫌しか取らずに生きていきたいです。

 染み付いた癖なので、抜いていくのはそう簡単じゃないと思うけど、これからの人生の目標は、とりあえずそれにします。

 最後まで読んでくださってありがとうございました。大丈夫ですか? 気持ちが重くなったりしていませんか? もしなっていたら、少し休んで、ほっとするようなことをしてくださいね。

 それではまた、別の記事でお会いしましょう。

文房具の話

 わたしはポール・オースターが好きです。

 彼の作品の一つ『オラクル・ナイト』で、長い闘病生活を終えた主人公がまた仕事を始めるために、新しく小説執筆用のノートとペンを買う、というシーンがあります。

 わたしも小説を書く人間の端くれですが、ノートにペンで書くことは無くなって久しかったので、あのシーンの心を奪われるような文具との出会い、ノートとペンが書く内容を連れてきてくれるような魔術的な瞬間、を、久々に追体験し、わたしも文房具を買いに行きたくてたまらなくなったのを覚えています。

 わたしは文房具が好きなのに、字は汚いし、学校などでノートを撮る時も殴り書きで、とても整理されているとは言えない紙面をこしらえてしまいます。

 でも最近思い始めました。ブログをまたするする書き出したからでしょうか、
 横罫のノートに、自分の思うような行間で文を書く、
 そのフレーズ感や間の感覚は、わたしに備わっているかもしれないと。
 ちょうどこういった記事を書くように、です。

 だからまた、もういつだったかも忘れてしまった昔みたいに、ノートに文芸をやる動きを取り戻したいなあと、ぼんやりうっとり思っています。
 モレスキン、ロイヒトトゥルム、或いはアピカのシルキーなんかに、ペンで執筆してみたいなぁ……って、想像するだけで心地が良いのです。

 ペンというか、万年筆ですね。高校の卒業記念品だった万年筆を、かれこれ4年くらい使い続けています。これ以外に万年筆をもう一本しか使ったことがないので、あまり比較対象がありませんが、使い勝手がよく、わたしの小さい手にすんなり収まってくれるのです。カートリッジを替えて、新しいインクをつがえる(矢をつがえる、みたいな。似たものを感じています)仕草も、自分でやっていて「なんか玄人っぽくていいな……」とうっとりします。

(え? 真の玄人はカートリッジ式万年筆じゃない? いーんだよ細けぇことは)

 全然筆まめではないですが、文房具を見たり触ったりしていると心が躍ります。
 画材もです。

 あと、アナログな筆記用具は、目が疲れている時でもこうして(例によってこれも、24日昼に紙に書いたものを書き起こしています)書いて排泄ができるので良いですね。

 自分を表現するのは排泄、あるいは放電です。わたしにとって。溜めると澱んだり煮詰まりすぎたりして、身体を壊します。それこそ頭痛とか、自律神経の失調とか、ホルモンの乱れとか。

 日記帳だけじゃ足りない、ブログ用ノートを作っちゃいそうです。

 上にも書きましたが、このブログも、原本はルーズリーフに、薄いB5ノートとA4クリアファイルを下敷きがわりにして、ベッドの上で座りながら書いています。

 ルーズリーフってノートと違って押さえなくてもページがめくれてくることとかがなくて、見映えはよくないですが便利で書きやすいですね……
 うーん、見映えを取るか、取り回しを取るか。悩みます。ブログ用ノートの運命やいかに。

 こんなに文房具が好きなので、今までなんだか蔑ろにしてきた分、もっと自分に触れさせてあげようと思います。

「ノートとか使うの続かないのに、見てどうするの、買ってどうするの」とか、「そんな高級ノートじゃなくても、大学ノートで十分じゃん」とか、またここでも下らない我慢を自分にしいていたことが明らかになったので……

 些細なことから叶えていかないと。
 些細なことなら叶えやすいし、そもそも、こういった我慢も抑圧も、一つ一つは些細なことの積み重ねでしかないですし、ね。
 積み重なると、大きな空虚になる。でも一つ一つは小さいから、軽視されがちだし自分でも軽視しがち。
 だから、些細なことこそが重要なんだって気づきました。

