紫雲の竜に会った話。

 わたしは自分が「楽器の弾けない音楽家」であることを、今でも、長らく、常に気にしている。

 だからちょっとずつ弾けるようになってやるんだって、たびたび楽器に向かう。

 けれども、楽器を--特に大抵ピアノを--弾いていると、70%以上の確率でひどい気分になってしまう。

 昔のことを思い出すからだ。音楽をやるならできていないといけない譜読みもソルフェも楽器の演奏も、わたしは何もまともにこなせない。楽譜って一体何なんだ。何でわたしに分からない言葉で音楽について話すんだよう。わたしにとって楽譜は音楽じゃない、ただのテキストだ。わたしには分からない言葉がひたすら書いてあるテキスト。でも、その意味がわかるとそこに書き込みながら練習した方がわかりやすい時もある--いや歌の時限定かもしれない、だってそもそも楽器を弾きながら楽譜を見ることができない--そんな意味がわからない不親切なもの。でも、それでもわたしは今と同じようにかじりついて、やっぱりひどい気分になるし、ちっとも苦手は克服できないまま、辛い苦しいだけが積み重なっていく。だけど周りには、それが努力不足にしか映らないらしい。うまくできないのは努力が足りないからなんだとか。努力、わたしなりにしてるつもりなのになあ。そもそも克服しようと思わないことがわたしの努力なんだって思って、わたしはわたしのやり方でやるって思って居れば、それは開き直りだって、ちゃんと克服しろ、努力しろって言われて。泣きながら、泣くことも自分に禁じて平気なふりしながら頑張ったよ。

 だけど、当時わたしに厳しかった友人はもっと頑張ってそうだった。毎日疲れて大変そうだった。だからわたしにももっと努力してほしかったんだと思う。わたしに対してとかも関係なく、いつも疲れのせいでだいぶ不機嫌な、あるいは近寄りたくないタイプのお疲れオーラを出していることも多かったので、正直わたしは当時一緒にいるのが辛かった。だけど彼女のせいじゃない、わたしは彼女--と当時のお弁当グループ--から、いやひょっとしたらあの高校自体から離れる勇気が全然なかった。わたしもまた疲れていた。

 不機嫌な人が近くにいて心地がいいっていう人もそういないと思う。でも、わたしの拒否反応もそれはそれで非凡なレベルなのかもしれない。わたしは部屋がどんなに広くてもお互い話したり関わったりしなくてよかったとしても他に人がいたとしても、そういうオーラを放ってる人と同じ部屋にすらいたくない。同じ家にいたくないし、同じクラスにいたくない。関わり合いになりたくないし身内と認識されたくない。
 はっきり言おう、わたしは他人が近くにいるのに自分の刺々しいオーラを繕いもしない人間がとっても嫌いだ。勝手に周りが、特にわたしが気を使うということを知ってか知らずか知っていながらそれどころじゃないのか知らんが、非常に迷惑なのでとっとと失せてほしいと思うぐらい嫌いだ。というかわたしが退出するわけなんだけど。不機嫌な状態で存在するだけで迷惑なので、不機嫌でいるときは一人でいてくれと思う。気を使う使わせるだけじゃなくて、不機嫌な人がいるな〜〜〜って感じの雰囲気だけで公害なのである。
 そもそも、そういう思いを他人にさせることをよしとしている時点でわたしとは違う流儀なんだなと思わざるを得ない。わたしはそういう態度って、他人を粗末に扱っているように感じるので、とても嫌いだ。自分が粗末に扱われている感じがする相手のことを好きになることはできない。

 ただ、そういう人だって不機嫌な時は自分のことで手一杯になってしまうだけで、心底酷い人間というわけではないことが大半なので、その人を丸ごと嫌うと言うことでもない。でも、不機嫌な時だけは、わたしはその人の友達も家族も身内もやめてしまうだろう。そうしないと、こっちが嫌な気分になるのだ。

 不機嫌な時、人は不機嫌に乗っ取られているので、その人は不機嫌さんであってその人ではなくなるのだ。そして不機嫌さんはわたしの大敵である。撤退が吉である。

 ピアノを弾いていたらあまりにひどい気持ちになったので、自分の部屋に半ベソをかきながら帰って、叫び出したくなる気持ちを抑え、られなくて割と叫びながらパソコンを開き、自分の気持ちをメモに書き綴りつつ、不快な気持ちと向き合ってみた。あまりにもひどい気持ちすぎて、せっかくだから感じ切ってみようと思ったのである。こんなに強い気持ち、特に負の感情は久々だったので、これに向き合ったら何かがわかるかもしれないって直感したのだ。

