どうして心は乾くのかな。
干上がってしまうのかな。
どこにも流れていけなくて、そこで蒸発するしかなかった水があったからかもしれない。
流そうとしたら拒絶されてしまって。
占いによると、わたしの愛は人を追い詰めるらしい。笑
何か悲しいことがあったとかじゃなくて、
今悲しい気持ちだから、悲しかったことについて考えてるだけ。
「愛と情」で、「乾いた陽と風の中に」って歌ったけど、
乾いているのは陽光だけで、
裸足のわたしを包む砂は、温かさと心地よいしっとり感を持っていた。
たくさんの旅人が歩いてきた砂だ。
陽光をたっぷり吸って熱い。
まだ水は見えないけど、必ず水に生かされている、そんな光景を歌っていたんだな。
愛したい、愛されたい、って思うのは、それだけで飢餓感を呼ぶから、あるいはそんな気がして、思わなくなる。
そして、乾いていくのかもね。
もういいよって諦めて口を閉ざした。
そんなことが、まだまだ、たくさんあるんだな。
普段生きてるだけじゃなかなか気づけないけど、
わたしはでもそういうことに気付く感度が(困ったことに)かなり高いみたいで、
それが社会的には病気ってことになっちゃったりするのかもしれないけど、
わたしはただ自分の魂の課題に気づいちゃうだけだよ。
本当の声が聞こえちゃうだけ。
うん、叶えたいと思って動いたら、その結果傷ついた、そんな落っこちた願いがあるから、
「叶えたい」すら諦める。
「叶えたい」こそが水源なのに。
だから干上がってしまう。
そういうことなのかも。
そのために願うんだね。
潤うために。
わたしの願いは、
……あぁ、
わたしの世界を全て美しくしたい。
そんなすごく傲慢な願いだ。
善意を押し付けたり愛を押し付けたりするのもそのせいで、うわあああ。
拗れたり諦めたりしないんでほしいんだよ、
大事だと思った人には特に。
でもそれって暴力かな?
押し付けかな?
だけどさぁ。
苦しいんでしょ。
わたしは苦しんでて欲しくないだけなんだけど。
お節介だけど、
実際に実行に移すかはともかくとして、
これが自分なんだってことをまずは知った。
あんまり抑えすぎてもカルマるだけなのかもしれない。
抑えなくてもよくて、
だから抑えずにきた最近は、これが、本来の流れだから、色々潤ったのかも。
劇薬女。
わたしに愛されたら最後みたいな。
何一つ諦めなくていいんだね。
そういう風にやってみようと思う。
つまりさ、乾きは諦めの積み重なりだって言いたかったのかも。
むしろ諦めを「できる」に変えることこそが、使命なんだと思う。
だからその諦めが生まれたっていう、宿命。