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 自分を大事にしようとか、自分を愛せばうまくいく、なんて言うけれど、それはすっごくその通りなんだろうなとは思っていたけれど。
 自分を大切にするって具体的にどういうことなのか、わからなかった。

 気づいてしまえば簡単なことで、どうして今まで気づかなかったのって思う。
 いやいや、気づかなかったっていうより、「それだけはやったらやばいでしょ」って思って自制してた。
 近頃その自制を解いてみたら、また自分の世界が変わった気がする。

 自分を愛するって。

 休みたい時に休むことだった。
 未来のことなんて考えても仕方ないことを考慮に入れるのをやめて、「今」の自分の願いを叶えることだった。
 自分の「ほんとうはこうしたい」「ほんとうはこれは嫌だ」に従うことだった。
 正しく聞こえる理屈(でも自分の本心じゃない)で自分を納得させようとするのをやめることだった。

(つまり、大人ぶるのをやめること。立派な社会人候補ぶるのをやめること。)

 わたしがいつの間にか身につけていた窮屈な常識は、ほんのそれだけのことを大ごとのように--色んなものを崩壊させる悪魔の習慣のように語っているように聞こえたから、わたしは休みたい時に休んだら廃人同然になっちゃうじゃん、と思っていた。

 わたしはいつでも具合が悪いのだ。毎日が不定愁訴だ。
 それでも生きていくには自分の食い扶持を自分で稼げるように早くならなくちゃって思っていたけれど、今の生活でもまだまだできることはたくさんあって、それが休み方を覚えることだった。

 ほんの小さなことからだ。今歩いているこの速さは自分の体調に合っているか、なんてことに始まり、何が食べたいのか、それとも何も食べたくないのかや、今立っていたいのか座って休みたいのか、身体のどこが不調でどう動かすと少し楽になるのか、不快な刺激はないか、すべてを感じ取って、身体の欲求に答えてあげること。身体を快適にすること。楽にすること。

 とうの昔に言われた「それくらい我慢しなさい」を、もっと早くに疑えばよかった。まあ、今気づけたからよかったんだけれど。
「それくらい我慢」が積もり積もって、わたしはこの、心身の虚弱体質になった気がするから。

 身体には、「人それぞれ」のそもそもが詰まっている。わたしにとって苦手なものはあなたにとってはそうでもないものかもしれないし、その逆もあって当然だし。天気によって体調を崩す人もいれば、なんともない人もいる。光の見え方も音の聞こえ方も空気の匂い方も物の味わい方も触れる物の手触りも痛みも圧も第六感も、身体の大きさや組成すら、みんな、それぞれ違うのだから、自分の感覚に従うことを他の誰かが制御しようとするの自体がおかしい。
 身体の持ち主が、そういう外の声に従おうとするのもおかしい。おかしいというか、そんなことはしなくても良いのだ。
「自分がされて嫌なことをしてはいけない」から「人が嫌がることをしてはいけない」にするべき、と言われる今日この頃だけれど、全くその通り。自分の「嫌」は、嫌で良いのだ。他人が否定するのはお門違いだから、聞き入れる必要はない。

「それくらい我慢」が重なると、自分が信用できなくなる。わたしはこんなに苦手なものが多いこの世界で生きていけるのか(あるいは、こんなに苦手なものが多いわたしがこの世界で生きていけるのか)って怖くなる。何かの倫理や道徳や教えや常識や「正しそうなこと」や「大人」に従わないと不安でたまらなくなる。それに従うためにまた我慢を重ねて辛くなる。負の無限ループ。おっそろしい……

 だから、むしろ「これくらい我慢できそう」と思うようなことから潰していったほうがいい。
「これくらい我慢できそう」と思うってことは、それが本当は負担なことであると分かっている証拠だ。何が嫌なのか分からない状況よりもよっぽど進んでいる。排除すべきものが分かったのなら、あとはそいつにお引き取り願うだけだ。

 自分にとって不快なものを排除するのを許すこと、これが「自分を大切にする」の第一歩だ。
 第二歩目は自分を快くすることだけれど、不快なものを我慢しながら自分に快を与える、をしていたら、わたしの場合は……ストレス発散みたいになってしまって微妙だった。プラマイゼロって感じで、なんだかなあって。
 だから不快の排除の手は緩めてはならぬのじゃ(唐突に女帝キャラ)。

 小さな我慢が積もり積もって大きな「しにたい」になってしまってからだと、なかなか対処が難しい。だってその「しにたい」は何か一つの大きな原因によるものではないから。
 部屋の掃除をこまめにする感覚に近いかもしれない。あるいは宿題をこまめに片付けるような。「しにたい」になってから自分を癒すのは、8月後半になってはじめて宿題に手をつけるのに似ている。何をすればいいかも分からなくて途方にくれる感覚とか。

 自分自身の伴わない幸せも成功も、わたしはどっちも意味がないって思うからさ、自分のまんまでもっと幸せになるには、こつこつ掃除が大事なんだね。
 ゴミに囲まれた部屋で生活したくないもん。