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 わたしはCD時代末期、あるいはダウンロードの世代なのだと思う。
 あ、1999年生まれ、現在(2020/07/01)二十歳です。二ヶ月後に二十一歳になります。よろしくお願いします。

 そもそもわたしは、能動的に音楽を探して聴きはじめた入り口がボーカロイド界隈だ。
 いや、それよりも遡ると、イヤホンジャックを挿せるものからならなんでも音を収録できるおもちゃ↓からなんだけど。

 タカラトミーから出ていたミュージックパクトというやつだ。(多分今はもうない。後継機とか出てたりするのかなぁ?)
 しかもこれ、持ち運べるのである。つまり家の外でも電車の中でもどこでも、イヤホンとこれさえあれば音楽が聴ける。当時のわたし(小学3年生)にしてみたら実質iPodである。

 閑話休題。ボカロ界隈の話に戻る。
 当時は「にこさうんど」という、ニコニコ動画の音源をダウンロードできるサイト(著作権保護の観点から、わたしが中学に上がったあたり、2011年頃に無くなった)があったため、わたしが音楽を探して聴いて「手に入れる」場所はもっぱらそこだった。
 ダウンロードした音楽をiPod(親からお下がりをもらった気がする)にせっせと入れ、それが自分のコレクションであり宝箱になった。
 あまりにもダウンロードした同人楽曲が多すぎたため、自分で勝手に曲調から分類してアルバム名をつけておおざっぱに分けていた。
 あと、ちゃんと誰が作曲したのか、一曲一曲手で入力したりとか。
 その作業の全部が好きだった。

 当時はアカウントとか会員登録といったシステムが理解できなかったため、ニコニコ動画自体に入ったことはなかった。それに、動画を見る文化が自分にあまりなかったので、入れたとしても身体に馴染まなかったと思う。

 画期的だったのは、ニコニコ動画にはタグというシステムがあったこと。
 ボカロ界隈には、色々なジャンルの音楽を作る人たちがいる。タグから気になったジャンルの音楽を絞り込んで探すことで、色々な音楽に出会えた。
 それにタグは、ジャンルみたいなもともと決まった分類だけでなく、特定のボカロの扱い方とか(わたしは「レンの低音」タグが好きだった。鏡音レンは高音域中心に使われがちだけど、低音がものすごくカッコいいのである)「ききいる」「泣ける」「燃える」などのムードとか、ユーザーたちがふんわり名付けた属性も含んでいる。
 これがまた、たまらんかったわけですな。

 いわゆる「埋もれて」いる音楽すらも、めちゃめちゃ掘り起こして聴きまくった。
 他人からの知名度がなかろうとも、わたしにとっての宝石になるならばなんでもいいのだ。

 動画自体を見るでもなく、ただ音楽を探して、見つけて、聴いて、選んで、落として。自分の耳に届いた音楽と詞だけで判断する。
 音楽と一対一で向かい合うあの時間が、間違いなく今のわたしの人間性も、音楽性も作っている。
(……そう思うと、今は音楽と一緒に入ってくる情報が多すぎる気がしてくる……わたしが大人になったせいかな……)

 小学校高学年の、不登校しがちだった時代を、わたしはボカロ界隈の音楽とイヤホンに支えられて生きたのである。
 学校が苦しかろうと、わたしの不登校のせいで家が荒れようと、目を瞑って音楽を聴けば、そのときだけはその曲の世界に飛べたから。

 とはいえ、そもそも音楽を作った本人がダウンロードされることを望んでいなかったら、わたしのやったことは「盗み」でしかないし、違法アップロードされたものを聴いたことだっていっぱいある(ゼブラヘッド、ジャミロクワイ、パドル・オブ・マッドはそこで初めて知った)。にこさうんどがなくなるのはある程度仕方がなかった。

 というかその時代から、「音源がタダになっていく」は始まっていたのだな、と今思い返せば思う。
 お金も何もない小学生にあれだけ豊かな音楽鑑賞経験ができたのは、裏で、音楽が金にならない時代が到来したおかげだった、とも言える気がするのだ。

 その後、にこさうんどがなくなり、あとカゲプロ・kem氏・LastNote氏以後のボカロに馴染めなかったこともあり、邦ロックを聴くようになった。

 CDを買うことはなかなかできなかったから、TSUTAYAでレンタルしたものをiPodに入れて集めた。
 だから、CD自体が宝物になるわけではなかったけど、ダウンロードしたデータに、CDみたいな「所有できるもの」としての価値を感じていた。

 それで今、CDを買えるような大人になって、どんどん「CDで所有したい」に回帰しているところがある。あの時は金銭的に無理だったから。あと今はストリーミングが主流になってきちゃっているから、大事なものはフィジカルで持っておきたい、みたいな。
 あと!!!! 好きなミュージシャンに、今ならちゃんとお金が払えるから!!! 払いたいというのもとても大きい!!!!!!

 わたしは板挟みなのだ。
 CDじゃなくてダウンロードという、「音源が無料になる」時代の波の中にいたおかげで、小学生時代から豊かな音楽鑑賞ができた--完全に音源が無料になる時代の恩恵を受けた人間なのだけど、
 でも、「音源はプロモーションだから無料でいい、ライブやフェスでマネタイズする」という方向にはイマイチ馴染めなさを感じる。
 というのも、わたしは「音源」にとてつもない愛着を持っている、神秘性を感じてすらいるからだ。
 だから払えるもんならお金を払いたいし、無料でいいと割り切られるとモヤモヤするのだ!!!!!!
(なんかアライさん口調になってしまった)

 感覚過敏で「生」(ライブやフェス)に行けないというのもあるけど、
 わたしにとって音楽はずっと、「目を瞑って、イヤホンで、膝を抱えて聴くもの」、オルタナティブな現実/居場所だったわけで……
「音源はプロモーション、ホンモノはライブ」みたいなのには、わたしは賛成しかねるというか……
 少なくともわたしの音楽はそんなことないです。

 だから「音源」が「音源」として、神秘性を持ち続けて生き残るシステムが欲しい。
 でもお金のある人しか聴けないっていうのもイヤ。

 それで、復古主義的にYouTubeでラジオ的配信(自分の音楽を流しつつ話す)をしているわけなんだけど……

 まとまらなくなっちゃったけど、別にこの記事は何か答えを出そうとして書き始めたわけじゃなくて、この際だから、わたしはどういう立ち位置の人間なのか整理しておきたくて書きました。
 どういう立ち位置っていうのはつまり、CD世代なのか、ストリーミング世代なのか、みたいな話。

 結論としては、2020年に21歳を迎えるわたしは、
 CDもストリーミングも、気に入ったものをダウンロードして、iPodという端末に収集する人間でしたとさ。
 ダウンロード世代です。

 ……タイトル、「イヤホンとiPodとわたし」とかの方が合ってたな。
 でもこのタイトルの方が何書かれてるのか分かりやすそうだから、このままでいきます。

 読んでくれてありがとう。