ろまんす

 わたしの身体には子宮があるけれど、それは他の誰のためのものでもなく、わたしのものなんですよ。
 ねえ、ロマンスって何でしょう。恋愛って何なんですか。

 わたしは好きな人には優しくしたいんです。好きな人のことは大好きです。好きな人を大切にするの好きなんです。でも、好きな人って一人選ばなきゃいけないんですか。深い共感を寄せる相手とか、心を通わせられる感じのする相手とか、なんとなく家族に似てるような相手とか、それじゃダメなんですか。そういう人はたくさんいて、だからわたしは幸せだなって感じるんですけど。友だちとか親友とか知り合いとか仕事仲間とか恋人とか家族とか、人間をそういう風に分類することにどれほどの意味があるんでしょうか。

 友だちで親友で知り合いで仕事仲間で恋人で家族、そのどれでもある、そんな人たちたくさんに囲まれてる、じゃダメなんでしょうか。
 唯一とか、この人とか、決めなきゃダメですか。

 お話を書いていて、主人公がそういう子だったんだけれど、書いていくうちにわたし自身もそうだったなって気がつきました。
 大切な人は誰のことも同じくらいとっても大切なんです。変われないし、変わりたくないし、誰のものにもなりたくないし、なれないんです。自分は自分のもので、究極的に一番大切にするべきは自分だけって知ってるんです。

 でも、わたしはいつかこの自分の子宮を誰かにあげるんだと思って生きてきた。女の子として生きてきたから、かな。
 恋愛したいなって思った時はいつも、この人にならあげてもいいかな、って思える人を探したけれど、それが本当の好きってことなんだと思ってきたけれど、多分、どこにもそんな相手はいないことに気づいちゃった。

 だってこの子宮はわたしのものだもの。好きだからあげられるわけじゃない。あげられないのはそんなに好きじゃないからだって言われても、いや、好きは好きなんだって。「唯一」にはできないよってだけで。
 だってそんなの勿体無いじゃない、他にも並行して愛せるかもしれない人がいるのに、わたしの愛はソールドアウトですなんて言うのは。

 どんなに好きな相手でもあげられないものがあって、それがわたしの子宮なんです。子宮。それってつまり何のことなのかはよく分からない。つまりわたしの存在?愛?自由?「わたし」? こだわり? みたいなもの。

 つまりね、縛られたくないんですよ。

 愛しているかとか、好きなのかとか、そういうことを盾に取られて脅迫されたくない。

 芸術や創作についても全く同じで、好きなら〇〇できるでしょとか、やりたいなら〇〇すべきでしょとか、そういう言葉で追い詰められてく人々がたくさんいる世界にわたしは生きている。と、思う。
 まして恋愛ともなれば、もしかして恋愛についての全人類の悩みは(とまで言うと広げ過ぎかなあ流石に、でも、)そういうことなのかもしれない。と思う。

 真実の愛なら何だってできるなんて、嘘だよ嘘。っていうか、何だってできなくちゃ成立できない愛の方が、そっちの方が真実とは言えなくないですか。

 恋愛じゃなくても、創作じゃなくてもそうなのかもしれない。何かをやりたいと、好きだと言うのなら、代わりに何かを我慢しなきゃいけないとか、やらなきゃならないとか、そういう変な「責任」みたいなものがくっついてきて、何かそれで好きなことをやるバランスを取ろうとする。好きなだけじゃダメだと思う。何が好きなのかも分からなくなる。何をしたらいいのか考えて、それも分からなくなる。

 だから恋愛するの、すごく怖いんです。誰のことも信用できない。みんなわたしの子宮を狙ってると思ってしまう。わたしはふつうにできないし、変われないし、変わりたくないしやりたくないのに、それでもいいの、ほんとうにそれがわかってるの、ほんとうにわたしがいいの、それ、誰でもいいんじゃないの?
 うまくできる人にわたしはなれないよ、どんなにあなたを大切にしていても、って。

「愛してるなら頑張ってよ、変わってよ」なんて言わないで。頑張ってるわたしも変わったわたしも、わたしじゃないのに。

 そんなふうに頑張って一緒にいるのが尊い愛情なら、そんなものいらないって思っちゃうんです。

 わたしはふつうのことができないので、好きだったらふつうできるはずのこともできないし、できたとしてもやりたくないんです、好きなことに対してだってやりたくないことやできないこともある。どうしても曲げられないことがある。

 わたしはわたしに従うしかないんです、誰にも子宮を渡せないのなら。恋愛だってそうなんだから、きっと何においても。
 あなたの愛なんて大したものじゃないのねって誰に言われたって、わたしはわたしの愛を信じるんです。
 ふつうじゃなくて自分に従って、世界から徹底的に仲間はずれにされていった先に、もしかしたら何かがあるのかもしれない。

 でもやっぱり怖いから、いま、わたしは大きな穴を命綱を伝ってそろそろ降りてるんです。
 いつか不思議の国のアリスみたいに、思いっきり落ちて、落ちてる途中で髪を梳かしたり身なりを整えたりということができるようになるかしら。

 落ちた先に何があるんだろうね。地球の裏側は浪漫です。
 いつか行けるのかな。

 いつものわたしなら「行くんだ」って書くところだけど、ほんとはそれはただの強がりで、行きたいなぁ、行けるのかなぁ、うまくできないや、悲しいなぁ、って思ってるのが本音です。
 わたしの強がりはある意味拗ねです。「誰も助けてくれないからわたしはわたしでなんとかするから」って拗ねてます。
 助けの求め方がよく分かんないんですが、まあ、できないことややりたくないことがたくさんあるので、正しさで攻撃しないでください。戦闘機みたいにうるさくて耐えられないので。何が正しいかなんて分かってる上で、できなかったりやりたくなかったりで困ってるので。あ、戦闘機だと思えばいいのか。
 助け、お待ちしてます。