見えない世界の叫びを聴いてた

 去年の夏も、情緒がおかしかった。

 この記事↓にも書いたみたいに、夏の光が綺麗すぎるからとか、青空と雲のコントラストが綺麗すぎるからとか、夏休みのキラキラした気持ちを思い出すからとか、色々あるけど。

 特に8月の上旬から中旬かな、「一期一会」を作っていたからそれに引っ張られたせいもあるのか、いや、でも「一期一会」自体がその気持ちを形にするために作っていたものなんだけど、そういう相互作用もあって、
 なんだかめちゃくちゃに切なくて、途方もなくて、晴れた夏空の下で、青空の下でも夕空の下でも、めちゃくちゃに泣き出したくて、叫びだしたくて、走り出したいような気持ちだった。

 

わたし、これでいいのかな?

わたし、ちゃんと生まれてきたみたいに生きられてるのかな。

わたし、ちゃんと行きたいところに向かって進めてる?

わたし、こんなふうに生きるんだったっけ?

 

 って、そんな気持ちが突き上げてきて、うわーーーーって堪らなくなって。

 今、わかったよ。

 

 わたしは本当は見えない世界や魔法が大好きだったのに、
 それを当たり前みたいに忘れようとして、
 忘れるのが当然なんだって思って生きていこうとしてたから、
 わたしの誕生日が近づくたびに、
 子ども時代には確かに信じられていた魔法の世界がわたしに語りかけてくるんだって。

 

 それに、夏ってお盆もあるし、異界との、魔法的な世界との距離がとても近くなる時期なんじゃないかって思う。

 だからやっぱり、わたしの心が叫んでた。
わたしをおいていけぼりにするの?」って。
 信じなければ消えてしまう妖精のような存在が。

 

「 幾億の夢の中でも わたしを見つけて 」
「 醒めない夢の中でも わたしを見つめて 」

 

 そっちの声に耳を傾けたらね、
 むしろ、醒めない夢とか幾億の夢って、わたしたちが人間として生きてることとか、それにくっついてくる「社会的な」要件のことの方なんじゃないかって思えてくる。

 昨日も書いたけど↓、それは、もちろん現実を生きていくためには大切な事柄たちだけど、
 でも、些末なことなんじゃないかって。
 ほんとうに大切なことは目に見えないことの方なんじゃないかって。

 自分でも、説得力足りないなって思うよ。
 わたし、若すぎるし。

 でも子どもの頃から、「あんたは感受性が強いから占い師とか向いてるかもね」って言われたりしてたし。母親から。
「ふわふわ(浮世離れ)してて心配」って言われてきたし。父親から。
 その片鱗はあったのかもね笑

 わたし、言祝ぎになりたい。

 見えない世界を、歌や言葉や声として伝えるの。

 そのためにわたしは、この声を、歌を、言葉の力を授かった気がする。

 占いとか霊視とか、もっと向き合ってみたい。

 だからってわけじゃないけど、祝祭について今調べてるんだ。
 大学のレポートにも、卒業制作にも活かせそうだから。
 わたしの前世にも関係ありそうだしね。

 自然には波があって、爆発するときと溜めるときっていう2つのシーンがシームレスに繋がっていくのがアナログな波ってやつなんだけど、
 それって「ハレ」と「ケ」とか、「祝祭空間」と「日常空間」とかにめちゃくちゃ似てるじゃん?

 というわけで、ちょっと勉強モード入ります。
 とはいえブログ魔はやめらんないので、また書くかもしれないけど。

 とにかく課題をやって、卒制・卒論にも目処が立ったら、占いとか霊視とか始めてみたいなあ。