「みんな」が「平穏無事」でいられるように、
「ちっとも平穏無事じゃない」という「みんな以外」の「まつろわぬ者」に土をかぶせ、
また土をかぶせ、
「鎮まり給へ」と祝詞を唱え、
それが現代の偉い大人のすることなのかよ。
怨霊はどこにでもいる。
ネットの中に、
誰にも見せない鍵垢の中に、
閉じこもって出てこない部屋の扉の中に、
わたしたちが息づく土の下に、
遠い過去から開かずの扉まで、
どこもかしこも、清算されず、抑圧され積み重なった声声に浸り切っている。
わたしたちはここにいる。
いつだって見ている。
いつだって、この不条理を、この恨みを、忘れたことはない。
どんなに輝かしい感動を、温かい絆を吹き込まれようと、
わたしたちの芯が溶け切ることはない。
確かに今の幸福を噛み締めるときを持ったとしても、
おまえ達のしてきたことを、忘れたことは一度もない。
わたしたちは鎮まらない。
おまえ達が呪いを解くまで。
此怨、不可晴哉。