視覚表現が苦手だよという話。「一人称」と「三人称」

 何回同じことで悩むん? ってくらい定期的に悶々と悩んじゃうことがあって、これはブログにして頭整理したほうがいいなって思ったから書いてみる。

 タイトル通りなんだけどね、自分の作ってるものをアピールする方法として視覚表現ってやっぱりついて回ると思うし、視覚的に自分の世界観を表現できる人を素敵だな、すごいなって思うから、自分もそうしたい気持ちはあるんだけど、視覚表現が苦手なのね。

 去年、そこを強化しようと思って、学校でそういう授業も取ったんだけど、やっぱり苦手なまんまで。

 というのは、わたしはそもそも、三人称的に見せられる映像にしてしまったら、自分の世界をそういう見せ方にしてしまったら、何か自分のやりたいことから逸れる感覚っていうのがあってさ。

 わたしはもともと聴覚偏重型の人間な自覚があって、
 耳で聴いたり文章を読んだりして、そこで頭の中に流れてくイメージに良さを覚える人間だからさ、わたしの作品からもそういう形でイメージを感じ取ってもらいたいんだ。

 でも、そこですごく客観的な三人称の映像として世界を見せられちゃうと、そっちの、耳で聴いて自分の頭の中にイメージが現れる、って方の回路を塞いでしまうと思うのね。

 そりゃそうだ。目の前を通り過ぎていく映像があるんだから、そっちに集中するよ。自分の中で映像を生成している場合じゃない。映画を見るときの見方っていうのもこういう見方なんだと思う。ほら、ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』の中で、「散漫な状態での受容」って言ったみたいに。
 目の前を流れていく映像を触覚的に受容すること--の方に意識が向くし、それが映像の受容の仕方の、現代人が持ってる基本的モードなんじゃないかな。
(ごめん、昨日遅くまで難しい文献読んでたから、言い回しがその文献に引っ張られて面倒くさくなっちゃう)

 じゃあどうすっかなって考えてたんだけど、ここでもう一つ、わたしが最近考えついてた概念について語ってしまうね。

「一人称」と「三人称」ってやつ。
 これは完全にわたしの創作論っちゅーか、わたしが創作するときに使えそうだなって思った概念でしかないんだけど。

「一人称」は、それこそ物語を聴いたり文字を読んだり、わたしの音楽を聴いた時に、聴いた/読んだ人それぞれの頭の中に想起されるイメージの世界。ひとりひとりが見る世界。

「三人称」は、客観的な、映画的に語られる他人の物語の世界。「桃太郎が猿と雉と犬を連れて鬼退治に行きました。船を漕ぎ出し、不気味なほどに静かで暗い水色に淀んだ海の上を、一行を乗せた船は進んでいきます」……みたいな。

 今、卒業制作に向けてマクルーハンを読んでいるから、彼の言う「聴覚的世界」「視覚的世界」っていうのにもリンクする考え方なのかもしれないって思ってるけど。

 この「一人称」のイメージと「三人称」のイメージをうまく組み合わせることで、わたしのやりたいことは遂げられるような気がしてるんだ。

 ちなみに、わたしがこれまでやってきた視覚表現……というか、作品を世に出すのに伴い使ってきた視覚的イメージは、大体「一人称」のイメージを使うことで出来上がってる。

 自分がその曲/作品を作るときに頭に浮かぶイメージの、一番根本的なものを、フリー素材の写真をお借りしたりして、聴く人にイメージを思い起こしてもらう助けにしようとしている。

 わたしのYouTubeチャンネルの動画一覧。
 ところどころわたしが使ったイメージでないものもある
(「歌ってみた」などは元動画を使わせていただいているので)けど、
上に書いた特徴がみられると思う。

 ただ、一部例外もあって、「一期一会」だけは三人称的なイメージをキーイメージとして使っている。

 このイラストは「ただのいちご」様に描いていただいたもの。

  それから、わたしの中でも結構しっくりくる映像の作り方ができたなって思っている(そしてめちゃめちゃ再生数も伸びている)「ヒトミ」は、

 たくさんフリー素材をお借りしている。ファウンドオブジェ的な使い方をしている……と自分では思っている。

 色背景に文字だけ、などの余白のあるパートと、走馬灯のような断片的なイメージの組み合わせで、映像を使っているけど一人称的な表現ができている気がする。
 ゲームに例えると、主人公の背を追うし主人公を中心にカメラを移動させられたりもする3人称視点(TP)ではなく、主人公視点の(FP)、なんなら主人公の姿形が全然出てこないあるいは意図的にぼかされている系のゲーム……抽象的だったり考えさせる系のゲームにありがちな……あるいはVR媒体のゲームとか。
(……いや、そもそも「一人称」「三人称」って考え方自体、ゲームの影響で思いついたのかもしれない)
 もしくはビジュアルノベルみたいな。

 そんな感じで、聴いた人が自分の想像の力を使って、自分の物語を体験できるような視覚表現ができたら最高だなって思っています。

 今は、「聴いた人自身の想像を邪魔しない→起点になる」表現がメインになっちゃっているので、
 例えば「ヒトミ」の方向性をもっと深掘りして、「三人称」のイメージの入れどころも模索したりして、自分の納得いく視覚表現の方向性も探っていきたいです。

 例えば今思いついたんですけど、「一期一会」のキーイメージであるイラストの女の子、あれは色んな人の心の中にある、「誰かに会いたいと思っている自分」の元型というか、象徴というか、人格のアイコンみたいなものとも言えるんじゃないかなって思ったり。
 例えばそういうやり方なら、「三人称」的なイメージもわたし好みに使えそうだなって!

 とりあえずまずは、画が抽象的なものであったほうがいい気がしています。サイトスペシフィックなものというよりは、記号論よりというか。
 わたし、象徴とか見立てとかメタファーとか大好き人間だし。

 とにかく、額縁の中に閉じられた世界の物事、っていうふうに観てもらいたくなくて、
 その中に人を巻き込みたい、人が飛び込むことのできる「環境」を作りたい、って感じなんです。

 ますますマクルーハンの聴覚的世界だなそれ。