↑この記事の続き。
不登校時代の自分がわたしの師だとしたら、何か困ったときは彼女に問い合わせれば良いのではないか。だってわたし自身なのだから、わたし自身のことを誰より分かっていて当然である。
過去のわたしも、あのときはただただ根拠はなく、でも自分は間違っていないはずだと信じる一心で生きていた。
根拠はなくても自分を信じられることこそが、あの時のわたしの強さだった。わたしはもともと強さを持っていたのだ。わたしは、強い人間だった。
でも、どこかで心配で不安な部分もあったと思う。それでも自分の信じる自分のために、戦い続けていたのだ。本当は辛かったと思う。
だから、今わたしが彼女を頼りにすることで、彼女は自分のしたことが「何かになるんだ」って思えるに違いない。
過去の自分を師にすることは、そのまんま過去の自分を救うことなんだ。
「それでよかったんだよ」って認めることの究極系だ。
もし昔のわたしだったら、頑張って人と関わろうとすることはなかっただろうし、でも別に人嫌いというわけではなかったし、話好きだし、好きなものはとんでもなく好きで、一日中没頭してしまう、そのせいで人の声も周囲の状況も見えなくなったりもするだろう。
あと、小学校高学年には以下の積極性は失われてしまったけど、やりたいと思ったことはやりたい!ってじゃんじゃん言ってしまったり、ちょっといいなと思った男の子にはわりとサッとアピールし始めたり!笑 新しいことを始めてはやめるのが苦手だったり(これは今は得意になれたと思う)、周りと仲良くしようとして失敗したり成功したり、フットワーク軽くそんなことを繰り返していた。
そんな人間だったから、もっと人に興味持った方がいいのかなとか、バランスよく、周囲を見て行動できるようにならなければ、とか、もっと後先考えて何か始めなければ、とか、疲れる癖を自分にプラスしてしまったのだ。
でも、その「プラス」はあくまでリミッターに過ぎないし、小手先の細工だ。
自分にそうしたリミッターをかけるたびに、わたしは窮屈になり、欲求不満を溜め込み、たまった欲求不満は不定愁訴を呼び込み、突き抜けることも周囲に合わせることもできない単なる不器用に終わっていた。
もうしょうがない。
夢中になると周囲が見えなくなること、何か「それより優先しなければならないこと」があってもやめられないこと、他人に興味がないこと、自分には興味津々なこと、えらく抽象的なことを考えるのが好きなこと、話好きなこと、新しい刺激が大好きなこと、そんなもん、別に短所でもなんでもないのだ。
例えばほら、「それより優先しなければならないこと」なんて、所詮わたしの外側のルールがそう決めたものに過ぎないでしょう。わたしにとっては、わたしのしたいことが優先すべきことなのだ。
それって要するに超自分勝手だし、超自分勝手に戻るということだけど、わたしはそこに戻ってみたい。
そうすることで、かえって人に「迷惑」もかけないし、わたしも豊かでいられるような境地に行ける気がするの。
わたしは不器用すぎて、大人になることはできなかったから、せめて混じりっ気ない子どもというか、生まれたままでありたいな。
そんで今、目下、怖くて踏ん切りがついていないことがある。
憧れの人にファンレターを書きたいのだが、書き方もわからないし(そういうものを欲すること自体が自信のなさというか、わたしの中にある畏れ多さみたいなものの現れだ……)、直接送るってヤバいことだし、二の足三の足どころじゃない足を踏みまくっている。
……でも。子どもの頃のわたしだったら、四の五の言わずに書くだろう。
わかってる。子どもと大人じゃ、失敗したり迷惑かけたりしたときの許され度合いは全然違うって。
でもそんなこと言ったって、今日が残りの人生の一番若い日だろうが。
責任はわたしが取る。やるしかないのだ。
……あああああでもこえーよーーーー!!!!!! やばいよファンレターって。以前わたしに送ってくださった方本当にありがとうございますわたしも貴方に背中を押されて書きたいと思いますでも踏ん切りがつきませんわたしに力を与えたまえ!!!!!!
でもさ、これもいい加減分かったんだよね。「別に伝えなくてもいい、わたしが心中で思ってれば」っていうのって、めっちゃ拗ねてるし、こじれてるし、自分にしか利のない、傷つくことに怯んだ行為でしかないってこと。いや、まぁ、無言の愛情もそれはそれで風情があって美しいとは思うけど。でもどうせならもっと開けっぴろげになりたい、薄幸ぶるのはもう嫌で、わたしは発光したいのだ!!!! ついでに発酵した人間性かもしれない!!!!!
頭の中が大運動会になってきた。このまんまじゃいつまでも踏ん切りなんてつかない気がするけど、踏ん切りって自分では予測もつかないタイミングで、何か物事が起きて強制的につけさせられるものでもあるような気がするから、それを待っても良いかもしれない。そういう経験も何度もしてきた……と思う。強制的に踏ん切りをつけさせられるイベント。思えば不登校も不定愁訴も就活うまくいかなかったのも、そういう契機で。
世界ってゆーのはほっといても「お前そっちじゃないよ」っていうサインは出してくれるから、コースアウトしても引っ張り上げてくれるマリカのジュゲムみたいに(ガキの頃よくお世話になってたわ……マリカ下手すぎて。ワリオ鉱山はトラウマ)。それまで新曲仕上げて、卒論・卒制のこともうじうじ進めながら、決心が固まるor踏ん切りつけさせられるのを待っても良いかな。ここで焦った方がすっ転ぶ気がするねおれは。
よし! とりあえず運動会終わり! 今日もオング読むぞ!