Categories:

創作をしていると、それも頭で考えて自分の上に何か積んでいく方式ではなくて、自分の中にすでに溜められたものをすくい取る形で創作をしていると、順調な時は畑を耕すみたいにふかふかな感触とその中で芽吹くだろう種の成長を想うのを楽しみながら書くことができるけれど、時々ゴツっと手ごたえにぶつかることがある。

その手ごたえの正体は過去に解決できないままそこに置いておくしかなかったわだかまりで、人はそれをインナーチャイルドと呼んだりカルマと呼んだりするのかもしれない。

そういうものを否が応でも見つけてしまうことは、私にとって悪いことか否か。
自己判断では否である。

確かにその過去の残骸とも呼べるものを目にして蹲ることもあるけれど、創作をやめようとは思わない。
掘って、耕して、見つけて、掘り起こすのを繰り返すのは、それこそが人生なんじゃないかって思うから。

要するに物を作ることは私にとって生きた心地を取り戻すことなのだ。
地に足つける、とも言う。
なくてはならないものだ。

心は、普通のかすり傷みたいに、瘡蓋ができたら何もせずにそっとしておけば傷が治るというものではない。というより、何もしないでいたら庇うことやその傷への刺激を取り除くことができないので、そっとしておくことはできない。
結局逃げ続けても向き合わなければ繰り返す。
実際私は繰り返してきて、もうそろそろうんざりしているし。

だから物を作ることで、私は確かに前に進めているという実感を得ているのだろう。概念的な、人生における前進がたとえ幻想でも、形になる成果物は実際手にできている。

時折辛いことを掘り起こして、今日みたいにその余波でぐらついても、それも受け止めると決めたのだ。

ゆっくり、自分に寄り添って、長い息で続けていこう。
明日も。

なんて取り留めもないことけれど、ここに吐き出しておく。