私にとって、曲も詞も自分で書いた「歌」は私のものなので、発表するとなったら自分で歌わないとしっくりこないけど、詩はむしろ逆で、自分で朗読するのがしっくりこない。自分の解釈や声が詩の自由を奪ってしまうような居心地の悪さがある。
多分、詩は言葉として表出させてしまったら、私の中では、その言葉たちはもう客体になってしまうからなんだと思う。みんなで共有できて、それでいて、ひとりひとりが好きなように自分に引きつけて味わえるもの、それが詩だと自分では解釈しているようだ。
でも、違う感じ方・考え方をしている友達もいて、そこも面白いなと思っている。