無言の愛情。そしてお知らせ。

 ブログの更新頻度下がると思います。

 わたし、今年の4月から本腰入れてブログになんでも書き始めて、
 同時に今までだったら諦めちゃうことを諦めずにここまでやってきて、
 今までのパターンを繰り返してるようで繰り返しを断ってきた半年間だったと思う。

 でもね、書くべきことは書いたなって思って。
 この先も、作った曲のこととか、書きたくなったら書くと思うけど、
 気がついちゃったんだ、
 そもそもわたしは、本当に大事なことほど、全然言葉にできなくて、
 言葉にできないのは言葉にしたって意味がないように思えるからで、
 だから、その言葉にしてもしても足りない、大きすぎる気持ちを、歌でなら納得いく形で表現できるから、歌を歌ってきたの。

 だから多分、ほんとは、それほどブログ向いてなかったのかもしれないな。笑
 文章を書いたり、言葉を操ったりすることは、わたしにとっては苦のないことだし、なんとなくグルーヴ感のある文を書くのは手癖でもあり、ある種得意?でもあるから、下手ってわけじゃないのかもしんないけど(ブログに下手とかないけどね)。
 でも、肝心のわたしが、言葉じゃ全然足りないというか、本当に伝えたいことほど言葉がなくなってしまう人間だったから。

 そのぐらいの質量のある感情や情念は、やっぱり「作品」と呼べるものにするしかないんだ。
 その中でもわたしにとって一番やりやすいのが歌。
 次が詩とか、文章表現になるのかな。
 ブログで思うままに書くっていうより、額縁に入れる方が性に合ってる。

 うん、きっと、額縁のなさが、わたしには物足りなかったのかもしれない。
 それは気軽さじゃなくて、手応えのなさになってしまっていたのかも。

 自分がこんなに不器用だなんて知らなかったよ。
 こんなにブログを書いてこなかったら絶対わからないことだった。
 自分がこんなに口下手だなんて。

 愛情表現も感情表現も、閾値を超えるとすぐ、言葉にならなくなる。
 なんて伝えたらいいかわからなくなる。

 わたしはそのことを、何か病的な、傷のようなものが原因なのかなって思っていたけど、
 つまり、言葉にできないぐらい辛いとか、言葉にできないぐらい想いが募って重いとか、そういう良くないものなんだろうなって思っていたけど、
 そうじゃなくてきっと、わたしの感受性と言葉のバランスはそう設計されているのかもしれない。
 つまりなんていうか、「言葉にできない」ことは、わたしにとって自然なことで、特別なことではないってこと。

 今までは、言葉で言い尽くすことのできない「それ」を言葉にする練習をしてきたけど、その努力は、ひょっとしたら少し違っていたかもしれない。
 具体的には、学校に行けなくなった10歳のときからずっと、自分の内側で起きていることを言葉にしようと頑張ってきたけど、その努力に疲れてしまうこともあって、
「それ」を「それ」のまま出力できるから、芸術っていうものはわたしに必要なんだ。

 このまま言葉に頼りすぎていると、
 言葉では言い表せない「本当に伝えたいこと」から、知らず遠ざかってしまう危険もあるなと思った。
 そっちの方が楽だから。
 この「楽」は、芯からの楽じゃなくて、その場しのぎの楽ってことね。
 言葉では言い表せない深い部分のことって、当然「わかって」くれる人がどれだけいるのかもわからない孤独で深遠な領域だし、
 自分の中のそれだけ大きい感情に触れることは、やっぱり痛みや揺らぎを伴うことがあるから。
 だから、触らないでいた方が楽なんだけど。
 でもそれじゃ、わたしの本領が全然発揮できないのもまた事実。

 だからね、もっと作品で語っていかなきゃなって思ってる。
 いかなきゃなっていうか、いきたいなって。

 言葉はわたしにとって、完全な言葉じゃなかったんだよ(ややこしいけど)。
 わたしにとって満足のいく言葉は、「作品」なのかもしれないって。

 そうは言っても、せっかく思い浮かんだ言葉を呑み込むのは気分が悪いので、まったくブログを書かなくなることはないだろうけど。
 でも、わたしの中で確かに何かが変わったなと思ったので、お伝えしておきます。

 

 宵部