「夜と霧」を読んで①人生観が変わった話

 明けましておめでとうございます。去年の年末休みに「夜と霧」を読んで、感銘を受けたので、今日はその辺りのことについて書いてみようと思います。

(とはいえ、本についての客観的な考察というよりも、本を読んだことで自分が個人的に受けた影響について書くつもりなので、「個人の人生観が変わった話なんざどうでもいいんだよ」という方のご期待には添えないかもしれません……。ご了承ください。)

 さあ、何が変わったのかという話なんですが、それを語るには従来のわたしがどうだったかを語らないわけにはいきませんよね。

 メメント・モリってあるじゃないですか。「死を想え」ってやつ。

 わたしね、どのように生きるかっていうのを考える上で、やっぱり死への恐怖っていうのかな、あるいは自分なりの死の乗り越え方みたいなのを(意識的にも無意識的にも)念頭において生きてきてたんですよ。

 死ぬのが怖いんです。

 いや、厳密に言えば死ぬこと自体が怖いっていうより、死んだ後で、わたしの人生がなかったのと同じことになるのが、ものすごく怖い。
「わたし」という存在が、いたのかいなかったのかも同じになってしまうことが何より怖かったんです。

 消えたくない。その一心で生きていました。

 だから、歌とか言葉とか、作品を作るのも、「わたしがここに生きていた」というアーカイブを残すためでした。これは「夜と霧」を読んだ後も、ここだけは変わっていないんですけど。

 そして何より、以前のわたしは、「消えるのが怖いから、じゃあ、みんなに覚えてもらえる存在にならなきゃ!!!」って、すごく焦っていました。
 要するに、立派にならなきゃ、ひとかどの人物にならなきゃ、っていう焦りですね。大げさだし青臭いけど、本人にとっては結構本気の焦りです。

 ↑この焦りが本当にくせもので、どれぐらい続くかもわからない自分の人生を、タイムリミットのように感じてしまって、生きることが窮屈に感じたり、気が休まらなかったりしていました。
 常に何か「身になること」をしていなければ、不安で、わたしの人生それでいいんだろうか、って自分で自分を追い立てるのが止まらなかった。

 でも「夜と霧」を読んで、その、わたしが生きる上での「再前提条件」が書き換えられたのです。

「夜と霧」は、現代人が遭遇した中でも一、二を争うくらい最悪な状況から生まれた本でした。
 この本に描かれた「被収容者」たちは、”自分がそれまでどんな人間であったのか”の全てを剥奪され、劣悪な環境の中で、ただ消費される、番号で呼ばれる消耗品のように労働を強制され続けていました。
 また、「生き残る」「生き残らない」を分けるのは、殆どが運命の悪戯です。要するに運。能動的な判断が身を結ばない局面があまりに多く、美徳や賢明さやとっさの起点も、いとも簡単に本人を裏切る世界でした。
 そんな中では、当然、「自分という存在を残す」ことなど、それを実現する方法を考えることすら不可能だったでしょう。

 けれどフランクルは、こうした凄惨で不条理な収容所ないの環境を克明に描く同時に、とてもはっきりとした口調で、そうした状況における人間の精神の--ああ全然うまい言葉が当てはめられない、頑張って、なんとかしっくりくるような、そんな言葉を探すなら--崇高さについて著しているのです。

 上述したような収容所の環境では、大抵の人々は①感情が希薄になり、②自身の生命維持を最優先事項とし、③自分自身か自分と親しい人間の生命に関係すること以外には全く無関心になり、④自身の能動的な判断によって窮地に陥ることを恐れ、極めて受動的になる(自分に言い渡される運命に抗わなくなる)といった「順応」をしていった、とフランクルは記述しています。

 確かに精神とは諸刃の剣--いや、収容所のような状況では殆ど持ち主に牙を剥くことばかりです。屈辱や恐怖は苦痛そのものですし、絶望は極限状態において死に直結します(クリスマスが終わった後、強制収容所で多くの人が亡くなったという話はあまりに有名です)。

 けれど、一方で、そんな状況下においても、むしろ精神の力を支えとして生きていた人もいたのだと言います。

(

(その「精神の力」というのもいくつかのトピックに分かれるのですが、まずはやはり、最もわたしの人生観に影響を与えたお話からします。)

