初めて子どもだけで夏祭りに行く。もう小学生だから。
 待ち合わせはしなかった。ゲンチシュウゴウ、っていうか、お祭りに行けばぜったいにみんなも来てるから、約束しなくたって会えるんだ。

 外は夜になっていて、一面青くて、虫の音がして、草と土のにおいがした。夜にひとりで外を歩くなんて、めったにやったことがない。いつもは着ない服と、はかないクツで、いつもはしない音がする方へ歩いて行った。夜に笛を吹くといつもは怒られるのに(口笛でもリコーダーでも)、今日はトクベツなんだ。おいしそうなにおいがしてきた。たこ焼きやさんの前を通るといつもするにおいだ。いつもはほんとうにたまにしか買ってもらえないけど、今日は自分で買って食べられるんだ。自分の食べたいもの、ほしいもの。

 鳥居の前に来た。ちょうちんのあかりが赤く、ところどころ黄色く光っていた。まわりの青の中できらきら光って、ちょうちんで明るくなっているところもきらきら光って、ぜんぶ宝島みたいに見えた。
 ひとりのぼくには、鳥居の向こうはいつもの神社よりすっごく広く見えて、何だってあって、何だってできて、ぼくも何にでもなれるところみたいに見えた。

 鳥居をくぐりぬけると、頭の上からぬっと手が出てきて、お面を差し出された。
 ちょっと気味の悪い、キツイ顔をしたキツネのお面。
「これをかぶるんだよ」と上から、手が出てきた方から声がした。

「子どもは、これで身を隠すんだ。悪い魂に見つかっちゃいけないからね」

 声はとっても真剣だったので、ぼくも真剣に「分かったよ」とうなずいた。「ありがとう」ぼくはちゃんとお礼を言って、キツネのお面をかぶった。

 お面のむこうに友だちのユウタが見えた。ぼくはぼくだってことが分かるくらいにお面をずらして、「おーい、ぼくだよ、ケイタだよ」とユウタを呼んだ。ずらしたけど、暗いし、お面があると分かりにくいかなと思ったけれど、ユウタはぼくだって気がついてくれた。ユウタはナミと一緒にいた。ナミも友だちだ。女の子だけど、女の子といるよりぼくら男と遊んでいることが多かった。でも、ぼくやユウタと違ってゆかたを着ているのが、いつもと違う感じがして面白かった。

 ナミはぼくの近くに来てすぐ「お面、きれい」と言った。
「こわい」か、あとキツイ顔でもキツネだから「かわいい」はわかるけど、「きれい」って何だよとぼくは思った。ユウタも「こわい、だろ~?」と笑った。ナミはちょっとむっとして「こわいけど、きれい」と言った。
「どこで売ってたの?」あたしもほしい、ってかんじの言い方だった。

「もらったんだ」
「だれに?」

 ぼくは鳥居のすぐそばをふり返ったけれど、そこには誰もいなくて、あれは誰だったんだろうと思った。ユウタもナミも、ぼくと同じように鳥居の近くを見たけれど、「だれもいないじゃん」とふたりして言った。おかしいなあ。

 ぼくとナミはたこ焼きを食べて(分けっこせずに、六つぜんぶ自分で食べられたのもはじめてだった)、ユウタは焼きそばを食べて、ナミはヨーヨーを釣った。暗い中でお店の中だけがちょうちんで明るくて、水がきらきら光っていて、ちょうちんと光る水に挟まれて、ナミの顔とゆかたといろんな色のヨーヨーが光って、不思議なところに来たなあ、とぼくは思った。

「ナミってさあ」とユウタが焼きそばを食べながら(焼きそばはちょっと多くて、ユウタはぼくらが食べ終わってもまだ食べていたのだ)言った。「女だったね」
 ぼくは「それ、ナミに聞こえたら怒られるんじゃないかなあ」と思ったけど、言わなかった。そういうこと言われると仲間はずれにされてる感じがする、って、前にナミから聞いたから。

 ぼくもヨーヨーを釣った。なんとなく、ヨーヨーを釣って持って帰れば、あの水のきらきらとか、ぜんぶ夢みたいなこのお祭りもお家に持って帰れる気がしたんだ。ユウタに「射的のじゃまじゃん」と言われたけど。
 中に水が入って、手でヨーヨーするたびにぱしゃぱしゃ音がなって、ふわふわするんじゃなく、ヨーヨーして手の下でたたいて遊ぶふうせんなんてお祭りじゃなきゃないから、とても楽しかった。

 射的は年上の男子たちがいっぱいいて、なかなかできそうになかった。途中で他の友だちにも会ったけど、一緒になると人が多すぎて動きにくくなりそうで、ぼくは嫌だった。でもユウタはそうでもなかったみたい。ショウとマサヤとだれが一番スーパーボールを救えるか競争しはじめた。ぼくとナミはその隣で金魚すくいをしたけど、ぜんぜんすくえなかった。でも、水の中にいっぱい金魚がいるのが見られただけでいい気もする。赤と、金と、黒と。きっと、うちで金魚は飼えないし。すくえた人たちは金魚と水の入ったふくろをもらっていて、それもちょうちんの明かりできらきらしてきれいだった。
 お祭りは暗いけれど、きらきらしたものがたくさんある。暗くて、明るいのが、いつもと違って楽しいんだ。

