「明確な言葉」「野球」「素直」を使ってなにかお話を作ってください。(https://shindanmaker.com/264399「三題噺ったー!」さんよりお題をお借りしました)
西日の色のこと
明確な言葉は最後までもらえなかった。多分それこそが答えなのだ。少なくとも、私がそう解釈することに、彼だって意義はないはずだ。
突然だけれど私は野球が嫌いだ。――と言ったら、きっと多くの野球ファンを敵に回すことだろう。でも、ぐっと堪えて、ちょっと私の話を聞いてほしい。
ありきたりな片恋慕の話だ。もしくは、もう少しで両恋慕になれたかもしれない話だ。学校に通う年頃にありがちな、ひょっとするとそういう時にしかないような、そんな話だ。
先に言っておくと、私だってどうして彼を好きになったのか少しも思い出せない。思い出せないというか、当時だって分からなかったように思う。理由のない「好き」は私を大いに混乱させた。混乱した私はどうにか頑張って自分の感情を分析しようと思ったけれど、好きだなーと思う瞬間はまちまちであるし、何に対して愛しさが込み上げたのかも結局ずっとわからないままだ。ただ、その時の私は、例えば彼が笑う時に肩を上げる角度とか、危なげなくて余計な力の入っていない挙措とか、大きな身体を時々持て余し、壊してしまわないか不安そうにものに触る様子とか、そういうちょっとしたものに、彼のもっと根本、魂みたいなものが現れていると確信し、そんな瞬間瞬間を瞳のカメラで切り取って大切に胸に保管していたのである。
今思うとだいぶ危ういというか、ナイーブな話だ。そうやって感じ取った(と思っていた)彼の魂とやらが、私の勝手な妄想、幻想に過ぎない可能性はいくらでもあるのだから。まあでも多かれ少なかれ恋とはそういうものかもしれないけど。特定の他者に大いなる興味関心を持ち、あらゆる手段で認識したり解釈したりしようとすること――その過程でどうしたって相手への幻想は抱くさ、だって好きなのだもの、惚れてるのだもの――そういう恋の形は、特にマイナーでもあるまい。
そんなわけで、私は恋に落ちた。教室の中で、まるで接点がない男の子に。部活も、所属する人間関係も、席も、趣味や好きなことも、全部私と彼は遠かった。彼と関わろうと思ったら間違いなく理由を作らずには無理で、でもその理由を作るにしたって無理がありすぎた。そうは言っても、同じクラスなので全く目にしないというわけではない。彼はクラスの中心的な、求心力を持ったグループに属していたので目立った。そうやって一方的に彼を目に入れたら、まんまと心を奪われてしまったわけである。あの、「奪われる」としか言いようのない感覚は本当に何なんでしょうね。まるで相手にフックみたいなものがついていて、そこに服を引っ掛けてしまったみたいに目が離せなくなるあの感じ。どうしてあんなに気になるのか、それがどうしても分からないやつ。
地味で引っ込み思案な私は、思いを自覚すると同時にナーバスになった。当時の私は恋に恋する中学二年生、それも内気な性格が手伝って恋に悩む己に恋する乙女だったので、こんな気持ちどうしよう、とうじうじ悩んだ。そのうじうじに、自分と近い気質の優しい友達三人を巻き込んで、一緒に甘い悩みを楽しんだ。一緒に帰る時の話題はもっぱらそれの「作戦会議」で、ひそひそと、たまにシリアスぶって、どうやったら彼に近づけるかを話し合った。
「二学期からさ、一緒に委員会やればいいんだよ」と杏子ちゃんが教えてくれた。確かに、委員会や学科係というのは一番いい案に思えた。所属している人間関係に関わらず、話す理由ができる。二人でコミュニケーションを取るにはバッチリだ。問題はどうやって一緒になるかだけど。
「坂島、体育委員とかやるんじゃないかなあ」と私は悲観した。坂島というのが彼の名字だ。もし体育委員を彼がやるとすると、私はとても一緒にはやれない。そういうキャラじゃないし、そもそも体育は苦手だ。すると紗奈ちゃんが、「あたしたちが先に図書委員のところに名前書いちゃって、あふれたってことにすればきっといけるよ」と言ってくれた。他二人も頷いてくれて、私は心から「ありがとう」と言った。
でも結局、紗奈ちゃんのプランは使わずに済んだ。委員会決めの時、私はずっとハラハラしていたが、驚くほどすんなりと私と彼は同じ新聞委員になった。先に最悪を想定してうまくいかなかった時のショックを和らげるというライフハックを知っていた私は、一緒になれなかった場合のことを考えて思い切りがっかりする準備をしていたので、黒板に並んだ私の名字と「坂島」に嘘かと思ったのを覚えている。
そうして私は、私だけが分かる、彼の宝物みたいな瞬間をいくつも手にした。私の胸の中には何枚の写真が保存されたか分からない。それを心に秘めておくだけだと消えてしまいそうで怖くて、私はそれを日記にも書いたし、時折友達に話した。三人は私が何を尊いと思っているのかは掴みあぐねているようだったけれど、私が嬉しそうなことを自分のことのように喜んでくれた。