「なぜこのような辛苦、それも報われることもないだろう辛苦がわたしに与えられたのか」--もう少し噛み砕くと、「この苦しみに、自分はどんな意味を与えるのか?」

 哲学的、いやひょっとすると宗教的とすら言えるこの問いについて、自分なりの答えを出していた人々もいた。そんな人々は、収容所の環境を己の糧として、人間として高いレベルに到達した--収容所にありながら、「典型的被収容者」とならず、人間としての尊厳を持って生き抜いた--。

 この話を聞いた時、わたしは考えたのです。

「報われることもないだろう辛苦」。

 そうだ。彼らの苦しみは、わたしの言葉でいうところの「身になること」には、ならないかもしれないものなのです。「身にする」ことなんてできないまま、自分は力尽きてしまうかもしれないから。「身にする」ことを目指して足掻いたって、たぶん、自分が生き残れるか生き残れないかを決められるのは、気まぐれな神様だけなのです。
 それでも、この精神が続く間、どうにか生きていくことができる間、自分はこの目の前の生をどうやって生きていこう?--

「この苦しみに自分はどんな意味を与えるのか」という問いは、それを考えるための問いなのかもしれない、と。

 それで、わたしの生きていく上での再前提条件が変わりました。
 意識する対象が、「わたしという存在が死ぬとき」ではなく、「わたしという存在が死んだ後」になったのです。
 それによって、「消えないように残さなければ」ではなく、「残らなかったとしても」と、考えるようになりました。
 そうしてわたしは、「いつか死ぬからこそ、せっかくの今を」と、自分なりの答えを出しました。
「今を重ねて、死ぬときまでに!」と焦るのをやめて。
 この「答え」は、わたしが今まで考え、触れてきた色々な価値観や自分にとっての真実が結合して生み出されたものなのですが……なんかそれをここで詳細に語っても「夜と霧」とは関係ない話ばかりなので割愛します。

 さて、話を戻しますが、別に出した答えはどんなものでも、当人にとって本当に納得がいくものならまったく良くて。
 ただ、自分なりの前提に基づいた問いを立て、それに自分なりの答えを出すことが、こんなにも、地に足がつく心地がするものなんだなって初めて知りました。
 おそらくこの感触こそが、最悪の状況下でも支えとできるものなのでしょう。

 こうして、「辛苦(=何にもならないかもしれない己の人生)の意味」について考えること、自分なりの答えを出すこと、それを指針として生きることは、近代以降一、二を争う最悪な環境でもその持ち主を支えたわけです。
 ならきっと、わたしの「答え」も--これから先どんな状況下でも自分の支えになってくれるんじゃないか--そんな風にも思いました。

 焦りが湧いてきたとき、「わたしの人生これでいいのかなあ」ってぼんやりした不安に飲み込まれそうになったとき、これからわたしは必ず自分の出したこの「答え」を思い出すでしょう。
 一番広い視野で、人生の意味について考えて出した答えですから。いわばわたしの人生哲学の基礎の基礎ってわけです。だから、思い出すことで、「大丈夫、わたしの人生、これで大丈夫だよ」って、ほっとできる。 そうしてほっとすることが、わたしには必要なんです。

”自分なりの人生哲学”とかって、別に「わたしはどう生きれば良いんだろうか?」って気になって不安にならない人は別に考える必要ないと思います。わたしは不安になるから考えざるを得なかったってだけなんです。そして多分、自分で出した答えじゃない限り……つまり本に書いてあることや、人に言われたことを真似ているだけである限り、地に足のついた心地ってなかなかしないと思います、ソースはわたしです、恥ずかしながら! 経験則です!

 だから今回のことで、やっと一つ、自分なりの答えが出せたなって、そういう感激もあって……つい、こんなに長文を書いてしまいました。

 さて、もともとはこの後にフランクルが「夜と霧」に書いていたほかの精神の力について書こうと思ったんですが、再現なく話が広がっちゃう気がするので、②、③と分けて書こうと思います。
 夜と霧を読んで②は精神の力について、③は利己と利他について書こうかなと思っています。
(正直現在立て込んでいるので、いつになるかわかりませんが! すみません!)

 さて、最後になってしまいましたが、こんなに長い自分語りを最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!!!
 本当に愛です、ありがとうございました(本当にありがたいので二回言いました)!!!