 そんな感じでした。

 ……あ! 「そんな感じ」と言えばリリック書きたくなってきました。

 とりあえず、こうなったらたくさんのノートに埋もれてみよう、そんな心意気でいます。

 

お庭欲しい話。

 こんにちは。宵部憂です。

 お庭が欲しいな、って急に思い立ちました。

 このサイトの名前も宵部「庭」国ですけど、
 外の空気をめっちゃ吸いたい、
 でも人に会いたくない、
 そんな時にお庭があれば万事解決だなって思いました。

「私の部屋は森に似てるのよ」って、私の敬愛するアーティストさんも言っています。(新居昭乃さん『Orange Noel』)

 外の風とか、空気の匂いに触れるのは好きで、
 でも、誰かとエンカウントすることを考えたら、
 洋服と一緒に警戒心を着てしまう、だから多分外出が嫌いなのです。

 元気な日は、お気に入りの服を着てメイクもバッチリ決めて、最高にクールなわたしで街を闊歩したくなるんですけど、頭痛くてダメな日は、もっと気楽にフラッと外に出たいなって思っています。

 わたしはH&Mの服が好きなんですけど、何に惹かれるかといえば、あの開放感なんですね。
「私が服を着る、ただそれだけですけど何か?」みたいな。
 わたしが勝手にそう感じるだけなのかわからないけど、日本の洋服って「どう見られたいか」を一緒に着てる感じがどうしてもしてしまって、それがどうにも、” 重い “って感じることがあります。

 尤も、H&Mをはじめファストファッション系を着ることに、倫理的な抵抗感も凄くあるんですけど……
 海の向こうの縫製工場、繊維工場で働く人に、ちょっとでもできること無いかなあと探してみています。


 そう、最近あたまが痛くてまいっちんぐなのです。
 偏頭痛です。
 生理前とか、季節の変わり目とか、気圧とかいろいろあるでしょうが、あとは今まで散々抑圧していたストレスが急に「やっとわたしのこと見る気になったのね」と暴れだしたのかもしれない、とも思っています。

やっとこっちを見たわね! (#゜д゜#)
遅いのよ! フン! これでも喰らいなさい!(つ` д ' )つつつ頭痛

 みたいな。

 いやいや、全然「急に」ではなく、「満を辞して」ですね。

ご飯のことばかりピンクのサインペンは書くようになってきたし、やっぱり” 自分 “って生き物で、刻一刻、すごいペースで変わるんだなぁって実感しています。


 確かに、人を警戒して、自分に危機が迫っていないか確認して……って、めちゃくちゃにを疲うのです。
 間違えた、使うのです。
(この文章は、昼に手書きで書いたものを頭痛が落ち着いたタイミングでPCに打ち込み直しているので、こういった書き間違いが起こります)
 めっちゃ疲うのです。

 とは物理的な目もそうですし、概念的な目でもあります。
 頭で ” この先 ” を予測しようとする時、知らず目のあたりに力が入っていることが、自分の身体を観測してみると明らかになりました。
 もちろん頭も使っています。
 そりゃあ頭痛くなるわけです。

 でもずっとわたしは、このストレスを無視していた、ということです。

 無視が続きすぎて、自分で気づくことすらできなくなっていたのです。

 不感症です。


 そういうわけで、今日は全力で第6チャクラを休める日でした。

 そのためには、ぼーっと遠くを眺められるお庭が必須なのです。ゆくゆくは。

 切り株があって、所々小さな野花が咲いていて、ハンモックがあって、ハチにだけは気をつけて(命に関わります)、草の匂いを嗅ぎながら、ぼーっとするのです。


 おわり。

パンドラの箱を開けたら

 
 誰もわたしを助けてくれなかった。

 誰もわたしの傷を大ごとだと思ってくれなかった。


 パンドラの箱を開けてそろそろ一週間が経つ。

 ずっと向き合うことを避けてきた、自分の根幹の部分、もはや自分の人生を構成する全てになっていた部分を、
 やっと大ごととして捉えて、言語化して、自分はそれを抱えているのだと自覚できるようになりました。

