プライドと、寂しさと、音楽と、わたし。【また、漕ぎ出す。】

 うぎぃゃぁぁぁぁぁあああああああああ

 発狂しながら、顔を真っ赤にしながら、思い切って書きます。
 音楽についての話です。
 また外壁が崩れてパカンとなったやつです。

 えっとね、わたしは音楽に対して頭が硬すぎたんです。
 そりゃ、何も回っていかないし、進歩も遅いはずだ。

 わたしは音楽を、自分の涙の結晶みたいにして作っていたけれど、
 そういう音楽以外は作っちゃダメって自分に制限をかけていました。

 だから、「わたしは他の音楽やってる人みたいに音を楽しんでるわけじゃないのかな」とか拗れたことを言っていたのですが、
 それを自分に禁じていたのはわたしだったんです。

 それに、「何か強く言いたいことがないと曲を作れない」し、
「言いたいことがあってもそれを形にしようとしたら重すぎて身体が動かない」って思ってたんですが、
 手持ちの材料に胸が躍っていなかっただけなんです。

「作曲」の考え方って、特に今の我々DTMerの考え方って、昔と変わっていて、
 今はどんな音色を使うか、どんな素材を使うかが命みたいなところあるんですけど、
 もっと「これで遊んでみたい」とか「これで曲を作りたい」って、素直に胸躍る素材や音源をちゃんと買っていけばよかった。
 そこをケチっていたんです。
 際限がないからって言って。
 それに、「そんなもんに頼らなくてもわたしは自力で……」とかいう意味のわからないプライドすら立てていたんです。
 そんな「自力」、ひよこが自分の未発達すぎる翼で羽ばたこうとするようなものなのに。

 一番、一番、お金をかけてあげるべきところにかけてあげてなかった。
 しかもそれ、自分の体力を使って音源分のお金を節約するみたいな発想なんですね。
 そりゃ、一曲作るのに疲れ切ってしまうわけだ……

 わたしの編曲スキルは、これ以上今の設備で高めようがないほど高まったはずで、
 だから、新しい投資が必要でした。
 ってか、DTM初めてもう7年?経つのに、使ってるものの価格帯がそんなに変わってないのっておかしいし。
 サンプルパックすら使うのを渋ってるのって、もっとおかしいし。

 サンプルパックっていうのは、すでにある音ネタがまとめて販売されてるものです。ドラムの音とか、楽器の短いフレーズもしくは1音だけとか、そういうものを、ミュージシャンが使っていいよ、それを使って自分の曲としていいよ、っていう、音楽の素材集です。
 あるいは、シンセサイザーなどを使って良い音を作る、そのレシピみたいなものもあります。

 でもなんか、その力を借りてしまったら、オリジナリティって出せないんじゃ……みたいな、素人みたいなことをわたしは考えていたんですね。
 みんなそれで曲作ってるのに!!!!

 わたしはわたしの感性のオリジナルさを全然信じ切れてなかったってことです。

 例えばなんですけど、画家は、素晴らしいメーカーの素晴らしい絵具と素晴らしい素材と素晴らしいキャンバスを使って作品を作りますよね。
 フラワーアーティストは、素晴らしい栽培者のお花を素晴らしいアーティストの花瓶や器に飾りますよね。
 刺繍家は、素晴らしいメーカーの素晴らしい刺繍糸と素晴らしい布と素晴らしい刺繍道具を使って、布に刺繍を施しますよね。
 料理人は、素晴らしい農園の素晴らしい野菜や穀物と素晴らしい牧場の素晴らしいお肉と……選び抜かれた食材を使って料理を作りますよね。
 生楽器の作曲家だって、素晴らしいメーカーの素晴らしい楽器を使って、素晴らしい楽器と素晴らしい演奏者のために曲を書き、彼らに演奏してもらうことで「曲」になるわけです。
 ってことは、PCで作曲をしようが、サンプラーなどを使ってリアルタイムパフォーマンスをしようが、DTMerだって、素材を使うのは当たり前なわけです。
 オリジナリティは、どう組み合わせるかでいくらでも発揮できるのですから。