私と彼は、顧問と一緒に学内新聞のレイアウトを考え、入れる記事を考え、その執筆を各学年各クラスの委員に割り振り、上がってきた草稿をチェックし、新聞に嵌め込み、それをまた数度チェックした。A3の用紙を挟んで向かい合ったり隣り合ったりし、いくつも言葉を交わした。その言葉たちは、理由があってこそ交わされるものだったけれど、内容はともかく、それを交わすときの手触りというか、温度感というか、そういうものは、いつの間にか、不思議と和やかなものになっていた。
彼は全く自分のことを話さない人だった。人から振られる話やその場の流れに応じることが多く、というかそういうことばかりで、自分から中身のあることを話すのは珍しかった。だから、たまに授業で当てられた時や新聞委員会の顧問に意見を求められた時の彼の発言もまた、わたしの心の中に大切にしまわれた。……そういう時彼の口から出るのは大抵、正直に言ってしまえば誰でも言えるような意見と言えたけれど、でも、それは彼の口から出た言葉だというだけで、私にとっては絶対的な意味があったのだ。
そして、あの日が訪れた。
……というほど大それたことが起きたわけでもない、でも、やっぱり当時の私からして小さなことだったわけでもない、そんなことが起きた日だ。
私たちはいつも、毎週水曜日に委員会が終わった後、それぞれ彼は野球部の男子たちと大勢で、私はいつもの子たちと四人で帰っていた。下校時刻になると下駄箱にできる人だかりの中で自然解散みたいに、流石にじゃーねとかお疲れーとかは言うにしてもすんなり別れていたのである。ところがその日は少しだけ勝手が違った。いつもより少し早く委員会が終わったのだ。確か、11月中頃の、紅葉がきれいな、だいぶ寒くなってきた時期だった。各クラスの委員たちの文章が、9月から2ヶ月を経てだんだんこなれてきて、原稿のチェックが思いの外早く終わったことが要因だった。そうは言っても、それほど下校時刻まで時間があるわけではない。――20分。一人で待つには長く、図書室などで本格的に時間を潰すには短い時間だ。
「……微妙な時間だねー」
私は何気なくそう言った。何気なくを装ったが、内心はかなり焦っていた。欲しかった時間が手に入りそうな、でもそれは私の行動如何で立ち消えてしまうという焦りである。
叶うことなら、彼が許す限り駄弁ってはいられないだろうか。理由なく話す時間が、少しでも欲しかったのである。話せなくても一緒にいたかったが、会話もなく共にいるというのはハードルが高すぎるので、私は少ない雑談の引き出しを頭の中であるだけ引っ張り出そうとした。
「……帰ろー」
今度は、彼が何気なくそう言った。
私がどういう意味か掴みかねていると、彼はブレザーを羽織り、バッグを肩にかけて、まるで私を待っているみたいに、そこで私を見て動きを止めた。
「……」
私は思わず絶句してしまった。
その時の私の表情は……、私自身には見えるはずもないから分からないけれど、きっとかなり、衝撃を受けた顔をしていたと思う。
しばしの間放心してしまってから、あ、いけない、これをネガティブな反応だと取られちゃ嫌だし、この好機を絶対に逃してはならない、と我に帰り、私もバッグを手に取る。
それを見て、彼は先んじて歩き出した。
妙な、時間だった。
そうだ、彼は自分から話すタイプの人ではない。でもそれは私だって同じだ。仲の良い子たちの間なら、たわいもない話ができる。でも彼と何を話すかなんて、考えたって分からない。こうして一緒にいるだけで浮き足立ってしまう。その、落ち着かないふわふわした気持ちが、何か話さなければ、という焦りに拍車をかけるけれど、焦って話題が降ってくるなら苦労しないのだ。
私たちはイチョウ並木を歩いた。桜紅葉のトンネルをくぐった。プラタナスの落ち葉を踏んだ。ハナミズキの、紅色になりかかった葉を横目に歩いた。
「矢井田さ、もっと早く新聞委員やればよかったのにね」
ずっと無言の時間が続いたのち、彼は言った。
矢井田は私の名字だ。どうして?と無言で首を傾げて促すと、
「本よく読んでるから」
と彼は答えた。
私は、「そうかも」と答えた。
「何で、一学期はやらなかったの?」
「え」
それに、特に理由はない。強いていうなら、一学期の、クラス替えしてすぐのあの雰囲気の中で、黒板に自分の名前を書きに行くことに尻込みしてしまったという、それだけだ。
「あ、図書委員やってた?」
「ううん、委員会やってなかったよ」
彼は「ふうん」と小さくつぶやいた。そこに冷たかったり刺々しかったりする含みはなく、ただ、素直で素朴な頷きだった。
「真面目そうなのに」