 そんな景色、見るのはほんとうに初めてで、これから自分がどうなってしまうのか、どんな感情がこれから湧き起こってくるのか、予想もつきません。

 少し怖いです。


 今日も思い出したみたいに、「怖かった、辛かった、痛かった」という気持ちが湧いてきて撃沈しています。
 こうしたことを今後も繰り返していくのでしょう。

 20年の積み重ねです。
 ちょっとやそっとで、この繰り返しが終わるわけがありません。

 言い聞かせたり、宥めすかしたりして、今まではやってきてしまったけれど。

 怖い、怖い、と言う自分の本音を黙らせて、いないことにして、やってきてしまったけれど、
 これからは、もう何も「終わったこと」にしないで、
 何度でも繰り返し「怖い」って自分に言わせてあげられるようにしていきたいな
、って思っています。


 3、4日前から日記をつけ始めました。

 寝る前に、ピンク色のサインペンで、自分の本心の部分が言っていることをそのまま書くのです。

 検閲せずにそのまま。

 彼女はわたしの子どもの部分で、大人であるわたしのことを ” まま ” と呼んでいます。

 大人のわたしは、
 彼女の言うことを規制しないように、
 彼女の頼みを、現実的には全て叶えられるわけではないけれど、叶えられないとしても「叶える約束」はしてあげられるように、
 彼女が日記を書くのを見守ります。

「検閲せずにそのまま」なので、ひらがなが多かったり、文章としてはつながりや文法が不自然だったりもします。

 でも、それが彼女のしたい言語表現なので、そこにも口を出さないようにしています。


 そんなふうに、誰にも検閲されることなく、「自分の思ったまま」を書くなんて、わたしはそんな経験したことがなかったんですけど、これってみんなそうなんですかね?
 自分の思ったことを書きなさい、って、ものすごく難しいんだな、って思いました。

 学校で日記を連絡帳に書いて……みたいなことは、担任の先生によっては課されることもありましたが、
 あれも書く習慣をつけるという点ではともかく、「思ったことを自由に」書ける状況ではないですよね……

 かといって、誰かが書くことを教えないと、自分の思っていることを言葉で表現する方法って、そりゃ子ども一人の力では身につけるのも限界があるし……

 もしわたしが子どもを育てることがあったら、思ったことを、誰にも忖度せずに言葉にする練習を、させてあげられないかなあ……って思います。
 親として、だけでなく、先生として、とかでも良くて、立場によらず、子どもを診る立場になったら。


 とにかくでも、誰にも検閲や評価をされずに、自分の思ったことを言葉という形で残す、そしてそれは後から見返せる、という体験は、とても心地よいものです。

 今まで日記が続かなかったのって、本当に書きたいことを書けてなかったからかな、と思うぐらいには。
 というか、多分それがあたりなのですが。


 日記帳を買ってしまいました。

 これであの子に、もっと良いノートに、思ったことを書いてもらえます。
 彼女もとても喜んでいるみたいです。


 これまでそのノートに書かれることは、あるいは、わたしの本音である彼女が言ってくることは、「本当はこうしたかった」とか、「本当はこれが悲しかった」とか、そういったことばかりでした。

 でも今日、冒頭に書いたみたいに、怒りや憎しみや恨みといったドス黒い気持ちを彼女が表現し始めたのです。

 自分でも気づけないぐらい一瞬の反応でしたが、大人のわたしはそれに驚き、天使のようなあの子がそんなことを言うはずがない、って思ってしまいました。


 誰も私を助けてくれなかった。

 誰も私の傷を大ごとだと思ってくれなかった。

 誰も助けてくれないなら死ねばいいのに。

 みんな死ねばいい。


 そんな声を、わたしは掻き消そうとしました。

 すぐ、これもピンクのサインペンなんだ、ということに気がついて、二重線を重ねようとした手を止めました。

 ピンクのサインペンだって、いつだって愛に溢れた言葉を呟くはずもないのに。

 ピンクのサインペンが、やっとわたしのことを信じて、これを日記に書いても良いって思えるようになってくれたのに、わたしはそれを裏切るのか。

 そんなことは絶対にしたくない。


 覚悟していたつもりでしたが、全然分かっていませんでした。

 パンドラの箱を開けたら、綺麗ではいられなくなってしまうこと。


 そういえば芸術家の岡本太郎は、「きれい」と「美しい」を区別し、「きれい」は八方美人だったり、表面が良い感じだったりといったニセモノ「美しい」は、醜いけれども、生命の迸りそのもの、みたいなことを確か言っていたと思うんですが、わたしが今言いたかったのも、ここで言うところの「きれい」です。


