きょうときのうの断片。6月20日、2020年

 関根光才監督の「INVISIBLE」を見た。

 とてもしんどかったが、とても大切なことがたくさん言われていた。
 その「大切なこと」をここで書くのもあまり意味がないので、是非見て欲しい。

 今週の授業を受けていても思ったけど、わたしは、わたしたちは「公共」の概念をずっと誤解していたと思う。
「公共の」というのは「みんなの」ということ、その「みんな」は、場所ならばそこを使っている「みんな」だし、市民、ひいては人類全体でもある。
「みんな」で使うところは「みんな」で話し合って決める、誰か偉い人や国や行政が決めるんじゃなく、なんて発想がそもそも無かったことが悔しかったし、なんで知らなかったんだろう、なんで教えてくれなかったんだようと思った。
「公共性」に基づいて、一市民として話をする、そんな場所が必要だ。
 あと、アーティストとは「公共性」に基づいて、人類全体のために、自分の信念に従ってものを作るのであって、誰がパトロンであるかは関係ないという考え方も、はっきりと示されたとき、「そうだったじゃん」って愕然とした。

 あと、古本屋で本を物色して古き良きミステリを手に入れたのと、
 ライトノベルの語り口(特に地の文の書き方)ってやっぱりTRPGの影響が強いなって感じたのと、
 久々に外食をして、個人経営のお店だったけど盛況そうでとりあえずほっとしたのと、
 クレヨンで絵を描くのが楽しすぎた。

「見える化」と「公共の場」がキーワードだな。

「本好きの下剋上」
「クレイジー・リッチ!」
 を、友達から教えてもらった。