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

感謝を込めて
宵部

寂しいというようなそんな気持ちを捉えてみようと頑張った。とてもプライベートな自分語りです。

 時々、朝起きて、自分の隣になんの温もりもないことが、寂しくなることがある。愛なんて重くて、情念で十分だと思っているけど、私の交わしたいものを交わせる相手とは、未だに出会えていない。

 寂しいからって誰でもいいわけではないのは、決して豊富と言えるわけではないにしても、自分の中で小さくはない失敗たちのおかげで、よく心得ている。……っていうか、誰でもいいわけではないから、この人がいいって相手は手に入らないから(人を手に入れられるはずはないんだけども、感覚的には「手に入らない」という言葉がしっくりくるのだ。「手が届かない」でもいいのかな)、私は時々澄みすぎた冷たい空気の中に立ち尽くすような気持ちになるのだ。

 恋愛関係ということになると、「わたし」と「きみ」の間にある透明な壁が急によく見えるようになる。私はそう感じることが多くて、だから色々と諦めている。恋愛に夢を見ない、恋に恋するのを卒業したどころか、恋に失望している。

 私はあまり自分を女だと思ったことはないし、そう名乗ることにはかなり抵抗があるけれど、自分の身体がおんなと世間一般的に呼ばれる形をしていることについては、さほど気にならない(服を着るときに胸が目立つのは嫌だが、かといってその胸を取り去ってしまいたいとは思わない。胸が目立たない服を選ぶ。そんな感じだ)。でもそれは、おんなの身体に抵抗がないというよりも、それが自分の生まれ持った身体ならば、せっかくだしそれで生きてみるかー、という気持ちだ。私はそれをおんなの身体だと認識できない。それはわたしの身体でしかない。ジュディス・バトラー的にもそうなのでは? と思う。「おんなの身体」「おとこの身体」というもの自体、社会的な構築物で、実際にはそれぞれの身体があるだけ、そういうことだ。

 ところが、そこに他人が入ってくると急に訳が分からなくなる。他人というのは「わたし」に対する「きみ」でも十分だし、「その他大勢」でもそうだ。「わたし」以外からすると、どうやら私はおんなにしか見えず、そして私の恋愛対象は男性なので、でも私はどうやったって世間一般の(?)異性愛に馴染めないのだ。好きな人と家族になるなんてしんどい(「家族」って言葉はいろいろな問題を覆い隠すブラックボックスだと思う)し、夫婦になりたいとも思わない。ただ情念で繋がってさえいればいい、そう思う。もっと目先の話だってそうで、そりゃ私だって好きな人には魅力的に見られたいけど、その魅力とは別に「女性的魅力」じゃないのだ(それが何かもさっぱり、見当もつかないのだが)。相手の魂を愛おしみたいし、私だって魂を愛されたい。その現れとして肉体的な触れ合いがあってほしい。そう思うのはあまりにも理想主義的なのだろうか。いやでも、自分が関わってくる愛に自分なりの理想というか、希望を持つのは、自分自身のために大切なことじゃないか。

 それなのに、私が今まで関わってきた何人かの「きみ」は、私をガラスの壁の向こう側の人間として見る。いや、自分の性自認がXであることに、その時は私は気づいていなかったから、それも仕方がないんだけれど。でも……

「異性」というガラスの壁。

 それがあるからこその異性愛だ、っていうことなのかもしれない。もしそうなのであれば、やっぱり私は全然シスヘテロじゃない。私は「異性」と恋愛をしたいなんてかけらも思わない。ただ恋愛対象が男性で、身体がおんなで、性自認はXで、好きな人と恋愛したいだけだ。その人であればなんだっていいけど、恋愛的に好きになる「その人」は、どういうわけか男性ばかりだ、ってだけだ。

 あるいはそうじゃない「きみ」は、私の手の届かないところにいる。

 ……なんだかしんどくなってきた。こんな文章書かないほうがよかったかもしれない。結局どうしようもない寂しさがそこにある、ということを直視しただけの文章だ、こんなの。ただなんとなくモヤモヤして、物事に向かう自分の足を重くさせるこの蟠りを整理しようと思って書いたけれど、書いても解決策なんて見つかるはずもなかった。まあそりゃそうだ、相手がいる話だもんな。私自身が何かすることだけで変わったら、とっくにそうしている。オチのない話で恐縮だけれども、この話はこれで終わりです。おしまい。解散。あーあ。

ワンピースを燃やすか燃やさないかという葛藤について

 大好きだったワンピースもそれを着たら自分が女だってことになるなら燃やすしかないのかな、女であること、このわ・た・しという一人称も柔らかい身体も邪魔で邪魔で仕方がないんだ、わたしの身体であってこれは女の身体じゃない、しんどい。

 普通の家族の形というものがわたしにはしんどくてならない。わたしは誰の妻にもならないし当然嫁にもならないし、母親にだってならないし、彼女にすらならないかも。なれないよ、だってわたし女じゃないもん。なれないしなりたくないからならなきゃいいんだけど、それで誰かと愛し合えるのかな。

