大学に入る前、わたしは今よりずっと髪が長かった。
写真を取ったり撮られたりするのが苦手で、自撮りなんていうものも当時の私には文化としてなかったので、その頃の写真は、少なくとも、わたしのスマホにはほとんど入っていない。
だから、あの頃の私がどんな姿形をしていたのか、今となってはもう、あの頃のことを知っていて今も仲良くしている数少ない友人から話を聞くくらいしか、窺い知る方法はない。
髪を伸ばしていた頃のわたしは、とても陰気だったと思う。
見た目としてまず陰気だったけれど、いやでも、……どうだろう、結局見た目だって中身が少なからず反映されるものだから、中身も陰気で、重たかっただろう。そりゃそうだ。ずっと疲れていたから。
髪には神が宿る、っていうのは誰が言った言葉だか全然分からないけれど、たぶん、あの頃のわたしは神が欲しかった。
いつも何かに怯えていたから、見る者すべてを竦ませるような、重たい、ドス黒い神気、もしくは暗雲を纏いたかったんだと思う。「涼宮ハルヒ」シリーズの周防九曜とか、本当は憧れていた。
あと、おそらくは、刺激の多すぎるこの世界が、少しでも自分に直接触れることがないように、自分を守りたかったのだとも思う。
自分には力がある、と、本気で信じることができれば良かった。
暴力でも、経済力でもない、ただ生きて、それを知らしめることで強い光のように人を貫く力。
わたしはわたしのやり方で生きていいのだと、誰も教えてくれなかった。
わたしの奥底に溜まって、すぐにでも火を噴いてしまう遣り場のない怒りは、多分そういったことについてのものだと思う。
ふざけるな、散々騙しやがって、わたしはずっとずっと前から真実に気がついていたのに、気づかないふりをしてやったのに、この仕打ちは何なんだよって。
こんなことなら、とっとと一抜ければ良かったのに、それもずっとできなかった。
髪を伸ばして、そこにずーっと怒りと恨みを溜めた。時々恨みを歌にして歌った。それをもっと多くの人に届けたかったのに、そうすることも怖かった。
あの出来ることの少なさを、わたしは忘れられない。
だからわたしがいつか、誰かを導けるような存在になったら。
大丈夫だよって、言葉じゃなくて背中で示せるような存在になれたら。
その時やっと、髪の長かった頃のわたしは、恨みを真の力にできるんだと思う。
分かれよ、でもどうせ分かってくれないんだろ、じゃなく、
分かれよ、ふざけるな、おれはここにいる! っていう証明、
それも誰かに認めてもらうためじゃなく、自分が感じるための証明に。
そうしたらやっと、あの時のことは、あの時のわたしみたいな子たちを、つまり次世代を救うために、もう繰り返さないために、わたしがそれを止める人になるために起きたことだって、思えるのかもしれない。
きっとそうだと思う、わたしがそういう役回りなのは、それこそだいぶ前に察したもの。