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 わたしはどこにも馴染めなかったし、
 ふつうに生きていくことはとても辛いし、
 これからどうやって生きていけばいいのか全くわからないけれど、
 とりあえず一つ一つ、目の前の「ああしたい、こうしたい」を叶えてあげていくことにする。

 もしかしたらその先に、わたしの生きられる道が開けるのかもしれないから。
 だってそうじゃなかったら、どうしてこんなふうに生まれてきたのか、どうしてあんなふうに生きてくるしかなかったのか、わからないじゃない?

 具合が悪い時ほど焦ってしまうから、どうせ幸せになれるんだから心配することないって言ってあげたいです。

「やるべきこと」で頭がいっぱいになって、自分で自分を追い立ててしまう時はいつも、
 満ち足りた草原の中で、いい匂いのする空気を吸って吐いている自分を思い浮かべる。
 身体や心が苦しいときはいつも、
 穏やかな天気の森の小屋で、窓際のベッドで、カーテンが揺れる音を聞きながら目を閉じて横になっている自分を思い浮かべる。

 隠居したい、仙人になりたい、天国に行きたい、楽になりたいって思うことが何度も何度もあるけれど、
 きっとちゃんと実現できるから心配することないって言ってあげたい。

 ……って、生理や体調不良のたびにとんでもない精神状況になるのが辛すぎて、どうやったら回避できるのか考えちゃってるけど、
 それもまた、どうせ沈んでも戻ってこられるから心配することないってことなのかもしれない。
 むしろ、思いっきり、肚を据えて、悲しみまくれよ、ってことなのかなあ。

「みんな」の……「みんな」はいないんだろうから、「みんな」ってことにされてる社会的な”標準”ってやつの「ふつう」は、わたしにとってはとても暴力みたいなものらしい。
 なんでこんなに疲れやすいのか、なんでこんなに感情に浮き沈みがあるのか、わかんないけど、
 わたしにとってはこれが通常だし、自然なの。
 そこにあまりメスを入れるのは、わたし的には納得いかない。 

 この感情の沈みがどこから来るのか、これは何の意味を持つのか、わたしは確かめてみたい。意味もなく湧く感情なんてないと思うから。

 わたしはわたしのところに湧く感情や感覚や直感の全てを大切にしたいの。
 この20年ちょっとの人生の中で、あまりに呑み込みすぎてきたから。もう呑み込みたくない。

 そっちを大事にしたらどうなるのか、わたしは今を生きて、実践してみるね。

 どうなるか、見せてあげる。

 

 きっとうまくいくはずだよ。