 ユウタが負けて帰ってきた。「オレ、ださい」とへこんでいた。ナミは「そこでひきずるのが一番ださいよ」と大人の顔をして言った。
 ユウタはもうかき氷を一ぱい食べるお金しかなくなっていたので、三人でかき氷を食べることにした。ちょうど三人だし、イチゴ、メロン、レモンを一つずつ食べたら信号みたいだし、コンプリートってかんじだからやってみたかったけど、お店に行ったら三色なんかじゃなくて、もっといろんな色があって、コンプリートなんてできそうになかった。というか、ぼくの中でコンプリートは信号の色だったし。
 たくさん悩んだけど、ぼくはイチゴを食べて、ユウタがブルーハワイっていう青いのにして(気になったから一口もらったけど、よくわからない味だった。ハワイの味なのかなあ)、ナミはレモンにしていた。赤、青、黄色で、あるイミ、信号の色ができたからいいことにする。

 そんなふうにして、ぼくらは、どこまでも続くみたいだったお祭りを冒険しつくしてしまった。


 いつもぼくらは公園で、日が暮れるまでずっと遊んでいて、今日は日が暮れても遊べるのが楽しかったけれど、いつもと違うところがおもしろくて、きれいだったけれど、明日もその次もこれが続くわけじゃないし、今日のこのいつもと違う宝島を持って帰れるわけでも、来たい時にいつでも来られるわけでもないのが、だんだんすごく悲しくなってきた。

「もっと冒険したい?」

 ナミがラムネを買いに行って、ユウタが(お金ないのに)それについて行っている時、となりから急にそんな声が聞こえた。
 見ると、キツネのお面をかぶった、ぼくと同じくらいの男子が、見たことのなさそうなやつだったけれど、すぐそこにいた。

「ひみつ、ひみつだよ。だれも知らないぼくときみの秘密」

 そいつは言った。

「ここから入れるよ」

 そいつが少し横に歩くと、その後ろに、植えてある木が分かれて向こう側に歩いていけるような、抜け道みたいな場所が見えた。

「もっともっと知らないところ。もっともっと夢みたいなところ」
「ねえケイタ、キツネのお面は?」
「もっと冒険したい?」
「おーいー、ケイタってば」
「ぼくは」

「ラムネ買ってきた」

 気づくとナミとユウタが帰ってきていた。

 

「おかえり」ぼくは答えて、後ろをふり返った。
 キツネのお面のあいつもどこにもいなくて、抜け道みたいに見えたところには岩が並べてあるだけだった。ナミもユウタも、お祭りに来てすぐもぼくは急によそを向いたから、「へんなケイタ」と変な顔をした。

「ラムネってなに?」ユウタがナミに聞いていた。
「しらないよ」ナミはガラスでできたびんを持っていた。それがラムネなんだ、とぼくもユウタと同じように、びんとナミの手を見つめた。

 ナミはびんに巻かれた紙を読んだ。そこにびんの開けかたが書いてあるんだって。
 ナミは片手に何か小さいものをにぎって、それをびんの口にさした。
 こん、と音がして、しゅわーっと小さく音がして、からんと音がした。
 ぼくら三人はみんなでびんの中をのぞきこんだ。

「ビー玉だ」

 とうめいなびんの中の、とうめいでしゅわしゅわのラムネの中に、とうめいなビー玉が浮かんでいる。びんをかたむけると、ごろごろ音を立ててころがる。

 三つのとうめいの向こうでひゅ~っと音がして、黄色くて緑で赤い花が咲いた。どーんと大きな音がした。

 

 ぼくはその夏、しゅわしゅわ……タンサンが飲めなかった。

 おうちに持って帰ったヨーヨーは、すぐにしぼんでしまった。
 次の夏は、がんばってタンサンが飲めるようになった。
 次の夏も、その次の夏も、ぼくはラムネをお祭りの最後に飲んだ。
 びんを洗って取っておいて、宝物だから大事にしまった。
 射的ができるようになった。
 金魚も何回か飼った。
 甚平を着なくなった。
 幼い恋もした。
 悩む時間を過ごした。
 家出して彷徨ったまま祭りに来て、そのまま神社で眠った。
 那美も祐太も、今頃どうしているだろう。

 今年で、十四本目になる。

 

 今までどんなに探しても行けなかったあの抜け道の先に、今なら行ける気がする。
 長いこと、祭りが来るたびに、僕はあの道を探し続けていた。
 あの道を忘れないように、毎年買ったラムネのラベルにキツネを描いた。

 でも、きっとこれからは必要ない。

 毎日、残しようのない世界ばかりが僕の前に現れる。

 僕は毎日鳥居をくぐる。

 お祭りは終わらない。

 お祭りはまだ始まったばかりだ。

 

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