 いや、言葉が厳密じゃないね。それを踏まえて愛し合える誰かと出会えるのかな。

 会えると良いな。そう思うしかないからこの話はこれでおしまい。

 どうも無性です。性別などわたしには無いです。よろしくお願いします。

イヤホンとCDとわたし

 わたしはCD時代末期、あるいはダウンロードの世代なのだと思う。
 あ、1999年生まれ、現在(2020/07/01)二十歳です。二ヶ月後に二十一歳になります。よろしくお願いします。

 そもそもわたしは、能動的に音楽を探して聴きはじめた入り口がボーカロイド界隈だ。
 いや、それよりも遡ると、イヤホンジャックを挿せるものからならなんでも音を収録できるおもちゃ↓からなんだけど。

 タカラトミーから出ていたミュージックパクトというやつだ。(多分今はもうない。後継機とか出てたりするのかなぁ?)
 しかもこれ、持ち運べるのである。つまり家の外でも電車の中でもどこでも、イヤホンとこれさえあれば音楽が聴ける。当時のわたし(小学3年生)にしてみたら実質iPodである。

 閑話休題。ボカロ界隈の話に戻る。
 当時は「にこさうんど」という、ニコニコ動画の音源をダウンロードできるサイト(著作権保護の観点から、わたしが中学に上がったあたり、2011年頃に無くなった)があったため、わたしが音楽を探して聴いて「手に入れる」場所はもっぱらそこだった。
 ダウンロードした音楽をiPod(親からお下がりをもらった気がする)にせっせと入れ、それが自分のコレクションであり宝箱になった。
 あまりにもダウンロードした同人楽曲が多すぎたため、自分で勝手に曲調から分類してアルバム名をつけておおざっぱに分けていた。
 あと、ちゃんと誰が作曲したのか、一曲一曲手で入力したりとか。
 その作業の全部が好きだった。

 当時はアカウントとか会員登録といったシステムが理解できなかったため、ニコニコ動画自体に入ったことはなかった。それに、動画を見る文化が自分にあまりなかったので、入れたとしても身体に馴染まなかったと思う。

 画期的だったのは、ニコニコ動画にはタグというシステムがあったこと。
 ボカロ界隈には、色々なジャンルの音楽を作る人たちがいる。タグから気になったジャンルの音楽を絞り込んで探すことで、色々な音楽に出会えた。
 それにタグは、ジャンルみたいなもともと決まった分類だけでなく、特定のボカロの扱い方とか(わたしは「レンの低音」タグが好きだった。鏡音レンは高音域中心に使われがちだけど、低音がものすごくカッコいいのである)「ききいる」「泣ける」「燃える」などのムードとか、ユーザーたちがふんわり名付けた属性も含んでいる。
 これがまた、たまらんかったわけですな。

 いわゆる「埋もれて」いる音楽すらも、めちゃめちゃ掘り起こして聴きまくった。
 他人からの知名度がなかろうとも、わたしにとっての宝石になるならばなんでもいいのだ。

 動画自体を見るでもなく、ただ音楽を探して、見つけて、聴いて、選んで、落として。自分の耳に届いた音楽と詞だけで判断する。
 音楽と一対一で向かい合うあの時間が、間違いなく今のわたしの人間性も、音楽性も作っている。
(……そう思うと、今は音楽と一緒に入ってくる情報が多すぎる気がしてくる……わたしが大人になったせいかな……)

 小学校高学年の、不登校しがちだった時代を、わたしはボカロ界隈の音楽とイヤホンに支えられて生きたのである。
 学校が苦しかろうと、わたしの不登校のせいで家が荒れようと、目を瞑って音楽を聴けば、そのときだけはその曲の世界に飛べたから。

 とはいえ、そもそも音楽を作った本人がダウンロードされることを望んでいなかったら、わたしのやったことは「盗み」でしかないし、違法アップロードされたものを聴いたことだっていっぱいある(ゼブラヘッド、ジャミロクワイ、パドル・オブ・マッドはそこで初めて知った)。にこさうんどがなくなるのはある程度仕方がなかった。

 というかその時代から、「音源がタダになっていく」は始まっていたのだな、と今思い返せば思う。
 お金も何もない小学生にあれだけ豊かな音楽鑑賞経験ができたのは、裏で、音楽が金にならない時代が到来したおかげだった、とも言える気がするのだ。

