言ってみるだけで罰されることはない
言ってみるだけで罰されることはない
……そうだ、これ多分、子どもの意識なんだ。
「親の呪縛」って言葉があるけど、わたしは「子どもの思考」って言葉でそれを塗り替えたい。
「これが欲しい」って言うだけで怒られる。
「これが嫌」って言うだけで怒られる。
それって、子どもの思考なの。
親が縛ってるというよりも、子どもとしてサヴァイヴするには、どうしてもその思考が必要だった。
でもさ、いつまでもサナギでいる必要はない。
自分を育んでくれた、自分を包んで守ってくれたサナギに、感謝と別れを告げて、
突き破って羽化すればいい。
サナギ=子どもの思考ね。
子どもとして自分を守るために身につけてきた思考の癖、知識、危機感、そういったものを、
愛と感謝を持って脱ぎ捨ててもいいんだ。
そもそも、子どもってそんなに思考をしない。
子どもは天然の怖いもの知らずを持っている。
それでどこまでも行けるはずが、怖さを身につける。
まあある意味、その怖さは、本当の危険とそうじゃない危険を見分けるためにも、一度身につけないといけないものではあるんだけど。
どれが本当の怖さでどれがまやかしの怖さなのかを見分けるのが、青年から大人になっていくこと。
「人間は二度生まれる。一度目は存在するために、二度目は生きるために」の、「生きる」ために。
昔は希望や願いを口にしただけで怒られたけど、
実際はそれって、不当っていうか、イレギュラーなこと。
そもそも怒られたからって何?って話だし。
怒られたからバツがつくっていうのも、子どもの思考だね。
怒られたって、「言ってみることはできた」ってマルをつけるのが、蝶の思考。
……自分に言い聞かせるために言ってるんだけどね。笑
わたしは誰よりも、子どもの思考の恐怖が強い自信あるから。笑
その詳細は今年4月ぐらいからのブログに遡ってもらえるとわかるかも。笑
ガチ病みだから、引っ張られて止まないようにだけ注意してね!笑
わたしはこれからいろんなことを「言って」みよう、と思ってるんだけど……
あ、ブログに書くって意味だけじゃなくて、なんだろ、実際に行動を起こすって意味でもね。
でも、まだなんかもたもたしてる。
最後の踏ん切りがつかないでいる。
それについてはちょっと、しばらく自分を待ってあげようと思う。
わたしはほっといても、いつまでも留まっているのが嫌で、自分で踏ん切りはつけるから。
今日はそんな感じで、ずっとねむねむごろごろしてます。
宵部憂