日帰りランチ&温泉のペアチケットを頂いたので母と二人で行ってきた。わたし(たち)は某ベッドタウンに住んでいるので、ふだんの通学とそう変わらない移動時間で箱根湯本についてしまい、最初はあまり旅行感がなかった。
箱根湯本からまずバスに乗った。
急カーブいっぱいの険しい山道をバスに揺られていたら、なんだか自分が精子になった気分になった。卵子を探して生き残りをかけて子宮や卵管の中を彷徨う精子って、こんなふうに必死の思い(わたしはバスに乗っていただけなんだけど)をしてるのかもなあ、なんて思った。つまり何が言いたいかって言うと、やっぱり”自然”って自分の身体の中にあるんだな、っていうこと。
ガラスの森美術館に行った。
前からぼんやりと思っていたことだけど、ガラスってあんなに透明で繊細なのに炎の芸術なんだよね。原材料のことを考えれば土の芸術でもあるし、でも見た目は風や水を「形」にしたもの、みたいな感じがするし、かつガラスの内側には悠久の時間と魂みたいなエネルギーが込められている気がして、何か生き物みたいだ。畏敬の念を感じる。
箱根という土地にあるからこそ、そのガラスたちのエネルギーは保たれているのかも、なんて、今これを書いていて少し思った。箱根は全域がパワースポットみたいだった。
ガラスという素材自体がそもそも豊かな表情を持っていて、わたしはその素材自体の表情が現れるシンプルな作品を特に気に入った。赤い瓶とか、ゴブレットとか、赤く着色されたガラスがただ単に「赤い」という以上の何かを雄弁に物語っているようで。ひとつひとつ作品と見つめ合うのがおもしろかった。
あと、箱根といえば第3新東京市……エヴァだけれど、箱根すらやばい世紀末な作品世界、というのもだし、あんだけ死闘を演じててもどこかに日常がある感じ……のどか(?)な日常とえっぐい非日常が常に隣り合わせな感じを出すのにぴったりだよなぁと、正直エヴァ精神的にきつすぎてまともに見られていないんですが思いました。
箱根にはよく知られている神社としては九頭龍神社と箱根神社があって、箱根神社にはニニギとコノハナサクヤとホオリ(ヒコホホデミ)が祀られているらしい。
名前的に、龍=水と山と木・花と火の神様、という感じなのかな(ざっと彼らの神話は調べたけれど、あまりなんの神様なのかははっきりと分からなかったので自分の直感で書いている。ので、あくまでこれはわたしの感じたことにすぎない)、色んな属性の神様がいるんだな。
色んなものに愛されたよくばりパワースポットじゃん。箱根すごい。
帰りにもまたバスに乗ったんだけれど、バスに揺られている最中にちょっと衝撃的なことがあったので、それも書く。たぶん箱根の山ではいつものことなんだと思うけど。
切り立った山肌が燃えているのがチラッと見えて呆然とした。確かに火の手が細く上がっていたし、白い煙が立ち上っていて、黒く炭化した木?も見えた。あれは燃やしていたのか勝手に燃えていたのか、ちょっと分からない。
そこからもう少しバスに乗っていると開けた場所に出たんだけれど、その光景も衝撃的だった。
一面真っ白。あるいは灰色。
硫黄のせいか、それまで緑ばかりだった山肌が真っ白だった。立ったまま枯死(? そうじゃなかったらごめんなさい、でもあれは生きてなかったと思う、木の白骨のようだった)した木が立ち並んでいて、火山灰なのかそれとも他の枯死した植物なのかはよく分からなかったけれど、とにかく白く枯れた木々の隙間まで灰色。ガードレールは全く赤銅色に錆びていた。窓は開いていないのに、それでも強く硫黄のにおいがした。
その時の衝撃をどう表現したらいいか、うまく書けないけれど、マイナスのものとは片付けられない感覚だったのは確かだ。びっくりしたし、怖くはあったし、ショックではあったけれど……畏怖という言葉がやっぱり一番近いのかも。
自然の、それも自然が持っている「炎」の力を見せつけられた。
「炎」を自然が振るう姿(そのほんの片鱗だけだけれど)を見たのは、それもここまで鮮やかだったのは初めてだったから、それで衝撃を受けたのかもしれない。
例によって、バスが走る道のすぐ脇がその白い木の立ち並ぶ急斜面(山)で、ともすれば転げ落ちそう(そんなことはないとわかってるけど)で、赤錆びたガードレールはあまりにも背が低くて頼りなさげに見えた。
もちろん、運転手さんはほんとうにさすが、慣れたもので、バスは迷いなく快活なスピードで(他の道と変わらず)そこを通り抜けた。そこでもすげえ、と思った。人の命を預かってさらにこの職人芸、すげえ。山道を走るバスの運転手さんなら当たり前のことなんだろうけど(当たり前でなきゃならないことなんだろうけど)、それ磨けて、できるの、すげえ。
さて。書きたかったことはぜんぶ書いてしまった。
ご飯や温泉の話をしてもふつうに旅行記になってしまうし、食レポと旅レポになってしまうだけなので、それはあの、わざわざここで理屈っぽく語ったらかえって興ざめというか、美味しかったししっかり和食食べられて満足幸せだったし、温泉気持ちよくてのんびりできて疲れが取れましたなんか身体軽くなりました、というなんの面白みもないまとめだけは書いておきますね、えっと、あの、なんかすみません……
色んなことを感じられて、それをこうして言葉にもできて、充実した一日だった。
でもなんだか変に敏感になっているのか、いつもより……こう……怖い。さっき少し怖かった。今やこれからはどうだか分からないけど。
夜、みんなが寝静まって真っ暗になった家が怖いのはいつものことだけれど、怖いものを見たわけでもないのに、なんだか怖い。怖いことを考えてしまう。怖いような感じがする。よく眠れればいいんだけれど。
えーと。こんな怖いことを書いて記事を終わりにしたくない。他に書きたいことはあっただろうか。……見つからない。
思い出すのも辛いことだからあまりここに綴りたくはないけれど、長く(実は物理的にはそんなに長い間でもなかったみたい、でもわたしの体感ではすごく長いこと)相棒をしてくれていた晴雨両用傘を失くしてしまったことを付け加えておく。綴ることはしたくないので、ツイートの引用を添えて。
1年間(あれこんなに短かったっけ)相棒してくれていた晴雨両用傘を失くした、
— 宵部憂_Wi Shobu (@WShobu) 2019年6月1日
悲しみしかない
彼はとてもよくやってくれた
— 宵部憂_Wi Shobu (@WShobu) 2019年6月1日
ハンズで買ったMT柄の、白地にグレーと黒のボーダーの、ちょっとダズル迷彩に見えなくもない柄
重たかったけど頼りになったし、いつも頼りにしてた
ごめん……今までほんとにありがとうね
さびしいけれど、いつかお別れは来る。とくにわたしの性質的に(というかそうでない人だって、誰だって結局は)もう、ポカミスや忘れ物や失くし物をゼロにすることはできないんだから、受け入れようと思う。
すっごく悲しいけど。
色んなことがあったいい旅だった。
おやすみなさい。
「牧神と牡牛」※フラッシュ焚かなければ撮影OKでした。この牧神の佇まいがなんとも……彼、多分パーンっていうギリシャ神話の神様。「パニック」って言葉の由来にもなった。表情といい神話といいガラスの表情といい、色んな含みや深みがあって素敵だった。
ボッティチェリの絵画「ラ・プリマヴェーラ」みを感じる。こういうガラス作品もあるのか!と新鮮に思う。ポップでエネルギッシュだけどどこか優美な感じ。