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 卒制の中間発表の日が刻一刻と近づいてきています。それにつれてメンタルがやばいです。

 卒制だろうがなんだろうが、高い目線から見れば生きることも家事も仕事も勉強も娯楽も趣味も、何もかも自己表現なのに、最近思考がしゃべりまくって辛いです。

 自分を隠そうとしていたことに気が付きました。ついこの間まではそんな意識なかったのにな。

 

 どんなに足掻いたって、わたしはわたしにしかなれないなら、わたしの全てを出すしかないんです。たとえへなちょこでも。

 自分がへなちょこに見えるから隠したいんだけど、でも実は、全てを見せるって肚を決めれば、その姿は全然へなちょこには見えなかったりする。そんなもんなんだけど。

 あとは、いつもの思い詰めぐせで、何事もすごく馬鹿でかいことみたいに感じるから怖いのもあるんだろうな。意外とガッと動いたら大したことないってのはよくあるパターンだもん。明日いっぱい動きます。

 とにかく自分で動くのがしんどくて。ゾーンに入れば早いのに。困ったもんだ……

 それじゃダメだって、動かなきゃって頭はいうんですけど、全然取りかかれないんですよねぇ。
 でもどっかで、どうにかなることもわかってるから、そういうことになるんだろうし、どうにかなるんですよね実際。

「やる気が出ない」って言うと怠惰みたいに聞こえるけど、「怠惰」で片付けてしまう方がよっぽど怠慢で。
 動きたくないのには絶対何か理由があって、
 その理由ってのが、自分を隠そうとしてたからだってことには気づきましたよ。

 

 自己表現っていうのは、気持ちよく脱ぐことなんです、むしろ。

 どんなに自分自身や自分の持っているものが、凡庸だったり醜悪だったり、輝きを放たないものに見えても、
 それを持っているのは自分だけなんだから、
 自分にこそ輝かせられるんです。

 それに、その凡庸だとか醜悪だとかいう感想だって、自分の勝手な、その時思い込んでいる「こうじゃなきゃいけない」「こうであるべし」っていう基準に当てはめてるからそう思うだけなんですよ。
 その「こうじゃなきゃいけない」「こうであるべし」って、誰が決めたの? 頭Google Earthにしたら、この地球全体でどれだけの人がその基準を採用してたり満たしてたりするの? それに、美醜や善悪、良し悪しの基準だって、この世にはたくさんあります。何を大切にするかなんて、同じ芸術をやっている人でも一人一人全然違います。わたしだって当然、他の誰とも違うものを持っています。みんながそうです。

 だから脱ぐしかないんです。
 すべて正直に曝け出すのが一番美しいんです。

 なのに「こうじゃなきゃいけない」を無理やり着ようとしていたから、そりゃ気持ち悪くて、やる気もなくなるよな。

 

 わたしを表現すればいいんです。
 わたしの心地よいやり方で。
 それがわたしの、正直な姿を見せることです。

 って、自分に言って落ち着くために、このブログを書きました。

 まだまだ本調子というか最強モードではないですが、だんだん戻ってきました。

 

 パーーン!!!!!と脱ぐぞ。そりゃもう気持ちいいぐらいに。
 気持ちよくやろう。