色名には、まずそれは青なのか紫なのか赤なのか、というカテゴライズがあって、そこに形容詞や説明をくっつける呼び方と、
そもそもその色をした物体Aがあって、そのAをそのまま色の名前にする呼び方がある。
後者の呼び方は、それがどんな色かをわかるには一旦そのA自体を思い浮かべなければならない。つまり、風景のある色だ。すき。
色とは色だけで存在できるわけではなく、ものAによって現れてくるものであるし、そうすると自然とものAが置かれている環境や背景や、ものA自体が持っている性質なども、色には閉じ込められているのではないか--
ものA自体の名前を色名にすると、色の持つそんな側面が強まるように思われる。
風景のある色、色の外側すら含んでいるのがその色、みたいなね。
鳥の子色と言われたら、ひよこを思い浮かべて、そのひよこの体温に手を伸ばして、鳥小屋の独特のにおいが鼻腔に残っているのを引っ張り出して、あの薄暗さとそこにいる命、っていう画を思い出して味わうことができるでしょう、それをひっくるめて鳥の子色だなって思うのです。暖かくて、でもちょっと儚い、大切に守っていかなければいけない、淡くてまろやかな黄色。
でも前者の方のエモさも良い。
海を越えてくる青だからウルトラマリンブルー、とか。
色の固有名詞があるからこそ、色へのロマンや愛や欲望や探究心を感じて、そこにすごく共感できる。
綺麗な色を見ること、見せること、作り出すことに色んなものをかけたくなるその気持ちを感じてぐっとくるのだ。
海を越えてまで手に入れた色。
他に例を挙げるならライムグリーン、ライムの香り、すっぱさ、果肉のみずみずしさ、それももちろん宝物みたいだけど、その緑色に強烈に惹かれたんだ、みたいな言葉だ。
色ってなんでこんなに、惹きつけられるんだろ。