居合の達人タイプ。

 マジで泣くほど何もしたくなくて、自傷行為しはじめそうなぐらいでした。頭を掻き毟るぐらいはやりました。
「そんなにやりたくないんなら一旦忘れなって」と、流石に自分の内側からそんな声がかかり、落ち着いたら、また一つ自分の思い込みに気がつきました。

 手を抜いてるって思われたくない、
 やる気がないって思われたくない、
 だから、手をかけなきゃって思ってたんです。

 でも、わたしが敬愛する本の一つである『捨てないパン屋』では、手を抜くことで質を向上させる、という話があったのを思い出しました。

 手を抜く代わりに、最高の材料を使うのだと。

 わたしは卒制に使う素材のレコーディングも、かなり予定より巻いて終わらせることができました。
 一声入魂という感じで、一発で納得のいくものを録れればそれでいいからです。

 わたしはそういう人間です。
 集中したら周りが見えなくなるのと引き換えに、確かな覇気をまとったものを産み出すことができます。
 でも、それには最高品質の集中力が要ります。
 そしてその集中力は、必要な時にならないと解放されません。
 つまり、土壇場じゃないと力を発揮できないのです。
 うわ〜〜〜〜〜〜〜ん。

 でも、これはわたしの気質として引き受けて降伏していくしかないなって、やっとわかった、かもしれません。
 人には気質の違いがそれぞれあり、こつこつ計画通りに着実にやるタイプ、迷いながらも少しずつ進めていくタイプ、手を動かしながら考えるタイプ、理想系だけを頭の中に作っておいて一発で決めるタイプ(わたし)などがいます。

 そして、無理に別のタイプになろうとしたってしょうがないんだなって、いい加減諦めるときかもしれないし、
 卒業制作って大学4年間の成果というか集大成みたいなところもあるけど、その集大成として自分の気質に降伏するっていうのも、なんか美しいじゃないですか。エモいじゃないですか。自分の気質との戦争終了ってことでひとつ。
 確かに今まで、土壇場で「えいやっ!」とすごい集中力で産み出したものが良い評価を受けた例もいくつもあったなぁ……と遠い目。

 実際ガシガシ動き出すのが土壇場だからって、普段から考えてないわけじゃないので、一夜漬けとも本当は違うんですよね。
 ただ、自分の中に溜まったものが形になるのが土壇場になってこそみたいなところがあって……はぁああああ。

 でも、一夜漬けとは違うのは、既に色んな人が見てくれてるよなって、その過去の自分のこともいい加減信頼したいなって思う。
 過去の自分を信頼して、未来の自分も信頼して、今の自分に委ねよう。

 

 そういえば、前に友達と戦闘シーンの好みみたいな話になった時、わたしは「わりかし一発で決まる勝負が好き」みたいなことを言ったような覚えがあるのですが、なんかそこと繋がりますね……
 イメージで言うと、西部劇のクイックドロウ対決とか、侍同士が構えあって睨み合って、一刃のもとに終わる勝負とか。
 一発で決める集中力っていうのが、わたしのテーマなのかもしれません。
 パフォーマー気質ですよね、みたいなことを言われたこともあるし。

 ええまあ、ぶっちゃけそうです。
 色んなパターンを試してとか、試行錯誤してとか、そういうのも無理やりやろうとしちゃってたけど、わたしにとってはそれ体力の無駄なんだよな。無駄っていうか、体力使うから嫌なんです。ってことは、多分そこじゃなくて、別の部分に体力を使った方がもっと良い作品になる。

 わたしね、一発で決めるんじゃダメだって思ってたみたいです。もっと時間をかけないといけないって思ってた。
 でも、時間をかける=がんばっているってことじゃないし、
 わたしの場合、時間や体力を無闇に使ってしまうとその分作品に疲れたり飽きたり腹が立ったりしてしまって、むしろ作品を濁らせてしまうんです。

 レコーディング巻いたのも、半分はそれが理由です。
 何度も同じテイクを録っていると、集中力も緩んでくるし、「もっとああしなければ」「こうしなければ」ってエゴが働き出して、魂みたいなものが薄れた声になっていくんです。
 これってあくまで主観かもしれないけど、いやでも、案外わたし以外の人にも音を通じて伝わってしまう気がするから、やっぱり大事なことだと思うんですよ。

 作品のためにも、わたしはジタバタせず、静かに集中力を研ぎ澄ますのが正解だったみたいです。

 やれやれ。

 

 創作って、っていうか技術全般、習得するもの全般、本当に奥が深くて、
 やっぱり思うのは、
 大事なのは、創作のための技術や知識を身につけること自体というより、自分の気質に気づいていくことなんじゃないかって思って。
 つまり、技術や知識を身につけたり、ものを作ったりすることを快適に進めていくために、自分のことを知ることが、何よりの教訓な気もする。
 まあ、大学機関というのはもちろん技術や知識を評価する場所かもしれないけど笑、でも、そういう紙の上での評価とは別に、作ったり研究したりする上で大事なものを養っていくことの大切さも、先生たちは知っていると思うし、それを大学4年間で掴んでほしいと思ってたりするんじゃないかなって。
 自分のやり方を確立していくこと、っていうのも、すごく大事なことだよね。

 

 でもそういう、溜めて溜めて溜めて必要最低限で決める! 最短ルートでドン! 一閃! っていうやり方を肯定されたことってそう言えばそんなになくて、だからわたしもこれじゃダメなんだって当たり前のように思ってたけど、
 これだからすごいっていう考え方も世の中には存在するなって。

 だから、居合の達人なら、腰を据えていようと思いました。
 いや、頭や心はワッサワサ焦りで震えるけど、そんなこと言ったって「気」が集まらないんだもんしゃーない。

 ただ、さっき土壇場にしか力を発揮できないと書きましたが、レコーディングの時に発揮できたので、土壇場に限らず「ここ!」っていう時になら集中力は発揮できるっぽいので、「ここ!!!!」をどう作るかが重要みたいですね。

 そのためにもやっぱり、焦らず落ち着くこと、ノイズを減らすこと、自分の世界に入り込むことが大事なんですけど、どうやったらそれができるように持っていけるのか。

 ……うん、きっと、大事なのは届けたい誰かを作ることだ。
 誰かっていうのは具体的な誰かじゃない、自分が目がける点
 その姿を思い描くことができれば、そこに向かって奏でられる。

 刃を向ける先、銃口を向ける相手。
 気の集め具合で言ったら、たとえ実際には与えるものが祈りでも癒しでも愛でも、そんな鋭いイメージがふさわしい。
 居合の達人なので、斬るものを設定する必要があるんだ。

 歌う時や語る時、わたしの目線の先にいるのは、現実の世界ではありません。
 その時のわたしを取り巻いている、わたしが作り出した世界。そこにいる自分の身体として声を出しています。
 だから、誰かに語りかけるときも、そこにはいない、別の次元の存在に向かって語りかけています。

 それを創作でもやればいい。
 プレゼンテーションでも、きっと。

 だから展示空間を作るのも、
 わたしの声が産まれている別世界と聴く人のいる現実世界を、聴覚以外でも繋げるような演出をすればいい。

 

 大丈夫、わたしはやれる。

 

 卒制は、こんな風にわたしに声を教えてくれた、あの恩師と神秘に捧げよう。

 

 捧げる対象がないと集中できない。
 これ、あるなぁ。