満月だからと、溜めに溜めてしまっていたやることリストをヒットしていっていたら、こんな時間になってしまった。だけどきれいさっぱり片付いて満足だ。

 さて、まだ空が暗いうちに、満月のお願い事をしておこうと思う。
 満月と新月の日にはお願い事をする、というのに憧れているのだ。何かいかにもおまじないっぽくて、わたしのなかの女児の心が満たされる。わたしは幾つになってもメルヘンが好きなのだ。

 満月の願い事は新月の日に、新月の願い事は満月の日に叶うと謂う。今から月が完全に欠けるまでの時間で、何を満たしたいのか、あるいは何を手放したいのか、自分の心身に問いかけてみようと思う。

 月で時間を測るような、そんな時の過ごし方を想うと、直感が冴え渡るような気がしてくる。
 砂時計の砂をずっと眺めているような、風に揺れる木々の葉っぱをずっと眺めていられるような、風鈴の音をずっと聴いていられるような、そんな過ごし方に等しい気がする。自然界の計算、天体の音楽が奏でる、決して常に均一ではなく、予定調和の存在しない、常に揺らぎを孕んだものの運動と共に過ごすことは、忙しくしていたらつかまえることのできない何者かのささやき--それは内なる自分かもしれないし、風かもしれないし、妖精かもしれない--を聴く感度を、わたしたちに思い出させてくれる。

 この前の満月から、わたしは随分自分のことを知れたように思う。わたしはついに、自分の地盤を成している大いなる諦観にやっと向き合うことができるようになった。

 ずっと、自分の中に、シニカルというか、色々と諦めて冷淡に世渡りをしていくことを考えているような部分があることには気付いていた。
 無理なものは無理だから、はい次! っていう姿勢である。どう嘆こうと、そういうものはそういうものだから。じゃあどうしていくか考えるしかないでしょ。みたいな。

 言ってしまえば特大の拗ねである。

「そういうもんでしょ」は、物わかりのいいふりをして、「どうせそういうものなんでしょ」という怒りをものすごく捻くれた形で表していて、でも同時に、わかったよ受け入れるよ、そうするしかないんでしょ、っていう無力感、閉塞感、どうしようもないしどうにもならない感じ、ようするに虚しさの表れでもあった。

 わたしは、いつからだかももうわからないが--いや、やっぱり不登校をし始めた小学4年生からかもしれない--全然、自分の思ったことをうまく伝えられたことがない。

 どんなにわたしが自分の思いを語ったとしても、それはとても感覚的な言葉でしか語れないので、その感覚を覚えたことがない人には伝わらない、という現象が起こる。

 だから、どうして学校に行かないのかと聞かれても、答えられなかった。今思えば、学校という場所のあの言うことを聞かなければならない感じ、自分を大事にしてはいけない感じ、無理やりにでも周囲と仲良くしないといけない感じ、やってることもいる人もつまらないところ、でもつまらないって言っちゃダメなところなどが嫌だったのだと思うが、これらの感じを話しても、わたしが思っているようには全然伝わらなくて、ましてや子どもの語彙力では尚更で、説明することが辛くなってしまった。

 高校時代も、ずっと抑鬱みたいな感じだったけれど、何が気に入らないのか、何が苦しいのかと聞かれても答えられなかったし、どうしたら楽になるのかと聞かれても(学校に行きたくねえんだよだから)と言うこともできなかった。例えば、女性活躍を謳われたってわたしは生理の時ぐらい寝てたいし、なんなら毎日休みがいいし、っていうことだったり、やっぱり先生の言うことを聞かないといけないことだったり、しんどい時にしんどい、つまらない時につまらないって言っちゃダメなところだったり、それだけ窮屈な場所なのにみんな平気そうにしているから余計あり得ないと思ったり、そういうことも結局、誰にも言えなかった。