 その後、にこさうんどがなくなり、あとカゲプロ・kem氏・LastNote氏以後のボカロに馴染めなかったこともあり、邦ロックを聴くようになった。

 CDを買うことはなかなかできなかったから、TSUTAYAでレンタルしたものをiPodに入れて集めた。
 だから、CD自体が宝物になるわけではなかったけど、ダウンロードしたデータに、CDみたいな「所有できるもの」としての価値を感じていた。

 それで今、CDを買えるような大人になって、どんどん「CDで所有したい」に回帰しているところがある。あの時は金銭的に無理だったから。あと今はストリーミングが主流になってきちゃっているから、大事なものはフィジカルで持っておきたい、みたいな。
 あと!!!! 好きなミュージシャンに、今ならちゃんとお金が払えるから!!! 払いたいというのもとても大きい!!!!!!

 わたしは板挟みなのだ。
 CDじゃなくてダウンロードという、「音源が無料になる」時代の波の中にいたおかげで、小学生時代から豊かな音楽鑑賞ができた--完全に音源が無料になる時代の恩恵を受けた人間なのだけど、
 でも、「音源はプロモーションだから無料でいい、ライブやフェスでマネタイズする」という方向にはイマイチ馴染めなさを感じる。
 というのも、わたしは「音源」にとてつもない愛着を持っている、神秘性を感じてすらいるからだ。
 だから払えるもんならお金を払いたいし、無料でいいと割り切られるとモヤモヤするのだ!!!!!!
(なんかアライさん口調になってしまった)

 感覚過敏で「生」(ライブやフェス)に行けないというのもあるけど、
 わたしにとって音楽はずっと、「目を瞑って、イヤホンで、膝を抱えて聴くもの」、オルタナティブな現実/居場所だったわけで……
「音源はプロモーション、ホンモノはライブ」みたいなのには、わたしは賛成しかねるというか……
 少なくともわたしの音楽はそんなことないです。

 だから「音源」が「音源」として、神秘性を持ち続けて生き残るシステムが欲しい。
 でもお金のある人しか聴けないっていうのもイヤ。

 それで、復古主義的にYouTubeでラジオ的配信(自分の音楽を流しつつ話す)をしているわけなんだけど……

 まとまらなくなっちゃったけど、別にこの記事は何か答えを出そうとして書き始めたわけじゃなくて、この際だから、わたしはどういう立ち位置の人間なのか整理しておきたくて書きました。
 どういう立ち位置っていうのはつまり、CD世代なのか、ストリーミング世代なのか、みたいな話。

 結論としては、2020年に21歳を迎えるわたしは、
 CDもストリーミングも、気に入ったものをダウンロードして、iPodという端末に収集する人間でしたとさ。
 ダウンロード世代です。

 ……タイトル、「イヤホンとiPodとわたし」とかの方が合ってたな。
 でもこのタイトルの方が何書かれてるのか分かりやすそうだから、このままでいきます。

 読んでくれてありがとう。

あまこもり

 ちょっとだけ時間が空いたね、久しぶり。

 なんかこう、いきなり色々と思い出して、突発的に引きこもりたくなってきちゃったわけですが、これってもしかしてまた曲を作るためのチャンスなんじゃねぇかなとか思いながら、着心地の良い部屋着姿で部屋にこもってる。

 人が怖くて、いや、人が怖いっていうか人の怒気や悪意や大声や白眼が怖くて、天蓋つきのベッドの、分厚く垂らした幕の中で膝を抱えて目を瞑って音楽を聴いていたい、そんな気分だ。
 これも全部低気圧ってやつのせいなのかもしれないけど。

 雨が降っていると、「Rainy Shelter Dwellers」と「真相」のことを考える。

 雨っていうのはだから、天蓋と同じ働きをしているんだよ、閉じ込めもするし、守ってもくれるもの。
「ここ」と「外」を決定的に閉ざすもの。

 そうやって外の世界を遮断して引きこもっていることは、あまりいいこととされていないのかもしれないけど、でも確かにそこには安心があるし、その安心がまるきり悪いものだなんて認めたくないし思いたくない。
 確かにそれは温かくて落ち着く場所なんだから。

 なんか、人伝てに霊媒?してもらったときに聞いた話、わたしの前世は地下に監禁されてた子どもだったらしいんだけど、
 その前世のわたしは、自分を閉じ込めてくる牢に、むしろ安心してたんじゃないかなあって思ったりする。
 怖いものはそこを乗り越えてこないでしょう。
 そういう気持ちがあったってことは、わたしは罪を犯して監禁されたんじゃなくて、怖がられたから監禁されてたのかもね。隠されてた、みたいな。

