「自己表現をするのが怖い」という気持ちは、わたしにもあって。
全力で大声を出して、出来る限りの言葉とエネルギーで言いたいことを言ったのに、誰にも聴いてもらえてない、伝わってない感じがしたら、流石に凹む。
わたしの場合は特に、その「伝わらない」の原体験というか、いっちばんショックだった不登校時代のこととか、高校時代の不定愁訴のこととか、その辺諸々を一気に思い出して、やばい質量の悲嘆に暮れる。
昨日も大泣きしていた。
(まぁ、最近湿度が高くて知らないうちにストレスが溜まってたっぽいせいもあるけど)
わたしは今日も元気に情緒不安定です!!!!!!
よろしくお願いします。
応援してくれる人もいてくれて、確実に進んでいるのに。そんなにすぐどうにかなるわけでもないし、焦りすぎ、すぐに結果を求めすぎ、だよ、って、頭では思うんだけど、心はそうやって凹んでいるからさ。無理に凹む気持ちを押さえ込むのも違う。
最近ブログが鳴かず飛ばずに感じて、めちゃくちゃ凹んでいた。
「売りたい!!!!」という気持ちが盛り上がっているから、挑戦するのも全力なら、すぐ結果を判断して落ち込むのも全力なのだ。
ジェットコースターである。
感情豊かと言えば聞こえはいいが、ある意味情緒不安定だ。それはもう破滅的な感じの。
人生退屈しないで済むなあ。
わたしは退屈が大嫌いだから、悪くないのかもしれない。
こういうこと書くのはとても恥ずかしいから(「ブログが鳴かず飛ばずに感じて落ち込む」ってさ。本当は「人からの評価なんて気にしてませんよ〜」って感じでいたかった。でも、本気でそう思える時にそう言わないと、結局のところカッコ悪いのかもしれない。カッコ悪かったな。てへぺろ。本気でそう思える時、来るでしょ)、今まで書いてこなかったけど、これからは普通に書くようにするわ〜。書いていいのって、楽だね〜。
わたしはこんなところでも鎧っているのか……脱ぐのって大変だ。十二単どころじゃない。
自分へのごまかし、自分の「当たり前」の破壊、自分の、さほど強固ってわけじゃないけど自分に設けていた枠に、徹底的に気づいていくこと。神経質なまでに気づいていくこと。
つまり自分への感度を上げること。
これが鍵なんだろう。
ひえぇえ〜〜〜〜知らなかったわけではないけど、こんなに過酷な道なのかい!?!?!?
「人からの評価なんて気にしてませんよ〜」って感じでいたかったのは、カッコつけるためだけじゃなくて、人に合わせようとしないためでもある。
わたしはわかりにくいものが大好きなので、わかりやすくするのが大嫌いなのだ。
でも、「評価されなくて悲しい」なんて言ったら、すぐ万人受けする表現をしろって言われそうで嫌だった。
万人受けとまで言わなくても、もうちょいわかりやすくしろ、間口を広げろと。
やーーーーーーーだね!!!!!!!!
何でわたしが歩み寄ってやんないといけないのさ。
わたしがわかりにくいんじゃなくてお前らがバカなんだよ定期
わたしは人にバカと言うのがあんまり自分の美学に合わないので、あんまり言いたくないけど、腹の底では↑のようなことをずっと思っている。だからなおさら、評価を気にしない自分になりたかったのだ。
(だって頭良いならわざわざ人にバカって言う必要ないじゃんって思うんだもん。バカだなって心で思って離れるなり教えてあげるなりすれば良いじゃんと思う。わざわざ罵倒せんでも。下品では?)
……まあでも腹の底で思ってるなら言っちゃったほうが清々しいのかしら……?????
でも評価を気にする自分を受け入れられないし人に言えないってことは、もうそれ自体が他人の目線や何を言われるかを気にしてるっちゃあその通りで……
結局わがままって言われたくなかったのかもしれない。
だって、「わかりにくいことをわかりにくいまま提示するけど人気は欲しいです!!!!」って、めっちゃわがままじゃない?????
「万人受けしない表現するけどめっちゃ愛されたいです!!!!!!」って。
いやわがままじゃないしわがままだったとしても何も悪くないな。
よし。
わたしはわかりにくいことをわかりにくいまま提示するけど人気は欲しいです!!!!
万人受けしない表現するけどめっちゃ愛されたいです!!!!!!