 わたしの想いは誰にも伝わらないのだ、と思っている。

 だから、わたしは「伝える」ということに、強いわだかまりを持っている。

 ドス黒い、ブラックホールみたいな、あるいは真っ黒な輝きを放つ沙子を引き連れた銀河みたいな、重たくて力強くて、なんだか熱い、そんなわだかまりを腹に抱えている。
 トラウマティックなものと言っていい。

 満月は、欠けていくリズムで生命たちに何かを手放させるのだと謂う。新月は逆に、満ちていくリズムであらゆるものを育む。清算の満月と豊穣の新月。

 そうであるならば、わたしは月が新しくなるまで、「伝える」ことと共に過ごそうと思う。
 わたしのなかのこの、伝えることに対する呪いが、どのように昇華されていくのかを、眺めてみようと思う。

 

 さて、ここまで何も見ずに、自分の中を覗き込んで願い事を考えたが、ここで今回の満月は何なのかを調べてみた。

 今回の満月は蠍座満月で、次の新月は双子座新月とのことだ。2週間ほどで、蠍、天秤、乙女、獅子、蟹、と通って双子に着くという旅路らしい。

 蠍座とは人間の心の奥深く、もっとも熱くて暗くてドロっとしていて生々しくて生命に直結する部分を常に見つめている星座だから、やっぱりわたしが心に浮かべた願いはぴったりあってる感じがする。なんか嬉しい。

 実は前までは、「蠍座満月だからこんなお願い事をしよう」って思っちゃってたけど、違和感があった。人間自分の中を見てれば、自分の外のあらゆるものとも繋がれるものなんじゃないかって思って、本当に何も見ずに感じて考えたお願い事が天体に合うのかどうか試してみたんだけど、確かに合うみたいだ。

 わたしの真っ黒な銀河も、今はそんな蠍座が見つめるようなものそのものの暗さを湛えているけれど、天秤座のように端正に厳格に、乙女座のように繊細で誠実に、獅子座のように華やかで誇り高く、蟹座のように温かに守護されて、双子座のように軽やかに明晰になっていくということだろう。

 きっと、天秤座で責任を持って、肚を決めて、わたしは何かをまた決意するのだ。そうしたら、わたしはまた乙女座の匠の力で、自分の世界をより美しく紡いでいける。その後も、星通りだ。
 これは単なる想像だけど、当たる気がする。

 (2022.05.17追記)

 ↑というのは真っ赤な嘘である。

 月は逆行しないにもかかわらず、完全に真逆に読んでいた。爆笑。

 正しくは、射手、山羊、水瓶、魚、牡羊、牡牛を通って双子に着くという、遠い旅をする。

 2週間なんて短い期間だから、そう長く月が旅するはずがないと思い込んでしまっていた。嘘だろ。

 自然界は、わたしが思っているよりもずっと早く動いているのかもしれない、……いや。
「2週間なんて短い間」という感覚が、現代人の加速しすぎた時間の捉え方なのか。

 2週間はちっとも短くない。二十四節気が一つ巡るし、買ってきた切り花は間違いなく枯れてしまうし、食べ物は腐るし、恋人に会いたくなる。

 いや、そう考えたとしても、それじゃ月は2日でひとつの星座をまたぐということになる。
 じゃあ一体、2日ってどれだけ途方もない時間なんだろう。

 天体の動きには、一つ一つの角度に厳密な意味があるらしい。少なくともそういう読み方をする流派がある。
 刻一刻と、わたしを取り巻く運や縁や環境も、わたしの内部も、見えないところで変わっていっていて、時々その変化が表面化しては、わたしを驚かせる、ということなのだろうか。

 だとしたら、今回は、どんな驚きに出会えるのだろうか。

(/追記)

 

 お願い事というのとは違ったかもしれないけれど、これがわたしのやりたかったことだ。

 わたしは次に月が新しくなるまで、自分の「伝える」ことに対するトラウマがどのように変わっていくのか、観察していこうと思う。

 どのように、この想いが解けていくのか。

 何も焦ることはないし、時間をたくさんかけて、見ていてあげようと思う。
 他の誰でもないわたしのことを。