「宵部帝国」も、その牢が自分で気づいた城壁になっただけだし。
 籠城したいという気持ちがずっとある。
 ひとりでいるのが一番安全じゃん、みたいなね。

 家にこもって、雨音を聞きながら、膝を抱えて音楽を聞いたり、目を瞑ったりして、安心安全を謳歌しているよ。

 そういう静けさが、わたしには、時々必要になるんだ。

きょうの活動と断片。6月27日、2020年

 きのう、配信をした。

(あ、タイトル「きょうの」ってなってるのに昨日の話から入った)

 夢中で小説を書いていたら、なんだかオンライン授業を受けている日常のことが、ひどく遠い昔のことのように感じた。
 不思議だね。この感じが、不登校時代からずっと好きで、救われていたんだと思う。
 そこまで入り込むのには時間の余裕が必要なんだけど、とても安心できるんだ。
 自分で作った世界の中に入り込んで、夢中になって、文字通り「我を忘れられる」感覚。無我夢中ってやつか。
 それが、自分の心や、意識を守るために必要な気がする。
 ここにいない誰かに、たいてい心ない言葉や視線に意識をとられるのは美味しくないからね。

 ボカロP「朱川仁礼」としての次の曲の構想もできた。新しい試みをいろいろ凝らしたものにしていきたい。

 YouTuberの動画とか、MVとかを、ちょっと分析的な目で見てみた。あと音楽も。
 それでノート(紙)に書いて気づいたんだけど、あくまでわたしの場合かもしれないけど、ノートが思考を作るのかもなって。
「ノートに書く」という行為が思考を作るのかも!って思ったので、ノートをとるか物を作るかしている時はわたしは「活動中」で、そうじゃないときは「休憩中」なのかも、なんて気付きました。

 10分DTMの動画も撮りたいな……

きょうの断片。6月23日、2020年

 物語に出てくる勇者や魔法使いや旅人は、なんて自由なんだろう、って思った。
 自分で自分の進む方角を決める力に溢れていた。

 授業の一環で、MVの分析をした。題材に選ばれていたもののどれもが素晴らしい映像作品で、こうやって映像は分析するのか、ととても勉強になった気がする。

 映像は、いろんな人に共有されてきたイメージを取ってきて接ぎ、編み込んで紡がれて行く、ような話を聞いて、うおおおっとなった。
 でも、何度か書いているように、わたしの音楽に映像をつける?ってなった時に、わたし自身は頭の中で映像のような一枚絵のような「ビジョン」を見て、それを曲という形で表現するので、映像をつけると、曲から想起されるイメージを規定してしまうんじゃないかっていう恐れが強い。
 そう、視覚はイメージを強く規定してしまうから。
 とはいえ、MVっていうものにはとても興味がある。
 むむむ。

 考えさせることとホスピタリティ(鑑賞者へのやさしさ)。いつも悩む、難しい問題だ。
 でも、含意やレイヤーの重なりやが多ければ多いほど、そしてそれを考えさせる深度があればあるほどよさそうだ。
 感覚や感情で掴んで、でも明かさずに、含んだまま、考えさせる。
 そんなものが作りたいな。

 ↑のことを、文芸をする上でも考えていきたい。
 そう、声にするための文章をこれから書き始めたいと思うのだ。
 これは何かのプロジェクトにすると思う。プロジェクト〈天蓋〉のように。

 それから、前々からちらちら言っていた「哀と傷」セルフライナーノーツですが……CD(フィジカル版)を発売できそうな算段が立ちつつあるので、そのときにリリースさせていただくことにしました。失礼いたしました。

 明日はプロジェクト〈天蓋〉も更新したいよ!

きょうの断片。6月21日、2020年

 またクレヨン で絵を描きました。
 クレヨンは発色がとても良くて、鮮やかな色が大好きなわたしはそれだけでときめいちゃうし、クレヨン画は、ものを線じゃなくて面で捉える描き方をするんじゃないかなって気がするから、線が苦手なわたしでも、なんとなく味のあるものが描ける感じがして気分が上がっています。
 百均で売っている最小サイズのスケッチブックに書いているんですけど、このままいくとすぐ使い切ってしまいそうです。
 それぐらいめちゃくちゃハマっています。脳汁出ます。

