久々にテレビドラマを見た。
物語っていいなあと思った。
現実は誰がいいやつとか悪いやつとか、正しいとか正しくないとか決まっていないし、はたから見る人にとってわたしは主人公として見えても悪役として見えてもおかしくない。
それなのに物語にしたら、一定の説得力を持って、主人公の正しさを人に伝えられるんだもの。
物語って難しいなあと思った。
何が正しいとか正しくないとか、そんな答えを出してしまいがちだから。
物語の中では、正しいと主張されたほうが正しいのだ。
でももはやいま、現実は、正しいとか正しくないとかがそんなに重要じゃないんじゃないかと思う。少なくともわたしは、正しく生きるより楽しく生きたい。誰に対しても正しいことなんてできないし、正しく生きようと思ってもがいたら、苦しんで、心を曇らせて、身体を壊したから。
わたし自身ずっと、物語を聞かされて、その中の正しい登場人物のように、あの人のようになりなさいって、物語を使った呪いをかけられてきたから(お説教の常套手段なのかもね)、そういうのが嫌いなのだ。
この世の恋愛というものがうまくいかないのも、一つには物語のせいだと思ってる。物語の中の恋愛は、理念的な恋愛は、一つの事例でしかなくて。それを理想だと思って同じようにしようとするからうまくいかないってことも多いんじゃないかって。大なり小なり。
友情と恋愛感情はどう違うのって、物語によって定義されてるだけじゃないのかな。
でも、物語って素敵なんだよ。
優しかったり優しくなかったりする世界で、優しかったり優しくなかったりする人たちが、いろーーんなことを考えて、いろーーんなことを感じて、いろーーんなことをやって、いろーーんなことが起きて、また考えて、ちょっとずつ何かが変わっていく。
そこが難しくて、現実では、無数に、無限に、それが重なり合っていて、しかも繰り返されている--時間的にも空間的にも意味的にも広がりが無限で。どう理解することも解釈することも保存することもできて、それがさらに重なりと繰り返しの一部になって……
それが面白いのに、一つの物語として描こうとしたら、その中の一つの見方を出してこなきゃならない。でもさ、ある出来事Xに対して一つの見方を打ち出したら、必ずそうじゃない見方もあるわけでしょ。そんで、そこから自分にとって良いものを選んでいい、ってわけでしょ。それが面白いのに。
それで、なんか、全然うまくできないや、っていうのが今の悩み。
むかーしむかし、書けない書けないって筆が止まる前の、何も考えてないといえば何も考えてないけど、邪念なくものを書き続けられていた小学校高学年の時の文章を、もう一度読み直してみてもいいかもしれないね。それで何かが見つかるかもしれない……しれないなあ。
好い加減、物語が書きたいんだよ。
だけどそのためには、この、物語という存在への愛と憎に対して、今のわたしなりの決着をつけなきゃならないんだよ。
でもちょっとここに書き出したら整理できてきたかも。
ありがとう。