物語に出てくる勇者や魔法使いや旅人は、なんて自由なんだろう、って思った。
自分で自分の進む方角を決める力に溢れていた。
授業の一環で、MVの分析をした。題材に選ばれていたもののどれもが素晴らしい映像作品で、こうやって映像は分析するのか、ととても勉強になった気がする。
映像は、いろんな人に共有されてきたイメージを取ってきて接ぎ、編み込んで紡がれて行く、ような話を聞いて、うおおおっとなった。
でも、何度か書いているように、わたしの音楽に映像をつける?ってなった時に、わたし自身は頭の中で映像のような一枚絵のような「ビジョン」を見て、それを曲という形で表現するので、映像をつけると、曲から想起されるイメージを規定してしまうんじゃないかっていう恐れが強い。
そう、視覚はイメージを強く規定してしまうから。
とはいえ、MVっていうものにはとても興味がある。
むむむ。
考えさせることとホスピタリティ(鑑賞者へのやさしさ)。いつも悩む、難しい問題だ。
でも、含意やレイヤーの重なりやが多ければ多いほど、そしてそれを考えさせる深度があればあるほどよさそうだ。
感覚や感情で掴んで、でも明かさずに、含んだまま、考えさせる。
そんなものが作りたいな。
↑のことを、文芸をする上でも考えていきたい。
そう、声にするための文章をこれから書き始めたいと思うのだ。
これは何かのプロジェクトにすると思う。プロジェクト〈天蓋〉のように。
それから、前々からちらちら言っていた「哀と傷」セルフライナーノーツですが……CD(フィジカル版)を発売できそうな算段が立ちつつあるので、そのときにリリースさせていただくことにしました。失礼いたしました。