先に言っておきますが、わたしの作品は深淵なので、深長なので、そこらへんの、そんじょそこらの音楽とは違いますからね。
ふふん。
対戦よろしくお願いします。
つまりね、わたしはまた、知らないうちに、自分に何か望むことを許可できてなかったんだよね。
Aを望むならBしなきゃ、みたいな、交換条件みたいな公式を思い浮かべてさ、「BしたくないけどAが欲しい!」って言っちゃダメ、みたいな。
別に言うだけならタダなのに。
あとはやっぱり、まだまだカッコつけとか、「これは言いたくないよう!!!!(恥ずかしいから)(きらわれるから)(イタいから)」が、ゴロゴロゴロゴロ出てくるねえ……
それを言っちゃったほうがスッキリするってわかってるけど、いっつも怖いわ。笑
震えながら飛んでる。
でも、そうだよね、そういうのも隠し続けていくって考えたら、そっちのほうがしんどいもん。
ゲロって楽になっちゃったほうがいいんだなあ。
そしてこうしてみんなに見えるところに書けば、これ読んでくれる人はわたしのカッコ悪い本音も知っててくれるわけでしょ。
そして運が良ければその上で好きなってくれちゃったりするわけでしょ。
めっちゃお得じゃん。
……怖いし恥ずかしいし「ああああああああ」って感じだけど。笑
でもわたしの場合、もともとトップクラスにイタい人間だから、イタい自分を晒したほうが楽になれるんよね……笑笑笑 隠しとくの無理だもんだって笑
あーあ。
これからもどんどんゲロっていこうっと。
汚い話で申し訳ないけど、確かにあれだよね。吐くのって怖いけど吐いた後ってスッキリするよね。
あと、吐く時って覚悟っていうか、「吐く!」って決めないと吐けないじゃん。(だから怖いんだけど)
あの感じもちょっと似てるなあ。ブログでぶっちゃけるのに。
子どもの頃、大縄跳びで、近所に住んでた友達が目をつぶって縄に飛び込んでたのも今思い出したな。
目をつぶって飛び込むぐらいのことじゃないと、自分にとって全然革命的じゃないかも。
そして自分にとって革命的じゃないなら、他人にとってもセンセーショナルじゃないから、数字にならないかも。
ああそう、そうだよ、わたしは数字が欲しいですよっ!!!!!! 悪いか!!!!!!
もちろん、物事の「良さ」は数値化できないものばかりだし、数字=価値だとは全然思わないけどさ。
良いものなら数字を求めても、数字がついてもいいのにとも思うんだ。
わたしは藝大の4年生で、”芸術”と昔から言われている諸分野や、現代アート、広義のアート、色々見てきてるけど、
その中で、確かに、大衆受けするもの、数字が取れるもの、カネになるものじゃないとダメ、みたいな、どんどん芸術が商品化されていく動きには嫌な感じがするんだ。すごくナンセンスだと思う。
その結果、似たようなもの、流行りっぽいものばかりが量産されていく、みたいになったら、目も当てらんないもん。そんなの芸術じゃない。
そんな世界じゃ、多様性や個性だって、多様性産業、個性産業、文化産業になっていくんでしょ。つまんないよそんなの。そのへんはアドルノとかがちゃんと書いてくれてると思う。まだちゃんと読めてないけど。
でも、それってカネや数字がダメなわけでもないんじゃないかと思う。
似た感覚で、資本主義に対しての悪い話を聞くことも、わたしの周囲(特に大学らへんね)で多いんだけど、
わたしは確かにやっぱり資本主義ー新自由主義の何でも数字やカネで測ろうとしてかつ管理・コントロールしようとする感じがすごく窮屈で嫌だなって思っているけど、同時に、経営とかに興味があるから資本主義の全部が悪いのかなあとも思っている。
わたしが嫌なのは、数字やカネをおっかけて、作品や商品やサービスや仕事の内実が空疎になっていくことであって、数字やカネを否定したいわけじゃない。
むしろ、「作品や商品やサービスや仕事の内実」が、ちゃんと数字や金として”も”評価されるにはどうしたらいいのか、そうはなりにくい今の仕組みの何がおかしいのか……とかを考察していきたい。
それもあって注目してるんだよね、自分ビジネスに。
だからわたしは数字が欲しい。
数字やカネのこと嫌うのはちょっと待って欲しいって思ってる。あんまり言わないけど。自分のリアルの周囲に。
だからわたしは数字やカネのために、自分をどんどん表現するよ。
怖いけどね。
ばっちこいの精神で行きたいな。
こ、怖いけどね!!!!!(((((( ;゚Д゚)))))gkbrgkbr