 それから、朗読についての研究、今まで調べたことをまとめました。
 小説や評論の朗読って、実はかなり無理があるし、「朗読らしさ」によってオーディオブックが聴きづらくなっているところあるんじゃないかなって……少なくともわたしはそれで敬遠してしまっているので。
 朗読らしくはないかもしれないけど、抑揚の少ない、聞きやすいけど朗読者が自分を出さない朗読っていうのも、「本を聞く」ためには必要だと思うし、っていうかホラーとかSFとかミステリとかハードボイルドとか、評論とか、そっちの方が似合う作品も絶対あるだろうし、ってか多いと思うし、
 それに、朗読らしくない、上手くない、クセのある読み方だって、それが普段その人が使ってる声に近いのなら、そっちの方が面白くないかなあとか。訓練されたプロの声も素敵だけど、素人の声や話し方に潜む”クセ”に、新しい可能性が眠ってそうじゃん、現代演劇もコンテンポラリー・ダンスもそうやって進化してきたじゃん、とか考えています。
 あと、そもそも読むための文章を書くところから始めても楽しそうじゃん、とかね。それが新しい文芸を作るのかもしれないって。朗読って、「本来は黙読するためのものを音声にする場違いな行為」なんかじゃないんだよ(竹内敏晴さんという演出家さんが、日本人の朗読に対するイメージはそういう感じって指摘していたらしい。ギクって感じだ)。
 そうやってまとめながら、ああそろそろ作品作んなきゃな、作りたいな、って思ってました。音響作品。
 着手したい。

 MVの分析をして、すげーってなりました。
 くわしくはまた明日分析するので、これについては明日の断片になると思います。

 課題でお寺の儀式の様子を見て、お経を読むときの息継ぎ、そのフレージングがすごくいいなって見つけたりしました。
 朗読の時に間が大事なのも、やっぱり声と声の間の静けさには、何か神秘性が篭っているからな気がします。

 それと、言い忘れてたけど一昨日、6/19金曜日にまたラジオをやりました。

 今回は、おすすめのものを紹介するコーナーなども入れ込んで、またわたしがしゃべる時間と音楽を聴いてもらう時間のメリハリをつける感じで進行したので、前回より楽しめるんじゃないかと! 手応えを感じています!
 聴いてね。

 きょうはやらなきゃいけないことをいろいろこなしたので、寝ます。

 あたらしいオーディオブック、新しい朗読、「耳で聴く文芸」を作って行けたらなって思い始めました。
 Twitterで音声が投稿できるようになったわけですし。
 早ければ朗読向けの文章とか書き始められたらいいな。
 一人称視点みたいな感じで、人間が語っても違和感のない文章で。
 流れるように、フレーズがきれいになるように。

 おやすみ!

きょうときのうの断片。6月20日、2020年

 関根光才監督の「INVISIBLE」を見た。

 とてもしんどかったが、とても大切なことがたくさん言われていた。
 その「大切なこと」をここで書くのもあまり意味がないので、是非見て欲しい。

 今週の授業を受けていても思ったけど、わたしは、わたしたちは「公共」の概念をずっと誤解していたと思う。
「公共の」というのは「みんなの」ということ、その「みんな」は、場所ならばそこを使っている「みんな」だし、市民、ひいては人類全体でもある。
「みんな」で使うところは「みんな」で話し合って決める、誰か偉い人や国や行政が決めるんじゃなく、なんて発想がそもそも無かったことが悔しかったし、なんで知らなかったんだろう、なんで教えてくれなかったんだようと思った。
「公共性」に基づいて、一市民として話をする、そんな場所が必要だ。
 あと、アーティストとは「公共性」に基づいて、人類全体のために、自分の信念に従ってものを作るのであって、誰がパトロンであるかは関係ないという考え方も、はっきりと示されたとき、「そうだったじゃん」って愕然とした。

 あと、古本屋で本を物色して古き良きミステリを手に入れたのと、
 ライトノベルの語り口(特に地の文の書き方)ってやっぱりTRPGの影響が強いなって感じたのと、
 久々に外食をして、個人経営のお店だったけど盛況そうでとりあえずほっとしたのと、
 クレヨンで絵を描くのが楽しすぎた。

「見える化」と「公共の場」がキーワードだな。

「本好きの下剋上」
「クレイジー・リッチ!」
 を、友達から教えてもらった。

 

 

