夏と子ども時代と魔法。

 空気の匂いに塩素(厳密には塩素自体の匂いじゃないらしい。汗と混じってあの匂いになるんだとか)の匂いが混じっているような気がする。咽せかえるようなという言葉があるけど、マスクのおかげでそれに拍車がかかった夏の晴れた日の中を歩いて買い物に行った。

 毎年夏は情緒がおかしくなる。それはこの空気の匂いのせいだし、夏の光が眩しすぎて綺麗すぎて透き通りすぎているせいだし、今日はまだだったが切実すぎる蝉時雨のせいでもある。蝉時雨って言葉ってちょっと詐欺だよな。蝉の時点で時雨じゃないんだが。いやまじで全然時雨じゃないんだが。エレジーだよな、どう聴いても。と思う。四方八方から投げかけられる、七日間の命の歌歌いのエレジー。そりゃ感傷的になって当然なのだ。

 感傷的ついでに、塩素(便宜的にそういうことにする)の匂いに引っ張られて子どもの頃のことを思い出した。

 もう昔ほど自分の経験を引き摺る気はないけど、わたしは小学校低学年までは天真爛漫な子どもで、でも実は家では両親の顔色を伺い、それが功を奏して大人に気に入られやすい子だったわけだが、それでもやっぱり天真爛漫だった。無邪気に、自分を守ってくれる大人たちの良識に包まれ、子どもらしい夢や希望や魔法や冒険に胸を躍らせていた。未来ある子どもに素敵なものを与えようとしてくれる世界の恩恵を得ていた。育まれていた。その時のことを思い出した。
 虫取り、かき氷、プール、地獄のシャワー、花火、夕立、一度も晴れたことがない夕涼み会、七夕の短冊、夏祭り、麦わら帽子、親戚に遊んでもらったこと、ゲームや漫画の中の冒険、キャンプで歌う歌。キャンプファイヤーで初めて火の粉が空に向かって飛んでいくのを見て、蛍ってこんな感じなのかな、って思ってたのを思い出す。保育園のお泊まり会で、車で近所のとある大通りを通った時によく見かけるけどなんなのかわからなかった「?」という看板の正体がお風呂屋さんの看板だったらしいことが判明し、そこのお風呂にみんなで入ったが、やっぱり「?」がお風呂屋さんの看板なのはおかしいよなぁと疑問に思うも、今となってはその看板も、おそらくそのお風呂屋さんもなくなってしまったから確かめようがないことも(ところが、確かめてみたらわかった! でも詳細を書くと地元がバレてしまうのでこれはわたしだけの秘密だ)。

「もう昔ほど自分の経験を引き摺る気はないけど」という歌い出しが宙に浮いてしまったが、この枕詞はわたしのそれ以降の不登校や不定愁訴……ようするに学校という空間に馴染めなかった歴史につながる。小学校高学年になってからというもの、わたしにとって学校は、わたしを育んでくれる場所から、わたしを閉じ込める場所になってしまった。
 それを周囲の大人のせいに、今までのわたしはしていたわけだが、まあそうは言ってもやっぱりこの国の教育制度には色々(政治的にも教育的にも?)問題はあると思うからそれは是正していくべきだと思うが、わたしの気質もだいぶそれには関わっている。わたしは学校という空間にいるには、色々なことを考えるのが好きすぎたし、頭も良すぎたのだ。
 あとは、学校という場所が「立身出世」の場所に変わっていくのが、小学校高学年だったからなのかも、というのもある気がする。とはいえ、わたしは立身出世には興味がなかったが、勉強することはわりと好きだったので、その板挟みになっていた。勉強が好きだからと勉強ができる場所に行くと、より立身出世イデオロギーの中に飛び込むことになる、しかしそのイデオロギーはわたしにとって窮屈だし、異質なのだ。息を止めて水中で生活するかのような感じの時間が続いた。そもそもわたしはそんなイデオロギーの中に棲息すべき人間では、ない。出世に興味がないどころか、自分の王国を築きたい。……というか、だからこうして築いてしまった。このインターネッツの中に。

 だから、わたしにとって子ども時代や学校生活というものは、あまり、良いものではなかった。総合していうと。辛い時代だった。無力で、大人の許しがなければ何もできない自分が嫌だったから、早く大人になりたくて、何足飛びにも大人になろうとしてはすっころび続けた時代だった。

 でも、それより前は、やっぱり、家の中でビクビクしてたとかはあったにしろ、幸せな子ども時代だったんだ。
 そのことを思い出した。
 そして当時から、そんな時代はいつか終わってしまうということに時たま気付いては、嫌だ、いやだ、いやだ! って怯えていたことも。

 わたしはずーっと子どもの頃みたいな、ときめきと、わくわくを、忘れないで生きていきたい。

 魔法や妖精や不思議なことや夢や希望や冒険や、男も女も関係ない心の触れ合いを忘れたくない。 

 無邪気なわたしに戻るんだ、これから。

 小学校高学年から今まで、身に付けてしまった重くて窮屈なものを全部脱いで、また天真爛漫に戻っていきたい。たとえそれが、フツーの大人からは程遠くても、わたしはそれになることはできないし、それになろうとしたら病むということが分かった。
 身軽に、くるくる回りながら歩いて行きたいよね。この先は。

 子ども時代からずっとそれを信じ続けることは、残念ながらできなかった。
 というか、もしかしたらそれこそが大人になるための試練だったのかもしれない。
 これだけの集合意識、みんなが抱えている不安、そういうものを実感しても、学んでも、それでも、あなたは魔法を信じますか? という。
 信じるよ。魔法が使えるまま、夢は叶うし、いくつになっても冒険はできるって信じたまま、大人になる。そして、自分の魔法や夢や冒険をいつか子どもたちにも見せてあげられる方の大人になるんだ。

 子どもの頃、自分は魔法使いなんだって思ってた。ずっとそう言ってた。そんなことも忘れていたけど、魔法使いのまま大人になっても良いんだと思う。
 つまんないし、苦しいよ。魔法のない世界なんて。

 そのためにどうしようか、なんて、きっと頭で考えることじゃないから、一つ一つ試していくね。

 こうやってブログで、自分のこととか、自分の大事にしていることとか、自分を堰き止めているものについて書くのも、その一環です。もっと無邪気に、もっと魔法が使えるようになるための魔女修行。

 子どもの頃に見た夢の続きを、これからも見させてあげる。