建前を脱いだ研究

 成長痛、あるいは脱皮した抜殻のような卒論、卒制になってしまいそうだ。

 わたしは制作することと勉強することと勉強したものを著すことが一体となっている人間だ。そのことに気づくのも今更だったし、
 これまで力んで建前を作ってきすぎた。
 大切なのは、自分が感じていることと研究を結びつけることだったのに、自分が感じていることを研究から切り離して隠そうとしてきたツケが回ってきている。

 今、そうした建前たちを脱いで、地面に散らばる脱ぎ捨てられたそれらを見下ろして茫然としている。これらをいったいどうやって自分のものにすればいいのか。
 自分のものにするために、書くのか。

 どうしたら自分のものにできる?
 食べて、取り込んで、自分の血や肉にすることができる?
 わたしの中心を貫く、建前すらも一部としてしまえるような混沌とは何なのか。


 それはひとえに、「音と言葉と音楽でなにができるのか」だ。

 わたしはそれについて少しでも見聞を広げたくて、歴史を学び、偉大な芸術家たちの手法を自分なりに取り入れてきたんじゃないのか。


 ……卒論で挫けそうだ。

 わたしこんなに頑張ったのにダメだったの?って、涙が出そうになる。