 っていうか、わたしのオリジナリティを以てすれば、同じ曲の中に別のジャンルを同居させるぐらいのことは平気でやります。
 エレキギター主体のバンドサウンドなんだかアコースティックなんだか、ロックなんだかポップなんだか、みたいな。
「ヒトミ」みたいに。

 EDMかと思ったら急にロックになったり、ヒップホップかと思ったら急にクラシカルでエレガントになったり、とかも面白いよね。
 マスロック好きなので展開まぜまぜが大好物なのです。

 なのに、よくわからない頭の固さで、よくわからない不安で、良い素材を使って自分に楽をさせてあげることを渋っていました。
 他ならぬ音楽において。

 そんなの絶対ダメーーーーーーーッ!!!!!

 わたしは、自分のオリジナリティを信じています。
 じゃあ、むしろ、その根本の部分さえあれば、
 良い素材を使い、人の力を借りる部分を増やしていくことで、
 もっと軽く、楽しく、拡大できるでしょう。

 その時、大学1年生の時に読んだ、『捨てないパン屋』に書いてあったことが頭をよぎりました。
「良質な材料を使って、自分は手を抜き、80点を目指す」
 と。

 思わずKindleで購入してちゃんと読みました(昔は立ち読みだったので)。
「良い材料を使って、心地よく作れば、自分も、材料を作った人も、お客さんも、みんなハッピー」だと書いてありました。

 そうだったーーーーーーッッッ

「手を抜く」っていう言い方は引っかかる言い方かもしれませんが、「力を抜く」ってことだと思うのです。
「なんでもかんでも全部自分でやらなければ」をやめるってことだと思うのです。
 そしたら、今よりずっと幸せな気持ちで曲を作れるなってわかりました。

 

 ……でもね、ある意味、こんなに頭がガチガチになったのも無理はないんですよ。

 だって、音楽や作詞作曲は、昔からわたしにとって逃げ場だったし、友達だったし、死なないためのライフワークだったから。
「死なないため」っていうのは、「生きなければ」の原動力だったという意味でもあるし、「死んで自分が今感じていることも自分がいたことも全てなくなってしまうのが怖い」を克服するものだったという意味でもあります。「自分にしか書けない曲があるから生き続けないといけない」し、「わたしが死んでもわたしが作った曲は残るから、いつか死ぬことは怖くなくなる」っていう、2つの意味。

 音楽が、自分の孤独をわかってくれる存在だったから、変なプライドが溜まって当たり前なんです。
 そのプライドって寂しさだから。

「楽しそうにしてるみんなが羨ましい。だから人を楽しませる曲なんて書くもんか
みんなが楽しく『この曲良い!』って聴いてる感じがするからヤダ。流行りなんて嫌い! イマドキなことなんてやりたくない!」
「軽い気持ちでわたしの曲聴かないでよ! どうせわたしの気持ちなんかわからないくせに!」
「お前ら、軽い気持ちで曲を作ってんじゃねえよ!!!」

「大衆に迎合する」のが嫌なんじゃなくて、
 寂しさの裏返しだっただけなんです。

 でも今は、
 わたしの気持ちは、
 わたしの孤独は、
 わたしの思想は、
 わたしの真意は、
 わたしの真実は、
 わたしの深遠さは、
 わたしが一番わかってあげられているから。

 こうしてブログに書くこともできるし、
 それで十二分に満足できるぐらい。

 自分で自分をわかって、
 自分で自分を満たして、
 自分で自分を認めて、
 自分で自分を癒して、
 自分で自分を貫ける。

 だから、わたしの音楽を、もっともっと多くの人に届けていこうと思います。

 そうしても大丈夫なぐらい、
 今、わたしの孤独は癒された。

 

 ありがとう。

 

 

 

 これからのわたしにもご期待ください。

 

 いつも応援してくださって、ありがとう。

 

 宵部憂