年相応のダサさと背伸び

 結局わたしも、年相応の痛々しさを堅実に、十二分に、潤沢に、健全に積み重ねてくることができたし、これからもそうなのだろう。
 背伸びをして、大人になりたくて、”然るべき” 道を歩んでいたくて、知ったような口を聞いてばかりきたが--でもそれも仕方がないのだ、だってわたしは自分だけの答えを探したいたちなのだし、わたしにとっての正解を知っているのはわたしだけだし、それでも自分を信じられなくて不安になることだってあるから、そういうときは言い聞かせるしかないのである--結局、人間、人間として成長するためのカリキュラムを丸ごと全コース飛び級するわけにはいかないらしい。