 誰かに対して、とても醜く映るわたしに、わたしはきっとなってしまうことでしょう。

 でも、思い切ってこの箱を開けたのは、
 もう誤魔化しきる気力も体力も無くなってしまったからというのと、
 自分の根っこの部分に根を下ろして、そこから出てくるものをきっと見てみたかったからです

 それが、美しいもの人を本能的に引きつけるもの生命の迸り、であったなら、
 わたしはきっとそれで良いと思います。

 きれいであり続けようとしても、わたしの紙っぺらな体力と耐久力では、ちっとも保ちませんでした。


 醜い自分を晒すこと、それはすごく怖いです。

 でも、もう、もういい加減、偽っては限界がきて、のループを断ちたいから、
 わたしは醜くなる覚悟を決めるのです。

じぶんへの母性に目覚める。(2021/04/14アメブロから転載)

 自分を2つに分けて(厳密には2つじゃないけど)、
 小さいわたしを、今の大人になった身体を持った、お姉さんのわたしがお世話する、っていうイメージなら、なんとか自分をケアし続けて生きていける……かな。
 やってみなきゃ分からないけど。

 厳密には2つじゃない、と言ったのは、「大人になったお姉さんのわたし」の内側には、生きていくうちに気づいたら身につけてしまった自己規制がたくさん染み付いているからなんだ。
 それはお母さんやお父さんや偉い誰かや、「この人に失望されたくない」って思ってしまった人……一部の友達とか、の、幻影も含んでいる。

 それは幻影なんだよね。

 わたしが勝手にそういうものだと思い込んで、そういうものとして自分の身体に、内側に取り込んでしまったもの。
 本人とは、まあ関係はあるけど「きっかけ」に過ぎなくて、そいつは幻影に過ぎないの。
 腹話術みたいに、その人の声ってことにして自己規制を「言わせてるだけ」。


 その幻影たちが第3のわたし。

 大人の、お姉さんのわたしが、小さなわたしを大切にするために、振り払うべきものたち。

 わたしは最近までずっと傷ついて強がるしかなかった子どもそのものだったけど、やっと大人になれたかな。
 自分で自分を守るってことの意味が分かるくらいには。
 自分が自分の親になるって意味が分かるくらいには。

 そう、最近話してないけど仲良い友だちが、ずっと言ってた(なんて本の内容だったっけ…)、「自分で自分の親になる」って意味、やっと分かった気がする。

 例えば髪を乾かすとき、自分の愛しい娘に対してどんな手つきをするかなって想像して、優しく触ったり。
 例えばあの子が疲れたと主張したとき、甘い飲み物を飲んでゆっくりしようって勧めてみたりとか。
 他人に対して、それも心から大切に思っている他人に対して、わたしはどう接するかなって考えて、
 わたし行動や手つきに愛情を込めるのは苦手じゃないと思うからさ
 それを全部自分にやるんだ、って分かった。


 わたしレベルになると「自分で自分を」とか言ってるうちは何にもポイントが掴めてなくて、
「大切な他人に接するように」「愛しい人に接するように」ってして初めて分かるもんなんだ。
 根深かったなー。


 ほんとうの、自分とは別の人間としてのお母さんやお父さんに、
 もちろん自分の本心を伝えることは大事だけど、
 でも彼らは別の人間だから、自分の思うように動いてなんてくれないし、
 自分の思うように動かそうとしたらダメだし、
 そんなことしたって満たされないと思う。

