「ままならない身体について」~「現象のような人」を読むと、いかにもわたしが足掻いているのが分かる。
「今だ!」ってハマった時は、ブログを書くのに足掻く必要なんて少しもない。わたしの頭の中にもう出来上がった文章を先んじて諳んじる小人がいて、わたしはその小人の諳んじる文を聞いて書き起こすだけになる。
うまくいかないときの文章は「どうすればいいのか」をひたすら探しているから、ほんとうに足掻きでしかない。でも、その時の本音はいつも、ただこれに尽きるのだ。
「休ませてほしい」
それまでふつうにできていたことが急にできなくなる--まるでスイッチが切れた、いやブレーカーが落ちたように--から、できないと叱責されるのが怖くてたまらなくて、なかなか休むことができない。「本調子(とわたしは思っている、「ふつう」を頑張れる状態)」のときに、半ば無意識に「やったら怒られるリスト」「やらないと怒られるリスト」を作ってそれらを頭脳を駆使してクリアして生きているので、急に自分が使い物にならなくなって途方に暮れるのだ。自分を責めて憂鬱になり、色んなものに過剰に怯えて不安でたまらなくなり、恨みを燃やす。
でも、これはわたしの仕様なので治すことはできない。
もう嫌だ。無理だ。全部投げ出したい。大の字に寝転びたい気分だ。こんな時間もやがて過ぎるのは分かっているけれど、あの「ふつう」に戻りたくもない。あれはあれで、いつも「何をすべきか」を考えていて疲れるのに考えていないならいないで暇で仕方がなくて嫌なのだ。嗚呼。
まあそこそこふつうにやれている(と自分では思えている)とき、いつも思考がぐるぐる回り続けていたのを嘘のように思い出す。今は複雑な思考が全然できないのに。しようとするのも嫌なのに。この文章も、書きながら途中で自分が何を書きたいのか分からなくなって止まることが多かった。
どうしたら楽になれるだろう。