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過去のブログ読み返してると、何度も「これからはもっと気楽に生きたい」「これからはもっと自分を出したい」と言っていて、それぐらい気楽に生きたり自分を出したりすることに躓いたり、気づいたらできなくなっていてそれに自分で気づけなかったりする人生なのだな、と実感した。

ずっと同じところをグルグルしている感じなのだ。まさしく。

 

どこにも自分みたいな人はいないから、お手本を探しても自分には出会えない。

色んなことをやったりやめたりして、感じて、自分なりに好きでやり良い生き方ややり方を見つけていくしかないんだけど、
経験上そうやって、自分がやってみたことに関して「〇〇だからあんまり好きじゃない」「△△だからどうしようかなと思ってる」みたいなこと言うと、大抵「文句言うな」「黙ってもうちょい続けろ」「つまりやりたくないってことでしょ?」みたいなことを言われる。

そういうんじゃなくて、わたしはもっと快適にそれをやれる術を探してるだけだったりするんだけど。

そういうことが積み重なって、「周りと違うやり方で何かをする、したいと思う、周りがやってそうなやり方以外の方法を探す」こと全体を自分に無意識に禁じてしまっているきらいがある。

これでは自分で自分の範囲を狭めていて勿体無さすぎだ。

好きになれることも好きでいられることも、楽しく取り組めるはずだったことも、いっぱいあるだろうに。

 

そうなると、知らないうちにたくさん自分の直感や本音や内側からの声を無視してしまっていることになるので、気づかないうちにフラストレーションが溜まって、やがて爆発する。爆発してようやく気づく、ということを繰り返している。そして気づく度に、「これからはもっと自分らしく〜」なんてブログを書くのだ。根本が解決できていない。根っこから抜けていない雑草みたいなもんだ。

根っこに気付けていなかったのだからさもありなん。

自己流上等である。というより、自己流を禁じられたら、わたしは楽しめたはずのことをあんまり楽しめなくなってしまうので、自己流を否定する人とは付き合わないほうがよさそうだ……さもないと人生を損することになる。

じゃあ黙って自分のやり方を追求しろって話なのかもだけどさ、それに行き詰まるから人に吐露してヒントをもらおうとしたりもするんだけど……まあでもそれであまりリターンがあったことないし、やっぱ黙るのが一番なんだろうな。

人に相談すると心は軽くなるんだけど、ヒントにはなかなか出会えないんだよね、残念ながら。人がくれるヒントの大体は考察済みだから……

やっぱ黙った方がいいな、相談を聞いてくれる相手にも失礼な気がするもん。

喋る代わりにブログに書くことにでもして。

そういう、人に相談してどうにかなることの少なさっていうのも、結構困りポイントなんだけどね。

自分の本心が見えて自分で納得できる解答を見つけるまでは、ずっとぐるぐるもやもや鬱鬱してることになるので。でも、どうしてもそうなってしまうの。

まだ根本解決には至らなさそうだな、この件は。