 自分の中の幻影はうるさいままだから。
 他人がどれだけ尽くしてくれたとしても。


 自分の理想の親には自分がなればいいんだよね。

 あの子が「お母さん」っていうとき、それはわたしのことを指しているのであって、本当のわたしの母のことを指してるわけじゃない。
 あの子が言う「お母さん、あのね」は、わたしに対して言ってる。
 他の誰でもなく。

 わたしが一応女だから、あの子は「お母さん」って呼んでいるんだ。
 いや分からんけど。男だったとしても「お母さん」かもしれんけど。


 昔から生理が辛くて、
 あとあんまり自分のことを女性だと思えなくて、
 なんで子宮らへんの、女性の生殖器持って生まれて来ちゃったんだろうって最近ずっと思ってたんだけど、
 ここに関してだけ言うと、持っててよかったかもしんない。

 胎(はら)から溢れる愛情ってどういうものなのか、わたし知ってるからさ。
 それであの子を包んであげられるんだよね。

 これは、生理でお腹痛いとき、「痛いねえ、お腹痛いね……」って自分で自分に話しかけながら、保健室とか自宅のベッドであったかくして自分で自分のお腹をさすりながら丸まっていた経験があるからこそだと思ってる。

 あれが多分、胎からの愛なんだよ。

 それが分かって、生理とかじゃなくても、いつでもその愛を自分に注げるようになったとき……

 それはなんか、絶対スゲーことが起こる気がする。
 あのパワー、神秘、半端じゃないからね。

 いつもあの子に優しくしたいと思ってる子宮の声を聞く。

 子宮系の言い回しになったけどこういうことなんじゃないかな。
(だってしょうがないじゃん、こういうのって頭で考えるとぐちゃぐちゃになっちゃうから体感するしかないんだもん、子宮系にもなるよ!)

トラウマ(2021.04.12アメブロより転載)

 わたしにはトラウマがあります。

 でもそのきっかけは、「幼少期から、親が不定期に癇癪を起こしてわたしに対して(だけじゃないですが)怒鳴ったり、大きな物音を立てて威圧的な態度を取ったり、無視したりしてきて、ほとぼりが冷めるといつものように戻る、というのが繰り返される」というもので、暴力を振るわれたり虐待された、というものではなかったため、ずっとわたしはそれを「トラウマ」と名付けることができないでいました。
 そのせいで、わたしはわたし自身をずっと虐待し続けていました。


 人が怖くて、いつ豹変して恐怖そのものになってしまうかわからない人間が恐くて、たぶんいつも緊張しています
 不機嫌だったり、イライラしていたりするのが分かる、もしくはその可能性がある(ように見える)人が近くにいると、よりいっそう落ち着かなくなります。
 これは、わたしに対する怒気や苛立ちでなくても関係なく、反射的に起きてしまう身体の反応です。
 そして、人から怒鳴られたり、敵意や怒気を向けられたりすると--パニックになります。


パニック」とは、便宜上そう呼んでいるだけで、「あれ」をどう説明すればいいのかずっと悩んできましたが、結局説明できません。
「あれ」は「あれ」です。
 パニック、恐慌状態、フラッシュバック、トラウマの再体験--といった客観的な言葉にしてしまうと、わたしの感じている主観的な大きすぎる恐怖は表現できなくなってしまうので(こんな用語を並べられてもわたしの恐怖が伝わってこないですよね)、難しいのです。

 その時のわたしがどうなるかも、客観的な説明になってしまうのですが、一応並べておくと、

・その場にうずくまって動けなくなる
・頭を抱え、目を瞑って耳を塞ぐ
・「ごめんなさい」しか口に出せなくなる
・もちろん泣きじゃくる
・近くにいる人、人の気配、視線、かけられる言葉、近づいてくる身体(手とか、一部でも)(わたしを案じたものでも。パニック状態でも言葉の意味は分かるので、そうだということは頭で分かっているのですが、でも恐いんです)など全てが恐くていっそうパニックになる
・その状態がたぶん短くても30分くらいは続く?(時間感覚がなくなっている上に、時間を確認する余裕がなくなるので、その「発作」がどれぐらい長いのかは自分でもよく分かりません)

