全国の、HSP、エンパス、感覚過敏、繊細さん、精神的腺病質、絶対的な孤独感・「自分は異物だ、できそこないだ」という気持ち持ち、なんだかやっていけない気がする、病名や診断名がつかないorついてもどうにもならないor楽になれなくてしんどい皆さーん、息してますかーーーー!!!!!!
息しててくれてありがとう。
その存在だけでわたし、無限に歌が書けるわ。
最近すごくすごくわかったことがあります。
わたしは、「どうして自分は(=自分ばっかり)こんなうまくいかないんだろう」「どうしてわたしはこうなんだろう」って思っていたなと。
過去の自分のことを、すごく「痛い!」「恥ずかしい!」って思うわりに、ブログを読み返してみたらそんなでもなかったように、
自分のことを一歩引いて見れば、別に気にすることないぐらい、なんていうんだろう、それほど逸脱した感じじゃなかったことが、わたしにとってはじわじわくる衝撃で、発見でした。
全然、醜くもなければダサくもなく、むしろ魅力的でした。
言ってることの変わりようがジェットコースターみたいなんじゃないかと思っていましたが、いや、季節が変化したら気温と湿度が変わる、っていうのと同じぐらい、漸進的で自然な変化に思えました。
それでストンと落ちたんです。
わたしが「こんなことをしたら絶対やばい!」って思っていることだって、世間的に見たら、全国規模、全世界規模で言ったら、それ、結構多くの人がやってますけど?みたいな話だと。
世界にヤバい人なんてもっといっぱいいて、ってことは世界ってもっと懐が広くて、その中でわたしはまともと言えばまともだし、かといって平凡なのかと言えば、特殊かどうかは知らないが魅力的ではあるということ。
逆にこの世で前例のないことができちゃったらそれはそれでとんでもないことだし、
どっちに転んでも勝ちしかないこと。
視野を広く取ることって大事ですね。
時には渦中にいる自分ではなく、渦中にいる自分を客観的に見てみるって大事ですね。
そしてブログとして自分の思考や経験を言葉で残しておくと、それがやりやすくて便利ですね。
「自分を客観視する」って、具体的にどこから手をつけたらいいのか、何をしたら客観視したことになるのか、難しいけど、
過去の自分が書いたものを読み返すって、それで十分客観視じゃないですか。
でも、結構不思議です。
読み返す前は「絶対痛いに決まってる!」「絶対恥ずかしいこと書いてる!」って、もうそういう頭になってるのに、昔のブログ読み返すと説得されて、「そんなことなかったわ」ってなるの。
それだけ、どのブログも、本心を混じり気なく書いてきたからだなって、ちょっと誇らしくなりました。
つまり、説得力があるってことでしょ?
自分に対して批判的になった自分すら説得できる説得力……
それって、無敵だなって思いました。
自分に対して批判的になった自分のことが説得できたら、この世に説得できない人なんていないんじゃないか?
タイトルの「自意識過剰」という言い回しはとても乱暴でしたが、わかりやすいので使いました。
つまり、「自分はおかしいんじゃないのか?」と思ったら、「本当にこの世で、この地球で、自分だけがそうだと思っているのか?」と、脳みそをGoogle Earthにしてみれば良いのだなと。
でも、別におかしくはないんですけど、とはいえほとんどの人は「自分はおかしいんじゃないのか?」と思うことは隠そうとするから、それを書いちゃうと、しかも混じりっけなく書くと、興味深い記事になる、っていうのも、試してみた感じ本当っぽいです。
みんなが特殊だと思っていることを日常みたいに書くから。
あれだ、今思い出しましたが、ある宇宙船のクルーが日常生活の様子を配信したら、クルーたちにとっては本当にいつもの仕事、飽きるぐらいのルーティンを垂れ流してるだけなのに、見に来る人が絶えなかったっていう話。
人が小説を読むのは、映画を見るのは、ゲームをするのは、漫画を読むのは、つまりストーリーに触れるのは、自分が体験したことがないことに興味があるからだし、自分からは見えない世界に興味があるからだから、ヘンなんじゃないかって思うことこそ人を惹きつけるストーリーになるのは当たり前だなと。
でも、その「自意識過剰」の元って、そこにはやっぱり傷つきがあると思うから、そこからは癒されてほしいって思います。
まるで、あなたばっかり出来損ないみたいな言われ方をしたことがあるんじゃないかなって。
あなたばっかり重大な欠陥を持ってるみたいに言われたことがあるんじゃないかって。
「おまえは〇〇だ」と。
特に子育てにナーバスになっちゃうと、親ってそういうことを子どもに言っちゃいがちです。悲しいことに。あと、全くの他人からのレッテル貼りや悪口や中傷が、自分の欠陥の診断名みたいに張り付いちゃった人もいるかも。
でも、それらって全部嘘なんです。
脳みそGoogle Earthにしたら、それは欠陥じゃなくて「よくあることだ」って、一発で弾き出してくれるはず。
だから自分の頭の中のそいつらが、自分の欠陥をあれこれ言い出したら、そいつにもGoogle Earthビームをお見舞いすればいいか、とわたしは今目が据わった。
「いや、こんなもんよくあることだろ。視野が狭い」と。
返す刀で「人格否定って知ってるぅ?」とか「何勝手にキャスティングボードってるの〜?」など、あとはお好みで。
でも、タイトルにも書いたように、その「自分ばっかりがダメだ」「自分には何か欠けている」という感覚は、
