1日目さんは「哭声」「シフォンケーキ」「弱み」を使ってなにかお話を作ってください
(https://shindanmaker.com/264399「三題噺ったー!」さんよりお題をお借りしました)
裏返す甘味
哭声が聴こえる。
わたしはそんなの遠いこととばかりにシフォンケーキを頬張っていた。
スポンジの気泡はきめ細かく、フォークを突き立てるだけで思うがままにふわふわと凋んでくれる。そうやって切り分けて、これまたこだわりの、すっきりした甘さのクリームと共にいただく。至福のひと時だった。
また、哭声が聴こえる。
「ああもう、うるさいなぁ!」
わたしはデザートフォークを放り出し、家の扉を開ける。そこには地面に這いつくばって、泥だらけの男が涙もなく哭いていた。
「……だからさぁ、そこで哭いてないで入りなよって言ったじゃん、誰も入るななんて言ってないじゃん馬鹿じゃん」
わたしは男の前にしゃがみ、声が届くようにしてもう一度声をかけた。
さっきも彼はここに訪れて哭いていて、入りなよって言ったのに何故か入ることまではせずに(というか、なんだか分からないが遠慮して「入れなかった」のだろう)、けれどずっとそこにいるのもしんどくて哭声を漏らしたようだ。それもそのはずだ、その傷で、外で雨ざらしになっていたら痛くてたまらないだろう。もっと言えば、酷くするとそのまま死んでしまうかもしれない。だからさっさと頼ればいいのに……
でも、こうやって傷ついて道端で倒れているということはこの男は革命軍の人間なのだと思う。……だから、わたしから家に招くことは、どうしてもできないのだ。革命軍の一味だとわたしも誤解されては、離れて暮らしているとはいえ家族に迷惑がかかってしまう。けれども捨ておきたくもないわけで、だから先ほど折衷案として声をかけた。それで男の方から家に入ってもらおうとしたのに……
「おれは、革命軍じゃない……」
「うそ」
と思ったら男が急にそんなことを言い出した。……そりゃ、「革命軍ですか?」って訊かれてすんなりイエスと答える奴は馬鹿だ。でもこの状況でそんなうそをついたところで、
「嘘じゃない! おれは、おれは……っ!」
男は声を荒げた。それで傷に障ったのか、……あるいは感情が昂ったからか、声が詰まる。表情がひしゃげる。
「わかった、わかったから」
わたしはそう答えた。それをいい加減に聞き流す態度だと思ったのか、男はいっそう必死の形相になって這いずり始めた。
「違う、違うんだ! ほんとうだ!」
がしっと足を掴まれる。
「ひっ、やめてよ!」
思わず腰を抜かしてしまった。そりゃそうだ。っていうか本当に何なのだこいつは、レディの足をいきなり掴むなんてありえない。
「あ、す……すまない……」
男ははっとして、おずおずと手を離した。
わたしは腰を抜かしたまま、バクバク鳴る心臓が落ち着くまでしばらく待つ。
落ち着いたら立ち上がって、また家の扉に向かって踵を返した。
「待ってくれ!」
男がまた大声をあげる。
「わかってるってば!」
わたしも大声で返した。
「わかったから、ちゃんと話聞いてほしいなら……今度こそ、そっちからうちに入ってきて」
そして返事も聞かず、扉を閉める。
閉まった扉の先で呟く。
「どうせ
扉が叩かれた。
わたしは驚いた。
驚いた後、にやりと口元だけで笑う。
「それでいいんだよ」
少し張った声で、扉越しに男に言い、勢いよく扉を開けてやった。
「……もう少し真面目にできないのか」
「これでも真面目にやってるっつーの! 贅沢言わないでよわたし素人なんだからさ……」
男に(一応)手当て(らしきもの)をしてやりながら、わたしは自分で自分に驚いていた。
まさかこんなに不器用だとは。包帯もまともに巻けないとは思っていなかった。まあいっか、わたしの器用さはお菓子作りに極振りということなんだろう。
「……確かにそうだな。失敬」
「謝られるとそれはそれで何かムカつくし傷つくんですケド……」
男は散々叫んでひび割れた声をしていたが、それでも幾らか気丈さを取り戻したようだ。お湯で濡らしたタオルを寄越して二人がかりで泥を拭い、身なりも先よりはきれいになった。ただ、目の焦点が合わない。……おそらく、発熱している。
とりあえず目につく外傷は全て消毒して包帯を当ててやって、ソファの背もたれを倒してベッドにし、そこで休ませてやる。しかし男は横にならず、「信じて貰えないかもしれないが、」と何やら語り出した。
「……何?」
どうぞここで眠ってくださいとまでは親切にできないにしても、熱があるなら一旦横になった方がいいのではないか――そんな厚意でソファベッドを貸してやるというのに、そこに座って話し始めるとはどういう使い方だよ。わたしはそんなことのために貸したわけじゃないんだが。……と思ったけれども、とりあえず聞き返してやる。
「おれは本当に革命軍の人間じゃない」
「……じゃあなんで道端で倒れてたの」
男は頭を抱えた。
「嵌められたんだ……」
男の話をまとめるとこうだ。
男の話を信じるなら、彼は正規軍の人間らしい。彼には信頼していた上官がいた。上官は男を信頼していたからこそ、秘密を話した。その秘密は上官の「弱み」になるようなものだった。男はそれを墓場まで持っていこうとしたが、どうしてか別の上官が、男がその「弱み」を知ったことを知っていて、とんでもない私刑(リンチ)に遭ったと。で、そのまま道端に転がされて今に至る、と。
「……今更、気づいたよ。この国じゃ、道端で倒れてる奴は誰だって革命軍扱いなんだってな」
男がニヒルに笑う。
「……」
「それでおれははっとしたんだ。じゃあもしかすると、おれは今まで、革命軍だと思って何人も同胞を見殺しにしてきたんじゃないかとか、色々……」
「……」
「……そう思ったら怖くなった。じゃあおれはきっと、このまま、革命軍の奴らと同じように……」
あんなふうに死んでいくんだ、って。
男はポツリと言った。
「……じゃあさ、いっそのこと革命軍のフリして、革命軍の味方っぽいところに転がり込めばよかったんじゃないの? そしたらスパイもできて武勲も上がって、しかも助かる。一石二鳥っしょ」
わたしはまたシフォンケーキを食べる至福の時間に戻った。柔らかなスポンジと滑らかなクリームを一緒に口に運びながら、興味もないけどそんなことを言う。
「それは……」
ちらりと横目で伺えば、男は空ろな目で俯いていた。
わたしは瞬きを一つする。
意外だった。(彼の言葉を信じるならだが)本物の軍人に向かって素人がサバイバルアドバイスをしたのだ、てっきり笑い飛ばされるか、そうじゃなければわずかな確率で感心されるかだと思っていたのに。
「それは……できない」
案外マジな反応に、わたしはどう答えたものか迷う。
やがて、何故かピンときた。
「……本当に革命軍になっちゃいそうだから?」
口に出してしまってから、ヒヤリとする。
男がその場で激昂して、わたしに襲いかかってくるんじゃないかと思ったからだ。けれどそんなことは起こらず、男は力なく笑っただけだった。
「……そうかもな」
男は小さく呟いて、そのまま気絶した。
ソファベッドの上にくずおれた身体に、適当にタオルケットをかけてやって、わたしは残りのシフォンケーキを食べる。
おいしい。さすがわたしだ。
再び、幸せな気分に浸りながら、わたしは男の方を一瞥する。
「……『弱み』、握っちゃったなぁ」
――果たして、この男に未来はあるのだろうか?
2020年9月