 最初はこのブログの最初に書いたような、ピアノについての思いをつらつらと書くことになった。

わたしは音楽は好きだが、楽器を弾くのがとても嫌いだ。
本当は嫌いじゃないはずだ。けれど楽器を、特にピアノを弾いていると、音楽を志しているのに楽器も弾けない楽譜も読めないソルフェもできないことを克服しようとして自分なりに泥水を啜ったがどうにもならず、しかし努力不足としか周りに受け取ってもらえず、かといってわたしはわたしのやり方をするんだと居ても開き直りだと言われて辛かった時のことがうわーーーーーーっと蘇って、叫び出したい泣き出したい気持ちになる。
楽譜って一体なんなんだろう。なんでわたしにわからない言葉でわざわざ音楽を語ってくるのか。わたしにわかる言葉で話してくれ。頑張れば読めるようになるのかな。頑張ってきたつもりだけど足りないかな。わたしにとっては楽譜は音楽じゃない、ただのテキスト、わたしにはわからない言葉で書かれたテキストだ。そうは言っても何が書いてあるかがわかれば、そこに書き足していった方が練習しやすいんだけどね。結局楽譜見ながら楽器弾けないけど。
楽器を弾くのが嫌いなんじゃなくて楽譜を読むのが多分嫌いだ。嫌いな曲を弾くのも嫌い。できるようになりなさいなんて自分に言う必要はもうない。たぶんこれ、数学の問題わからないくせに答えも見ずに自分で考え続けて分からなくてブチ切れてるのと同じことが起きてる。嫌な気分になるってことはめっちゃ不正解ってことだ。楽しくやるのが正解、誰かの言うことなんて気にすんな。
古典派の音楽嫌い。うまいこと言おうとしてんじゃねえよ!!!!!って思う。
正しさなんて知らない。わたしはわたしのやり方をやる。わたしが楽しいのが正解。
わたしにとってピアノ弾くことはあの時のあの友人に出会うことで、それがすごい辛い
いろいろ感じちゃっていろんなことが不快で辛い
気にしなきゃいいんじゃなくているだけで不快
不機嫌な人近くにいるだけでめっちゃ不快なんだよな〜〜〜〜〜

 まあこんな感じである。古典派の音楽が華麗に巻き添えを食らっているが気にしてはいけない。

 けれど、不快の根元が、どうやら楽器がうまく演奏できないことではなくて、楽譜--もしんどいけれどそれだけではなくて、友人に対しての気持ちが残したしこりにあるということを感じ取ってから、メモの方向性は変わっていった。

 重ねて言うが、わたしはその友人のことが嫌いなわけではない。不機嫌なときは嫌いだが。でも、嫌いではないから当時も離れられなかったのである。色々と溜め込んで爆発して、自分も彼女も周りも巻き込んでヒステリーを起こしてギャン泣き絶叫して大恥かくほど溜め込む結果になってしまったが、それでも当時は彼女と仲良くしたいと思い続けていたからこそ離れられなかったのである。

 わたしは自分の想いを言葉にするのに、しっくりくる言葉を何度もとっかえひっかえしながら探した。
 どうしたら気分がスッとするのかも、いろいろな案を自分に提案しながら探した。

 その過程で、わたしは気づいたら目を閉じていた。
 彼女を害したい?
 NO。なんか別にそれで気が済む感じではない。彼女のことが嫌いなわけじゃないので、傷ついてほしいわけじゃない。むしろ彼女が傷ついたらわたしは今でも心配する。
 怒鳴りつけて詰りたい?
 YES。怒りをぶつけたい気持ちはある。当時の彼女に、であって今の彼女は関係ない。怒りはまだあるんだろうな。
 自分を粗末にされたと感じた?
 YES。
 全体的に、暴言は吐きたいが傷ついてほしいわけではない、という感じで、本当に自分の怒りと不快感を何か消化する方法があるみたいだった。

 彼女が憎いわけでも嫌いなわけでもないので、なんというか、やりかえしたいとか、そういう感情があるわけではないのだ。ただそれはそれとして不快さをどうにか消化(昇華)したい。それで一体自分がどうすればスッとするのかがわからなくなって、一度、自分の肚の方に落ちたその不快感の塊みたいなものをじっと、目を瞑って感じた。

 さっきまでわたしの世界を覆い尽くしていた泣き出したくなるような不快感が、言葉にして形を与えていったことで濾され、どろっとしたかたまりのようなものをわたしの肚の方に残していった。

 そのどろっとしたかたまりは、仏像みたいな、石膏とも木とも粘土ともつかない素材でできた、黒に程近い鈍い鈍色につやのある、人の形を象った物体だった。

 その物体のイメージをまた描きながら、わたしはその物体をどうしたらこの不快感が消化されるのか、色々と自分に提案して探っていった。
 罵るのでも、燃やすのでも、叩き割るのでも、叩きつけるのでもない。

