これは自分にも言い聞かせるつもりで書いているんだけど、
今、わたしは「待つ」ということの重要性と、その中身を、めっちゃ理解しかけている気がする。
わたしはここ数日、こう、やる気になったり、その分結果を焦って落ち込んだりしていた。
そういう、結果を焦りがちな、生き急ぎがちな自分のことは、昔から自覚があって、直さないとなとか思っていたんだけど、
今回はそう安直にバツをつけずに、しばらく見守ってみた。
それこそ、答えを焦らず。
結果を焦るなら焦るでもいいと。
そしたら、無理やり答えを出すんじゃなくて、自分の中からふわっと「答え」が湧いてきた。
「答え」と言っても、硬くも無骨でもなくて、
羽みたいに優しくて柔らかくて軽くて神秘的な声として。
自分から何かを出して、外から自分が出したものの効果が返ってくるのには、時間差がある。
コンピュータに例えると、こっちが何かを入力したら、応答が返ってくるまで少しラグがあるってことだ。
だから、そのラグをどう「待つ」か、が、人生全体の幸福度に関わってくるんだって。
でね、そこでさらに「ハッッッ!!!!」と気づいた。
そのラグを待つ時間を豊かにするのが、芸術や、エンタメや、趣味なんだってこと。
この3つに共通しているのは、「時間を忘れられる」ってこと。
「早く早く」と思って待っていても、一向に時間は進まないし、焦れるし、焦れていくうちに自分を責め始めたりしかねない。結果が出ないのは自分が〇〇だからだ、みたいなね。
そういう反省というか、改善案の考案と工夫も立派なことだし、大事なことだけどさ。
ゆったり、気持ちよく、豊かな気持ちで待つために、芸術やエンタメが趣味があるんだ。
例えば、
「あのアーティストのアルバム全部聴くぜー! いぇーい!」とか、
「見たかった映画この機にぜーんぶ見ぃーちゃお!」とか、
「全部忘れて今日はゲームしよ!」とか、
「何の得にもならないけどずっと刺繍やりたかったんだよね、この時間にやっちゃえ」とか。
気分転換と言えばそれまでだけど、「いついつまでに」とか「早く」とかを全部忘れられる時間をくれるんだ。
そういうのめっちゃ大事だね。
というわけで、Asobi Seksuのアルバム「Citrus」を聴きながら、ほこほこしながらこの文章を書いています。
何かを発表したら、その反応は、どうしても気になってしまうけど置いておいて、「待つ」。良い気分で待つ。それってこういうことだったのかぁ。
だからさ、わたしも音楽とか作品制作とかをやってるし、まあわたしにとってはブログを読むのも書くのも趣味だからさ、情報収集ってだけじゃなくて趣味だからさ、
わたしの音楽や作品やブログも、誰かにとっての豊かな待ち時間になれるってことなんだよね。
そう思ったら、俄然やる気が湧いてきたよ。
創作にも待つことにもね。
創作が好きなのも、時間を忘れられるからなんだ。
っていうか、時間を忘れるぐらい集中しないといいものできないしね。
芸術鑑賞も同じで、時間とか作品の外のこととかを忘れられるぐらい浸れると、リフレッシュっていうかエクスタシーになるの。
わたしは勉強してる時も(好きな勉強ね。社会学とか芸術批評とか……)同じ状態になる時があるな。
集中してゾーンに入ること。
あ、これってボルテックスってやつか。
これが重要な理由は明白だなあ。
というわけで、優雅な「待ち時間」を満喫します。
※結果が出るまでの待ち時間だけじゃなくて、ひらめきが湧いてくるまでの待ち時間も一緒だよね。すごい。