 という感じです。

 この状態の時の恐怖があまりに大きくて耐え難いので、
 わたしはこういう状況にならないよう、常に自分にできることをしようとしています。


 つまり、

 人を怒らせないように「ちゃんと」しようとしたり(実際できているかはともかく)、
 人の顔色や気配を常に伺っていたり、
 他人がいるもしくは現れる可能性のある場所では、自分に危険が及ばないか常に警戒していたり、
 相手に合わせて話したり、

 こういうと軽い感じがしますがめちゃくちゃ負担がかかっています。

 上に書いたようなことは、単に「自分に自信がないから」などでそうなってしまっているのとは違います。

 気持ち的には命懸けです。

 わたしにとって、「パニック」状態に陥ることは、命の危険レベルに恐ろしいことなのです。

 また、上に書き出したようなことでは、正直わたしの生き方に染み付いてしまった回避行動(トラウマを受けた後、トラウマを想起させるような物事を避けること)はカバーし切れていないと思います。

 生き方レベル、無意識レベルにこの危険を回避する行動が最優先事項としてプログラムされているので、自覚もできないところでわたしは回避行動をとっていて、今はそれをいろいろ自覚してきている最中なんです。

 人が怖いので、誰かと親密な関係を築くのに苦労します

 というかそもそも、あまり人と親密になりたいと思うことができません。

 それ以上に「疲れる」と思ってしまいます。

 でも、本当はそんなこと思いたくありません。

 友情や友人関係を心地よく思えるようになりたいのに……

 一人でいるのが一番安全だと思っています。

 いやもちろん、一緒にいて心地よいな、とか、話しててたのしーい!と思える友人はいますよ!(友人各位安心してくれ!!!)

 ただ、友人関係や親密な人間関係に対してすごく負担を感じてしまうのが嫌だなぁと思っているということです。

 あまりこういうことを自己診断してしまうのはよく無いのですが、
 あくまで目安(?)(わたしの状態を説明しやすくするために、イメージしてもらいやすくするために)として言うと、

 PTSD(C-PTSD) トラウマ
 回避性パーソナリティ障害

 に重なるところがありそうだな、と考えています。

 昔は不安障害と診断されたこともありました。
 まあ、不安ではあります。いつ「パニック」状態になってしまうのか常に不安なので……

「パニック」というとパニック障害が連想されると思うのですが、
 わたしの「パニック」にはトラウマのフラッシュバックというきっかけがあるので、パニック障害とは少し違うかな、と思っています。

 もちろん今書いたことは全て素人の判断なので、あくまで自分の状態について考える参考程度として考えています。

 精神科にかかる気は……正直、高校時代に通院していたことがあるのですが、かなり……めちゃくちゃ……あんまりアレ(極めて曖昧な表現)だったので、今のところまだちょっと、かかる気はないかなって感じです。

 そもそも、トラウマを早く克服したい!って思うのもそれはそれで回避行動な気がするんですよ……

 前まではもちろんそう思ってたんですよ、早く克服したいって。

 ……でも、ちゃんと「こわかった」「それだけ傷付いたんだ」ってこともまともに取り合ってあげてないまま、「トラウマを克服したい!」って昔のわたしは思ってたんで。

 それってめちゃくちゃひどくないですか?

「トラウマトラウマ騒いでうるさい、おまえなんか消えてしまえ」って、
 インナーチャイルドだか真我(ハイヤーセルフ)だか子宮だかイド(エス)だか、
 とにかく「本当に自分の言いたいこと」であり「過去の救いきれなかった小さなわたし」に対して、
 そんなひどいこと言ってるのと同じだと思うんですよ。

 そんなことはもうしたくないので、焦るのはやめておこうと思っています。

「こんなこと」でトラウマだって言うの、正直未だに怖いです。

 でも、きっかけがどんなものであれ、
 わたしの身体はそれをトラウマとして保存してしまって、
 そのせいでわたしは色々人生大変なので、これはトラウマとして充分と思っています。