 わたしはその仏像(?)を、イメージの中で、ばきり、と二つに折った。

 その瞬間、何かがすっきりしたような感覚が訪れた。
 わたしの肚にはまだ、標準的なマスキングテープの1ロールよりちょっと大きいぐらいのサイズ感の物体、みたいな不快感が残っていたが、仏像(?)は間違いなくそこで役目を終えたようだった。
 そこにもう、不快感はこもっていない。二つに割れた後の仏像は、確かに重量はあるとしても、ただの抜け殻だ。

 では、この残った小さな最後のしこり、これはいったいどうすれば良いのだろう……

 わたしはなおもその肚の感覚に集中して、その不快感をつぶさに観察した。

 観察しても観察しても、それを一体どうするのかがはっきりしない。そもそも、どのような物体なのかがはっきりしない。箱なのか、円盤なのか、玉なのか、材質もよくわからない。仏像よりは明るい色で、多分白い。形もよくわからない--と思っていたら、どんどん筒状に伸びてきた。筒はだんだん緑色になって、そして、……いつからか、紫色の竜になった。

 紫色の竜は頭がいくつもあって、そのいくつもある頭が、どんどん遠くに伸びて、何かに巻きついていく。次々と伸びて、巻きついていく。頭の数は数えていないが、多分2の倍数。6本かな?と思ったけど、8本か、ひょっとしたら12本かもしれない。

 何だ何だ、竜が見えるとかいよいよやばいかもしれない、と、わたしは頭の片隅で思いながらも、その光景をずっと見て、そして、ふと、俯瞰したような目線に立ったとき、竜が何に巻きついているのかがわかった。

 それは地球だ、と、まず直感した。

 惑星ひとつぐらい、これは大きさではなくて、エネルギー値とか質量(物理的な意味じゃなくて歴史の重さや命の密度みたいなそういう意味)の話になるが、惑星ひとつぐらいの力を持った、オレンジ色と薄緑色がグラデーションになった宝珠に、紫の竜のたくさんある首がいっぱいに巻きついていた。

 その、宝珠の部分が、地球だ、と思ったのである。

 わたしはその画を、またしばらく見ていた。

 そして気づいた。
紫色の竜が、わたしを守っている?」と。

 地球だと思ったオレンジと薄緑色の宝珠は、これはひょっとすると、わたしの不快感を封印したものなのかもしれない。
 紫の竜は、自分のたくさんの頭で巻きついて、あの不快感を封印してくれたのだ。

 記憶を封印、というと、逃避や抑圧のように感じるけれど、竜の封印は少し違う。竜はさらに、わたしに教えてくれた。わたしは、わたしの音を鳴らせ、と。
 それから、楽器を弾くときはきっとじきに来る、それはわたしが愛している人のために弾く時だ、と。

 

 わたしは長らく、楽器が弾けない自分じゃダメだと思っていて、そんな自分を変えるために楽器を弾こうとしていた。
 竜が封印してくれたのは、多分、そんな気持ちなのだと思う。

 楽器を弾く、つまり音楽をする、っていうのは、いつだって楽しいものなのだ。でも、わたしが楽器を弾こうとする理由は、長らく音楽を楽しむためではなくなっていた。
 竜はわたしを、そんな気持ちから遠ざけ、いつか本気で楽器を愛せるようにしてくれたのかもしれない。

 竜に言われたのなら仕方がないから、わたしはしばらく楽器を弾こうとすることもしないようにする。

 自分の打ち込みの音楽を否定することもしない。
 竜が背中を押してくれたのだ。
 むしろ、打ち込みでどこまで行けるのか、打ち込みならではの作り込みを見せてやるつもりでいく。

 わたしの音、わたしが愛の中にいられる音というのは、それだ。
 それでとんでもなくいい音、いい曲、作って鳴らして地球を統べてやる。

 そしたら、色々と覚えなさいって押し付けてきた奴らの鼻もあかせそうだしね。笑

 

 そんな、とても不思議な体験をした日だった。

 昨日全身をセルフマッサージしていたら、感覚がかなり冴え渡ったので、それもあって、会えたのかもしれない。
 普段は目に見えない存在に。

 

 ちなみに、紫色の竜は「成就」とか「高貴」とか「癒し」「調和」「霊感」とかを表すのだとか。
 いやわかったようなわからんような…… 全部スピリチュアルなことだから何色の竜でも当てはまってそうな意味だなあってちょっと思った。
 それだけ霊感特化っていうか、一番ベーシックで重要な能力がめっちゃ高いからバランス良く何でもすごい系のステータスなのかもしれないけど。

 でも、なんとなく大物が出てきてくれはった感じはする。

 見守っててくれてる、のかもしれない。

 それと「紫雲」は仏教用語で、往生の時に仏が迎えにきてくれる時に乗ってる雲のことらしいですが、それとは関係あるのかないのか、紫の雲の竜、我は紫雲の竜みたいなことを竜が言ってたのでそのまま書きました。わたしだって自分が何言ってるかわかんないけどわかんないのに聞いたから逆に言わないとじゃん……。