みんなそうなんだろうけど、わたしは子どもの頃本当にのんびり屋さんでね。
どんなことにも興味を持って「やってみたい!」って言うくせに、ひとところにとどまってゾーンに入ってじーーーーっとお砂場で何か作ってたり、絵を描いてたり、お話を妄想したり歌を歌ったり歌を作ったりに明け暮れることが大好きだった。
歌を作り始めて、まあまあいい感じの「音楽」になりそうになったのが小1のころ。もちろん伴奏とかはないけど、あの頃から作った曲は全部わたしの頭にも入ってるしノートやボイスメモにも残ってる。いつかまた再生させられないかなーって思ってたりするぐらい。
お話を小説みたいな形で書き始めたのは小3の頃。おかげでタイピングがめちゃくちゃ早くなった。その後不登校になってからも、読むのも書くのも物語の世界がわたしの居場所で、ずーっと母と兼用のパソコンで何かタイプし続けていた。プロットもない、思うがままに書いたお話だけど、あの時は本当に楽しかったなぁ。
そんなふうに、気に入った動作をずーっっとやってたかった。
あのとき、わたしは確かに自分の世界を確立させていた。
師はいつだって自分、という言い回しがあるけど(嘘。わたしが今考えた)、やっぱり、あの頃のわたしは今のわたしの師でしかない。わたしの憧れの引きこもりマスターだ。
それがどういうわけか、周りに合わせて頑張って走ることを覚えてしまった。大してそんなの得意でもないくせに。
そんなにわたしは器用でもなければ、臨機応変でもない。一つのことに固執し、ガンコ一徹なタイプだ。どう考えても、隠者が性に合っている。
「隠者」と「ピンクのヘアゴムでツインテして愛想を振りまく」はだいぶ違うような気もするが、わたしの根っこの部分では強くつながっている。どちらもわたしの本来の姿な気がするから。人のことは好きで、あるいは好きな人としか付き合いたくなく、基本的に放っておいてほしい。
ちゃんと自分の世界を取り戻したい。わたしはいつからか、周りの、横の集団なるものを感じ取って、それに合わせようとしてしまっている。
それが社会的にはまともな生き方なんだと思う。いやマジで。現代社会では、隠者というのは変人あるいは狂人だ。うん、引きこもりっていう言い方やめねーか? 隠者だよ隠者。ハーミット。
わたしは高校時代から「わたしは仙人になりたい。」というブログを書いたりしている(そのブログは消してしまったので、もうネット上には残っていない)。やっぱり隠者気質だった。
仙人も、隠者も、高等遊民も、世捨て人も、引きこもりも、全部おんなじ意味だ。でも今の社会じゃ若者がそうなるのも無理もないと思うよーーーー!!!!!!!!
社会のせいにするつもりはないけど、一方でそれも真実だと思う。これがイチZ世代の本音です。
わたしの尊敬する人曰く、自分で社会を作る、あるいはわたしの言葉に言い換えると自分の周りに社会を築くためには、やっぱり横を見ないこと、ちゃんと引きこもることが大事らしい。
どう考えても変人で狂人なのに、「現実もしっかり見よう」と頑張ってきたわたしとしては、そうしたら狂人になってしまいそうでとても怖い。
……その恐怖を克服するためにフーコーとか読んでみたらいいだろうか。(『狂気の歴史』)卒研で忙しいからすぐには読めないけど、心は軽くなりそうだ。そうだよ、偉大なフーコー先生も「狂気とは恣意的に排斥されたもの」「中世などにおいては狂気は必要とされていた」って言ってたじゃん、だいじょぶだいじょぶ!
……めっちゃ情緒不安定なブログになってきたぞ。
でも狂人になる覚悟を決めるなら良い兆候なのかもしれない????
とにかく、「ちゃんと引きこもる」をやってしまったら、狂人になってしまうんじゃないか、視野の狭い、エコーチャンバーに閉じ込められた人間になってしまうんじゃないか……それがとても怖い。
でも!!!!!!
一般社会にも適合できない!!!!!!!
でも、エコーチャンバーじゃなくてガラパゴスの存在になることはできないだろうか。
いやまあ、ガラパゴスもあんま良くない例えにされることもあるんだけどさ……ウン……
わたしは相互理解や異文化、自分と異質なものが苦手なわけではない。興味がない他人には徹底的に興味がないが、興味のある他人のことは徹底的に好きだ。
ただ、みんなが常に何か忙しくて、何かに置いていかれないように走り続けているような気がする場所に身を置いているのが、もうそれだけで疲れてしまうだけなのだ。
わたしにとっては、常にしがみつき続けていなければ振り落とされてしまうような世界に思える。スピードが早すぎる。
かつ、何かをしたいと思っても、様々な都合や時間的制約に挟まれてできなくなってしまう、そんな場所なような気がする。
わたしは一度始めたことを他人の都合で中断されることがクソクソクソクソクソ嫌いだ。ウン、本当にタチの悪い頑固偏屈職人みたいである。
……という世界観をわたしが持ってしまっていると自己紹介したところで。
狂人になるのは怖いけど、どのみち狂人になるしかないのである。
狂人になる覚悟を決めて、隠者となるしかない。
わたしはそういうふうに見えてしまっている「外の世界」に適合できない。
一番良いのは「外の世界」の見方を変えることなのかもしれないけど、これはもう、下手したら10年以上変わらなかったものだ。自分なりにその間足掻いてきたつもりだけど、駄目だった。
あと実際、世の中が変に忙しいのは完全にわたしの体感というだけではないみたいだ。デヴィッド・グレーバーもそう言っている。
むりだ。
わたしの世界には、本来わたししかいないはずだ。