きょうの断片。6月16日、2020年

 わたしの歌はマスメディアじゃない。マスメディアみたいになりたくない。
 どっちかっていうと手紙とか、好きな人に送る恋文とか詩とか、はたまた祝詞とか呪文とか、メッセージボトルとか、そういうもの。そういうものでありたい。

 でも逆にボカロ曲とかで「わたしの歌はマスメディア」ってタイトルの曲面白い気がした。面白くない? ……そうでもない?

 これは昨日の話なんだけど、昨日は頭が痛すぎて更新できなかったんだけど、MVの分析をすることになった。やっほー!! すごく大変そうだけど楽しみ。

 これまで、音楽につける映像やビジュアルについて、音楽自体のイメージを左右してしまうから怖々触れるしかなかった。
 今でもその気持ちはある。音楽を聞いて初めに頭に思い浮かべる印象がMVで固定されちゃうのは、ちょっとどうなんだろうと。
 でも、このMVの分析を機にちょっと状況が動くといいな。
 もともと、わたし自身の制作スタイルが「頭に思い浮かんだビジョン(それは感覚や情動を伴った映像とか舞台設定みたいな形をしている)を歌として形に残す」というものなので、そのビジョンと少しでも逸れた映像をつけてしまうと大失敗になるので……難しいんだ。
 それに、聞き手から、歌から視覚的なイメージを膨らませる自由度を奪ってしまう気もするし……むむむむむ。

「普通の人間」なんてどこにもいなくて、でも普通でいなくちゃ生きるのが苦しいから、ちょっとぐらいならって押し込めて、「普通」でいることにしただけなんじゃないか、って、友達が言ってたような気がした(あくまで彼女の言葉を聞いたわたしの解釈なので、厳密には、いや厳密じゃなくても違うかもしれない。だからこれはわたしの意見でもある)。自分でそうしていることにすら気づかないんじゃないか、とも。
 それって……しんどいなあ。

 わたしはこの世界が大好きで愛おしくて、でも”社会”は恐ろしくて優しくないと感じているから、そう「知って」いるから、そう教えられてきたから、いつまでもメルヘンを手放せずにいる。
 手放したら死ぬ。
 きらきらした夢を見られない人生なんて、わたしのなかでは人生じゃないもの。

 人間を、他人が、(作品はもちろん)人生ごと作品化して見て消費する話。
 人間を消費するってなんだろう。単なる消費と搾取の垣根はどこにあるのかな。
 わたしは消費されたくないから、ビッグになるまで時間はかかりそうだけど、自分自身にひとつひとつ誠実にやっていくぞ。