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 新曲がほぼできた。
優しい、優しい曲になったと思う。
どんな人もいたわるような、慈しむような、側にいて、そっと「手当て」をするような、そんな曲になっていたらいいな。

 今日は朝から小説を執筆していた。
もうずっと長編小説を書こうとしては挫折してを、8年くらい繰り返している。8年! ……自分のことなのに、軽く引く。
たぶん色々と難しく考えすぎだし、完璧主義があだになっているのだ。きちんと練りこんでからでないと手を動かせないのは、ある程度変えようのないわたしの特性だろうし、それゆえの長所もきっとあるだろうけど、まずはものを作らないことには何も考えられない、という場合があるのも重々承知している。長編小説なんていう、わたしの身では捉えきれない時間的長さのあるものを作ろうと立ち向かう場合は、きっとそういう場合に分類されるのだ。だから、まずは楽しく手を動かさないといけない。
この「楽しく」というのがポイントで、結局「書かなきゃ」という動機で書いたものは、得てしてつまらない。読んでいて窮屈な気持ちがしてくるし、どうでもよくなってくる。そんな事象こそ一番避けたい。「うわ、これつまらな」--そう思った時、その惰性の文章を書いた自分の労力、苦しみ、全部がダメになる。そんなことを回避するためにも、「楽しく」手を動かさねばならないのだ。

 しかし、いつもは頭がものを書くモードになるまで、文章を書く行為が身体に馴染むまで、ワードを立ち上げてからしばらくかかっていた気がするが、ここ数日連日ここに書き込みをしているせいか、意外と今日はすんなりと、長文を自然に吐き出すことができた。もちろんそれらを編みつなげていって長編小説にすることが大変なのだけれど、千里の道も一歩からだし、どんな美しいタペストリーも一織り一織りから成っているように、長編小説も一つ一つの文章からできている。文章がなければ何も始まらない。だから、文章をすらすらと紡げるようになること、そのモードに入りやすくなっておくことは、一つ小説を完結させるために必要なことなのだと思う。
ここに文章を連ねることは、そういう意味でもすごく役立っている。そんな手応えを少し感じて、嬉しかった。

 とりあえず春には完成させたいなと思っている。予定は未定と言っちゃあそうなんだけど、気持ちとしては。
タイトルは「かくて蜂巣に至るまで」、花と物語と心がテーマで、役者が主人公、演劇--演劇にも色々あるけど、ある種の演劇がひとつ主軸としてあるような作品です。わたしの周りにいる、創作活動をしている人たちの影響を色濃く受けていて、反映されている作品なので、その当の人たちに見せるのが今から恥ずかしかったり。でも励みになるので、リアルの友達には途中のを読んでもらってもいいかも。

 ……なんて偉そうなことを書き連ねたけど、まだまだ正直、うまく出来上がるのか不安で、何も分からない状況。一応キャラクター、つまり書きたい人物はできていて、ということは必然的に書きたいものも決まっているから、そこは迷わないけれど、それをどういう風に構成していったらいいかは悩んでる。やっぱり、ほんとうに、長編小説って時間的なスケールが大きすぎて、なかなか追いきれないもの。
 でも多分、そこもだいぶ経験で勘を掴んでいくものなのだと思うから、これをいい経験とするためにもやっぱり完結させないといけないんだけどめっちゃ悩んでいる。むーーん。
 音楽だったら何度も聴いて、自分の感覚を頼りにブラッシュアップする感じにしているけど、それを小説で同じことをしようとしたら、小説を何度も読むとなるとやっぱり時間がすごく必要だ。っていうか、そのために文章が必要って話もある。……結局とっとととにかく楽しく手を動かして文章を用意するに尽きるな。

 なんだかまとまらない話になってしまったけど、今日の活動報告はこんな感じ。
 それではまた。