 今まで、このことは、正面切っては誰にも話せませんでした

 ブログにも過去に何度か書いたことはあるのですが、あまり自分で書いていても手応えがなかったことを考えると、
 ちゃんとトラウマと名付けて向き合いきれていなかったのだと思います。

 まだどこかで、「ま、そうは言ってもね、大丈夫だから」という、過去の自分に対して不誠実な強がりがびっしり張り付いていたことでしょう。

 思考の癖、生き方の癖とは厄介なもので、「怒られるのが恐い、ものすごく恐い」というのが自分の根幹に関わる部分だとは、人生の中で何回も気づいていながら、
 その度に気づかないフリをしたり、
 強がってやり過ごしたり、
 別のことに意識を向けたり、ということを繰り返してきたので、
 もういい加減辞めたくてこのブログを書きました。

 でも、また繰り返してしまうんじゃないかとは思います。

 こういうのはたぶん、何か劇的に変わるというものではきっとありません。
 一歩一歩、自分の足を止めながら、思考の癖、生き方の癖に流されないようにしていくしかないのです。

 わたしはもう自分の本心を裏切りたくありません。

 どんなにカッコ悪いわたしになっても、今度こそ、この子を守りたいです。

 たぶんこの決意表明、あの子はかけらも信用してないんですけど。

 でも、その気持ちは当然ですよね。

 わたし、こんなにもあの子を裏切ってきたので。

 行動で示すしかありません。

 最後まで読んでいただいてありがとうございました。

補足

 念のため書いておくと、両親はちゃんとわたしのことを愛してくれてたし応援してくれてたしくれてるなあって思っています。
 そのことと、わたしがトラウマを抱えたということ、それは矛盾なく両立することだと思っています。

 このブログに書いたようなことをわたしが感じているからと言って、両親に対しての感謝とか愛情とかも、別に無くなったり嘘だったことになったりしません。
 こんな面倒なもん押し付けてくれやがってという憎悪と併存しています。

 親と子の人間関係はとんでもなく難しいです。

 わたしのトラウマは、親の言動がきっかけだったとしても、もうわたしの問題なので、親の責任だとは思いません。

 相手にとって何がトラウマになるかなんて分からないですよ。
 暴力とかはもちろんダメですけど、そうじゃなかったらもう、分かんないじゃないですか。
 うちはそういうケースだったんです。

 たまたま、巡り合わせで、わたしは今こういう状況にある。
 それだけです。
 誰が悪いとかじゃない。

 かといって別に許す(水に流す、不問に付す)ことはしませんけど、このわたしの状態の責任を取れと言うつもりはありません。

 そんなん言ったって、自分の心と身体のことなので、自分しかどうにもできないのですから。
 他人には見ることも触ることもできない問題です。

 ってか、両親は優しいので責任を取ると言ってくれるかもしれませんけど、別に、それ信用できませんし。それで何とかなっていたら、とっくになっている問題なんです。
 それに、親には自分のために生きて欲しいので……。
 わたしめちゃくちゃ良くしてもらってるなあと思うからこそ。
 そんな感じです。

 愛されているけど、めっちゃ傷付いた。

 っていう認知的不協和に、わたしは長いこと耐えられなくて、それでトラウマを軽視していた部分も絶対あります。

 でもやっと、この不協和、矛盾してるけど矛盾してない、ってことを受け入れられるくらい大人になったので!

 今までとは違うことになれば、いいなあ……と思っています。

今度こそ本当に終わりです。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

ストーリーテラーに嫉妬。

そんな風に何かを物語れてずるい。

わたしは自分の身に何が起きたのか、全然語る事ができないのに。

終わったことみたいに(事実、物語は全て終わったこととして語られる)

(全て過去形で語られる)

何の意味もない事だったよ。

何の教訓も、

必然性も無いこと。

それなのにひとが教訓をつけて終わったことにしようとするから、

わたしもそうした。

本当は嫌だった。

わたしは全然納得できない。

納得するために、させるためにある物語なんてクソだ。

存在していいのは、

納得できなかったことを

記したものだけだ。

物語なんて全部ウソだ。

言葉にできない感情だけが真実だ。