化ければ、「自分が注目の的」「自分が舞台の上」「自分が世界の中心」という宝物に変えていくこともできて。
だって、すでに「自分はダメ」っていうネガティブな方向にではあるけど、自分に興味を持てているという段階ですごいことだと思うんです。
自分にフォーカスが向いている、自分に関心があるという時点で。
取材対象があるってこと。
表現することがあるってこと。
めちゃくちゃ自分にカメラもマイクも向けまくってる、セルフ会見状態な訳で。
だから、そのダメなところも見せて、
もちろん自分の気に入ってるところも見せて、
本当に注目の的になっちゃえばいい。舞台の上に立っちゃえばいい。
その会見を、謝罪会見じゃなくて、
あれだ、「スターが来日したときのキャーーーーッッッ!!!!」にしていけばいい。
でも、ダメなところを自分で認められないから人に認めてもらおうとして書いても、それはあんまり心地良くない承認欲求として臭い立ってしまうので、
肚決めて、守りを捨てて、「こうです!!!!」ってやるしかないのかなとも思っています。
わたしは白装束着てブログ書いてることがあります(比喩です)。さながら切腹する覚悟で、みたいな。
もちろん、それができない自分も許してるけど。できてない時もあると思うし。
あと、「自分のダメなところを認める」って、自分のダメなところを「ダメだ」って思うこととは違うと思っていて……
(過去にダメだと言われたりそんな情報を見かけたりしたから)自分がそれではダメだと思っている/いた●●に気付いて、
それを『わたしはこうなんだ!』と一旦引き受けて、
『でも、●●だったとして、それって何がダメなんだっけ?』となり、
(『それをダメだと言った人は、何を思って/何の意図で/どんな思い込みで/どんな理論で/どんな背景があって そんなことを言ったんだろう?』がわかると、「●●はダメである」という普遍的なルールがあるのではなく、その人がそう言っただけである、ということとして認識しやすくなるかも。ここに社会学とかが使えることもある)
『ダメじゃなかったじゃん!』と気付く
この一連のプロセス……が、「自分のダメなところを自分で認める」ってことだと思っています。
要するに、「自分のダメなところを認める」というのは、罪悪感を持つとか、自分を責めるということとは違うということです。
こっちの意味で「ダメなところを認めろ」と言ってくる人は危険なので関わってはいけません。罪悪感や自責を強制してくる人は危険です。
なぜかというと、罪悪感や自責の念は、人を威圧し、萎縮させ、停止させる概念だからです。「お前は罪人だから従え」「お前は罪人だから何もするな」「お前は罪人だから何も言ってはいけない」と。
罪悪感や自責からは、健やかなものは何も生まれません。
生まれるのは、罪と、罰と、厳しすぎるルールと、服従と、何も変わることができず、それ故にいつか朽ちていく未来だけです。
もっとも、「罪悪感や自責を強制してくる人」が存在しているのではなく、そういう状態に人はなってしまうことがある、ってだけなので、一回自分が「そういう人」になってしまったら一巻の終わり、ってことでもないですからね!!!! 安心してくださいね!!!!!
あと、「人に罪悪感を持ってほしいと思っちゃいけない」とかも思わないで大丈夫ですからね!!!!! 思うのはなんでも自由なので!!!!!!!! でもそこで相手がその通りにしてくれなくてもそれはそれでしょうがないって話です。
ということで、なんかウザ講義みたいになってしまいましたが、ここまでの内容を踏まえて告知?というか、わたしが実践しますという話なんですが、
このサイトのフッターの「SNS」の欄に、緑色のノートマークがあるじゃないですか。
これ、アメブロのリンクなんですね。
ずっと、「このサイトのブログは、わたしを知ってる人向けの閉じたブログだけど、
ブログを通じてわたしを知ってくれる人ももっと増えたらいいのになぁ」と思っていて、
その考えがずっとあったので、アメブロをやったりやめたりしていたのですが。
アメブロの方では、こっちで表現したことを、それこそ客観的に見て、
自分で自分を広報する感じで書いていこうと思います!
例えば、こっちのブログで、渦中でバシャバシャしていることをリアルタイムで書いて、
アメブロの方では、渦中が終わった後で、「こういう経過で、結果こうなりました。その内面にはこうした葛藤が……」みたいに広報するみたいな感じです。
セルフ取材です。
内容としてはこっちのブログの内容が減ることはまっっっっったくなく、一部をアメブロに移すということでもなく、
こっちのブログの内容をもとにアメブロの投稿を生み出すという感じなので、こっちのブログは何にも変わりません。
負担ないように、ゆるっとやっていこうと思いますが、
そういう、自分を外から、Google Earthな視点も持った記者的な冷静な自分から見られる場所も作っておけば、自分変なんじゃないかって不安になりすぎず続けていけそうかなって。
あと、同時に、わたしのことをアーティストとして応援しているファンとしての目線も少し持っておけば、なお孤独感が和らぐかなという狙いもあります。
つまり、「わたしのことを応援している記者」に自分がなって、広報するわけです。
宵部庭国広報室の開設です!

アメブロの方の、広報室としての初の記事は、今日はもう流石に眠いので明日(日付的には今日)書きます。おやすみなさい。
これでまた一つ広がっていきたいなと思いました。
身体は楽なままでね!