学校がしんどい君へ。8 〜お弁当グループ〜

 久々の更新になってしまいました。お待たせ。

 ここ数日、「え、もしかして社会ってマジでしんどい??? マジか……」って気が付いて、どよ〜んとした気持ちでいました。
 何かを決める重要な立場の偉い人たちが、みんな頭の硬い、古い、自分のことしか考えてない、想像力と共感力って知ってる?的な人たちなのかもしれないし、そうでなくても臆病で頑なで、だから何も変わらないのかもしれない、どんなに頑張ったって、声を上げたって、無駄なのかもしれない、なんてことを考えてしまって。
 でも、わたしたちよりずっとずっと年上の人はともかく、今還暦ごろの人たちとそれより年下の人たちとかは、どんどん価値観が変わってきてるんじゃないかなとも思うので、偉い人たちのことを見るのもとても大切だけど、周りを見渡したら仲間や仲間候補は結構いるんじゃないかなって希望も捨てずに行きたいね。

 話は大幅に変わって、「お弁当グループ」が苦手だった話をします。

 わたしは中高と女子校にいたからより気になったのか--いや、別に共学にいても女子のコミュニティってそんな感じなのかもしれないんだけど、お弁当グループっていうのがありました。
 いつも同じメンバーでお弁当を食べるわけです。
 つまり「特に仲良い人たち」「いつも一緒にいる人たち」ってことですね。

 でも正直に言うと、当時のわたしはそれが少し窮屈でした。
 あと、どこのグループに所属しているかで、そのクラス内の社会的立場が担保されるみたいなところもあって。
 カーストみたいな感じではなかったけど、「無所属」がいない感じがどうも座りが悪くて。
 国家を形成する最小単位が家族、みたいなように(わたしはこの考えには超反対ですが。だからお弁当グループという暗黙の制度に違和感があったのだと思います)、教室を構成する最小単位がお弁当グループでした。

 そもそも、自分がかなり変わった人間であるという自覚はあったので(自分が他の人とは違う、ということは、小学校時代の不登校により確固たる「事実」になったわけで)、「浮かないかどうか」「場の空気や平和を乱していないか」と常に気を使わねばいけない環境がしんどかったです。

 わたしはもともと一人をエンジョイする人間でした。暇なときはお話を作ったり歌を作ったりして、ずーっと一人で過ごせる一人遊びのプロだったのです。あと昔から創作フリークだった。
 だから、誰かと一緒にいるより一人でいる方が楽しいなんてことも、そりゃ当然ザラでした。
 その「誰か」が、わたしの話したいことを話せない相手なら尚更。
 わたしの話したいこと、というのが、哲学的だったり抜本的だったり時に過激だったりする問いだったから、当然と言えば当然なのですが。

 今思えば、落ち着いて一人でいればよかったのかもな、とも思います。
 もっと自分一人で自分に自信を持てる方法を(今のわたしが知っているように)早く知って、とにかく自分の世界だけを突き詰めればよかったんだろうなって。
 学校の中に自分と価値観の合う人がいないなら、本とか読んだりして、本の中に自分が共感できる考えの人を探したりとかして、どんどん深めていけばよかったかなーとか。まあ疲れててそれどころじゃなかったんですけど。

 どのグループにも入ってないけど、喋ってみると実はすげー面白いし、でもやっぱりよくわからんし、でもすげー面白い。そんな人になれたのかもなーって。

 とはいえ思春期・反抗期ですし、周りにどう見られているかが気になるのは当然です。
 それに、学校の価値観だと、やっぱりお弁当グループに属していないって言うのは社会性がないっていうふうに判断されていたかもしれません。
 ということで、当時の私も、お弁当グループになんとか身体を収めるのが生存戦略だったのでしょう。
 ものすごい閉塞感でしたが。

 一人でいるのが楽しいからといっても、話せる人が誰もいなくてもいいわけでは決してありません。孤立するのは嫌なのです。
 ただ、周りに話が合う、なんでも話せる人がいればよかったなって思ってました。
 そういう人と「お弁当グループ」になれたら、そりゃ学校行くの、学校生活楽しいだろうなって。
 わたしは残念ながら、そういう人に学校で出会えませんでした。
 ちゃんちゃん。

 今は出会えているので、とりあえずよかったです。

 ……なんだかしんどい話になってしまいましたが、「お弁当グループ」が苦手な仲間は、とりあえずここに一人います。そしてわたしがいるということは、仲間は絶対にもっといます。
 あなたは一人じゃありません。

 今日はここまで。次回は「閉塞感」について書こうと思います。
(気が変わるかもしれないけど)

 最後まで読んでくれてありがとう。
 また次回、お会いしましょう。

 わたしはあなたの味方です。
 ずっとね。