「レコーディングの時、マイクに向かって歌う」という経験がすごく面白い気がした。それは一体誰に向かって歌っているんだろう? 現在でもあり未来でもある聴衆のため?
吹き込んだ自分の声は、未来の誰かに出会うことになる。
「録音された声は過去のものである」、という言説はよく聞くけれど、それを吹き込む側に立って考えたことはなかったので面白そうだ。
打ち込みの、オルゴールのような、誰が奏でるわけではない自分だけの音に耳を傾ける宝物みたいな感覚が好きだったのを思い出した。
ボカロを聞き始めた小学4年生のあたりから。
そんな音楽はいつも私に寄り添ってくれた。わたしのために存在し、わたしによって奏でられ始め、わたしのためだけに語りかけてくれた、ように感じていた。
雨の水滴が乗り物の車窓を滑り落ちていく様を、涙が流れているようだと思って小さい頃から見ていたけれど、垂直方向に水滴が流れていくのを見る機会なんて他になかなかないな。
わからないことは恥ずかしいことでも悪いことでもない。完全にわかる時なんてほとんど来ないんだから、分からないことにワクワクしようよ。
わからないからって否定しなくていいし、「自分にはよくわからないから……」って遠ざからなくてもいい。
多様性は弱さで、弱さを曝け出して協力し会えることが、理想的な深い関わり方、コミュニティのあり方だ、というような話を友達がしていた。
とても素敵だと思う。
わたしたちは何者か、どう生きていくか、社会についてどう思うか、みたいなことを、そんな信頼関係の中で話す場っていうのは、なかなかないし、あったとしても外側からは見えないことが多くて、難しいね、みたいなことを他の友達が言った。
だからわたしは、そんなコミュニティを物語で描きたいと思った。
新しい音楽や、面白そうなことに出会える「見本市」みたいな場所がもっとほしいねって話もした。
例えば服を買う時がわかりやすいけれど、駅ビルの何階に行けば色んなお店が並んでいて、新しいものに出会える。その中からお気に入りのお店を探して、そのお店のオンラインショップで服を買ったりもする。「駅ビルの何階」にあたる場所が充実しないと、店側は新規の顧客に出会えないし、客側は新しい服に出会えない。だからそういう「見本市」って大事だよねって。
友達が、ラジオは音楽にとって、そういう良き「見本市」になってたりするんだよって教えてくれて、とてもありがたかった。お勧めの番組も教えてもらった。ぜひチェックしてみよう。