初めて作った曲は、怨みだった。    次に作った曲は、処方だった。   ”自分を救う芸術” というのがわたしの得意分野なんだけど、わたしはまだまだ全然癒えていなかったことに気付かされる。  わたしは学校にも行きたくなか […]
痛さと芸術性は紙一重。 痛さは演技しているものを自分のものにしきれていないところから出てくるんじゃないか。   こうありたいっていう自意識、エゴ、印象をコントロールしようとする必死さが人に伝わってしまって、なんだか見てい […]
昔からステージに立つのは好きだった。 だってステージの上なら、いくらだって目立っていいんだもん。 いくらだって個性的でいいし、狂気的でいいし、劇的でいい。感受性豊かでいい。 舞台に上がるようなことにしか、わたしの取り柄な […]
自分が何を言いたいのかに本当に集中できていたらきっと、人からどんな反応が返ってくるかなんて気にならないのだと思う。   この間久々にカラオケに行って、久々に頭を空っぽにして歌ったら、やっと昔の感覚を取り戻せた気がする。 […]
Rainy Shelter Dwellersと真相(以下雨シリーズと呼称)は、それこそ「言いたくないことを言わないでいられる場所」を描いた作品だったのかもしれない。 やましいことを懐に抱えた自分が安らげる場所としての暗が […]
人を信じられないなら、今は信じられないままでもいいじゃない。 【連絡】:過去のブログのいくつかを非公開にしました。 というのは、今まで書いてきたことの全てを、誰にでも見せたいわけではないのかなって考えたから。 わたしは他 […]
 結局わたしも、年相応の痛々しさを堅実に、十二分に、潤沢に、健全に積み重ねてくることができたし、これからもそうなのだろう。 背伸びをして、大人になりたくて、”然るべき” 道を歩んでいたくて、知ったような口を聞いてばかりき […]
 祈るものがなくとも、作品を作ることはできるけれど。 自由を謳歌することへの歓喜さえあれば。  すなわち、芸術とは生の讃歌なのではないか?  生きて、世界に影響され、世界に影響することができる自由を、最大限喜ぶ行為、それ […]
 わたしは自分が「楽器の弾けない音楽家」であることを、今でも、長らく、常に気にしている。  だからちょっとずつ弾けるようになってやるんだって、たびたび楽器に向かう。  けれども、楽器を--特に大抵ピアノを--弾いていると […]
 ふと見上げた空が美しすぎて、それを宝石や芸術作品や本や音楽のように手元に取っておくことができないことに、途方もない焦燥感を覚える瞬間があります。    この間ひさびさに実家に帰ったとき、わたしの心にそんな衝動が湧き起こ […]