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 このアルバムの7曲目の、「愛別離苦」をまた聴いて、この曲を作った時のことを思い出していました。

 大切な友人とお別れしたときでした。

 自分が何とも思っていない相手だったらどう思われようがどうでも良いけど、自分が特別に大切に思っている相手との別離だったので、とても悲しかった。

 それも、爽やかに吹っ切れるような、そんなお別れではなかったから。

 だから、そんな傷心の自分を慰めるみたいに、その悲しみに寄り添ってくれるような曲を作りたくて、

 真っ暗な夜の中に、真っ黒に見える川があって、その先は二手に分かれていて、頼りないわたしの船と、友人の船が流れていて、
 ふと見上げると星が澄んだ光を放ってちらちらと夜空に散りばめられていて、
 ほんのりと、温かく優しい炎みたいな光を纏った蛍や蝶が、そこここを飛び交っていて……

 そんな景色を幻視して、その景色に包まれているみたいな気持ちになりました。

 なんて言ったらいいのかな、等身大の人間としての気持ちは、とても悲しい。
 それだって全く否定しようがないし、否定なんてしない。

 悲しんでいるわたしを慈しみたい。

 ただ、同時に、きっとこの別れにだって、広い視野で、高い視点で見たら、絶対に意味があるから。

 その光景は、わたしにそう語りかけてくるようでした。

 だから、真っ暗で、見えるものなんてそんなに無いけど、気配や、手触りや、音や、光たちが、
 わたしに寄り添ってくれて、
 わたしはそれらと共に、別れ、離れていく友人の道幸を祈りたくて、

 そんな、わたしに寄り添ってくれる存在たちをストリングスで、
 澄んだ、ひんやりしているものもあれば温かいものもある、そんな光たちをピアノで表現してみようって思いました。

 音数は少ないし、編曲もシンプルすぎるくらいシンプル。
 真っ暗だけど、自分を包み込んでくれる世界だから、静かだけど何かの胸に抱かれているような、そんな音を作りました。

 歌うときは、その、わたしが幻視した世界を思い浮かべながら、友人に向けて歌ったつもりです。

 今、その時と少し似たことが起きてしまっていて、だから、改めて聴き返していました。

 わたしは自分の感情に浸るのが、言ってもそんなに得意ではありません。

 すぐ「あ、これをすればいいんだ」とか、「あ、じゃあこう動けばいいじゃん」みたいに、解決策を出してそれに邁進しがちで、その前の「自分の感情をちゃんと感じてあげる」を、雑にしてしまいがちです。

 だから、その時の自分の感情にぴったりの曲を聴くことは、わたしにとって、「自分の感情にしっかり浸って、自分の相手をしてあげる」ことを、とても手伝ってくれます。

 自分の曲を聴くこともあるし、思い出の曲を聴くこともあります。

 わたしの曲が、誰かにとってもそういう曲になれていたら、なったら、わたしはまた一つ自分のシンガーソングライターとしての本懐を遂げられます。

 曲を聴いて、「ああ、自分、こういう気持ちだったな(今こういう気持ちだな)」って、しっかり浸って、
 その浸った時に湧いてきたことをこうしてブログに書いたりだとか。

 例えばそういうことが、自分の感情を自分で抱きとめて、慈しんであげるってことなんじゃないかって。

 もちろん方法はこれひとつじゃないですよ。
 ただ、わたしが今一番合っている方法がこれなんです。

 音楽は、人に感情を許可してくれる力がある。

 思えば、わたしは曲を聴くだけでなく、曲を作ることによっても、「自分の感情を感じ切る」をやっているのかもしれません。

 あの、詩を書くときの集中力。
 あれはまさしく、自分の感情の海の中に深く潜って、海の中の世界を探検するようなものですから。

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