祈るものがなくとも、作品を作ることはできるけれど。 自由を謳歌することへの歓喜さえあれば。  すなわち、芸術とは生の讃歌なのではないか?  生きて、世界に影響され、世界に影響することができる自由を、最大限喜ぶ行為、それ […]
 結局わたしも、年相応の痛々しさを堅実に、十二分に、潤沢に、健全に積み重ねてくることができたし、これからもそうなのだろう。 背伸びをして、大人になりたくて、”然るべき” 道を歩んでいたくて、知ったような口を聞いてばかりき […]
 わたしは自分が「楽器の弾けない音楽家」であることを、今でも、長らく、常に気にしている。  だからちょっとずつ弾けるようになってやるんだって、たびたび楽器に向かう。  けれども、楽器を--特に大抵ピアノを--弾いていると […]
 ふと見上げた空が美しすぎて、それを宝石や芸術作品や本や音楽のように手元に取っておくことができないことに、途方もない焦燥感を覚える瞬間があります。    この間ひさびさに実家に帰ったとき、わたしの心にそんな衝動が湧き起こ […]
 わたしが尊敬している友人が、わたしに「写真はやらないの?」と聞いてくれた。 わたしは、写真に関して、どのような美学がどうあるのかというのがよくわからない、だからあんまり意識したことがなかった、と答えた。 友人は「もしあ […]
 やりたい語り方と、語りたいことが噛み合っているのかどうか、というのを悩んできたけれども、実は無用の悩みだったのかもしれないと、最近思い始めている。  だって、語りたい内容をどのように語るかが変われば、確かに伝わり方は変 […]
 このブログには、変な方向に張り切ってずっこけたものから、青臭く思いこんで突っ走ったものまで、何もかもを書いている。そのときの気持ちに正直に。たとえそれがこう、頑張りすぎたものだとしても、当時の自分は頑張りたかったのだか […]
 今日はわたしの懺悔を聞いてほしい。  めちゃくちゃみっともないことした話。  卒業制作のことだ。  わたしは卒業制作で、すごいと思われたいあまり、作品を骨抜きにした。  つまり、一番言いたいことはあったにもかかわらず、 […]
 久しぶりにブログを書く。  このところわたしは、将来が不安やらバイトが暇やら頭の中がごちゃごちゃやらで、朝には涙腺が開きっぱなしで午後には回復するという典型的なメンタルの崩し方をしている。  実はここ数ヶ月、自分はこれ […]
目次 序論 ”わかりやすさ”の光と影  ”わかりやすさ”とどのような決着をつけるか。あるいはどのように関わっていくか。 それがわたしの今後の活動を考えていく上で鍵になってく […]