それは多分、今まであまり接したことのない、ちゃんと目を向けたことのない相手と実際に関わって、自分の「この人はこういうタイプだからこういうことをするだろう」というような見積もりが外れるのを、彼が初めて経験した時だったのだろう。
私たちの間にある、「この人はこういうタイプ」という、よく見えない、透明で弾力のある間仕切りに、その時確かに裂け目ができた――私はそんなふうに感じた。
実際には、私はそれほど本を読んでいたわけではない。本をよく読むのに図書委員でも新聞委員でもなかったのかという彼の疑問は、私が彼の中で「本をよく読んでいるタイプ」「真面目でコツコツ勉強するタイプ」みたいな、そういう分類に入っていたということだ。その分類を超えて、私という存在が認識された――あれは、そういう瞬間だと思った。
「……坂島は、なんで新聞委員になったの?」
私が尋ねると、彼はうーん、と少し上を見つめて考え――そう、彼は考える時そういう仕草をするのだ、私はよく知っている――やがて、ぽつりと答えた。
「皆やりたくなさそうだったし」
「……優しいね」
「いや、決まらなくて喧嘩になんのが面倒なだけ」
喧嘩になるのが嫌、ではなく、面倒、なのか。彼はそういう言い方をする人なのだな、これも覚えておこう――と、私は思った。
「最初はでも、めんどそうだなーって思ってたけど」
「……今は?」
彼は表情を変えず、ひょいと首を傾げた後で、また素直に言った。
「まあ、そうでもない」
「そっか」
そしてまた、会話が途切れる。
「あと1ヶ月、がんばろうね」
しゃく、しゃく、と、落ち葉を踏む音を立てながら、私たちは歩く。
「多分次も、やるよ」
彼がそんなことを言うので、私は驚いて彼の顔を見上げる。彼の顔はやはり、いつもの表情から少しも変わっていない。彼は感情の起伏が穏やかで、いつだってのんびりしているのだ。
「どうせまた決まらないだろうから」
「……そっか」
「またよろしく」
当然のように言われて、私は頷くしかなかった。
「……うん。よろしくね!」
それがどういう意味なのかは分からなかったけれど、私は確かに嬉しかった。
だって好きな人と次の約束ができたのだから。
でも、その「また」は来なかった。
それがどうしてなのかを説明するのは、とても難しい。強いて言うなら、教室の中の人間関係、その微妙な力学、そうとしか言えない、学校に通って教室という社会に所属している人間だけが感じ取ることのできる、あの法則が、彼をもう一度新聞委員にすることを阻んだのである。
阻んだのは、それだけではない。
いや、もっと厳密に言えば、もう一つの別のことの方を阻んだから、彼は再び新聞委員になることはできなかったのだ。
私たちはあれから、もう一度だけ一緒に帰ったけれど。
それ以降、また一緒に帰れる条件が揃ったとしても、何か別の理由をつけて、彼は一緒に帰ってはくれなかった。
彼はどうしたって、野球部の人間だった。
そのコミュニティの力学は、彼にはどうすることもできないものだ。
私と彼が、そういう、いわゆるまあ、恋愛的な関係になるみたいなことなんて、野球部からしたら「ありえない」ことだったのだ。
他の野球部の男子から、「あいつとそういう感じなの? ……いや、無いか!」って、何の悪気もなくふんわりとかけられる決めつけのヴェールに覆われて、彼は、私への気持ちを――きっと、明確な言葉にすることができなかったのだろう。
願わくは。
彼との間に流れていた、あの、温かな時間だけは、私だけの勘違いではなかったことを、今となってはもう、それを祈るしかない。
決定的な失恋でもなかったから、私はうまく悲しむことも落ち込むこともできなかった。ずっと相談に乗ってくれて、甘酸っぱくて苦くて甘い気持ちを共有してくれた三人の友達にも、そういう感じの顛末をどうやって説明したらいいか分からなかった。でも、本当にありがたいことに、彼女たちだってやっぱり、そういう教室の中のままならなさ、まるで無重力の中をもがくみたいな、逆らえない感じを分かっていたから、何を言うでもなくそっと寄り添ってくれた――少なくとも私にはそう感じた。慰めの言葉を口にすることも何か違う気がしたのだと思う。だから、黙ってそばにいてくれたのだと。
そんなわけで、野球に罪はないけれど、私は野球が嫌いだ。今でも、テレビで野球の中継が映ったり、応援ポスターを街角で見かけたりすると、ふと彼とのことを思い出す。
本当に子どもで、でも同時に、学校というものすごくよく分からない世界でサヴァイヴしていた、今思うとよくそんなことができていたな、と思うような、そんな時代のことを。
いくつもの歯車に巻き込まれて霧散してしまった、私たちの恋のことを。
言葉にならない、彼と私の、そして小さな社会と私たちの、隠微な関わりのことを。
そして、暮れていく秋空と、一緒に歩いた錦の道を。
2020年11月