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 わたしは多分、あらゆるものへの恐怖や緊張が人一倍でかい人間なんだと思う。
 本当に、心の底から、全く「なんとかなる」って思えてない。
 楽観主義のかけらもない、底が抜けたような世界観を持っていたみたいだ。

 でも、それはわたしがずっと抱えてきたものだとはいえ、
 わたしの恐怖でしかなくてさ。
 ってことは、全然真実じゃないし、
 世の中の見え方のほんの一部分でしかないんだと思う。

 ガキくさいことに、わたしはこの恐怖を、長らく親のせいとか、周りの大人のせいとかにしてきたけどさ。
 ……まあそれも大人の役割ってことで、ありがたく甘えさせてもらいました、ちゃんちゃん。ってことにするけどさ。

 そろそろ、自分の恐怖とは、自分でタイマン張らないとね。
 あるいは、もしかしたら恐怖って打ち勝つものではなくて、
 抱えて、一緒に飛ぶものなのかもしれない。

 自己責任って言葉は、そういう時のために使いたい。
 自分や他の誰かが助けを求めることを封じるためじゃなくて、
 自分で、自分の恐怖と向き合うための言葉なんだよ、本来は。

 怖いけど、それを選択したのはわたし。
 そしてわたしは、わたしを許すことができるし、
 どこまで自分を許せるかが、わたしという人間の格でもある。

 責任を持つことと、何かあったときに責めを負うことがイコールになってるから、責任って言葉が怖いのであってさ。
 責任を持った上で、自分を許したっていいんだよ。
 これからは、そういう時代になっていく。

 自分を許してから、自分を許しながら、問題には対処すれば良くない?
 罪悪感とか自責の念とか、持とうが持つまいが、状況に何か影響するわけじゃないし。
 むしろ、罪悪感や自責の念があった方が、素直に「助けて」って言えなくて、自分も周囲も苦しむことにならないかな。

 ってことで、また自分を保つために書いてみました。

 なんかね、この先、わたしは一番怖いことにちゃんと向き合うって決めたからさ、
 怖い気持ちとどう接するかを変えていかないといけないって思ったの。

 これまで、なんだかんだで一番怖いことには向き合えてこなくて、
 だから大きく何かが変わらなかった気がしてるから。

 そりゃ、大きく何かが変わることって、変わってしまう気がして、変わってしまうことがわかってて行動に移すことって、とんでもなく怖いけど。
 怖いってことは、奇跡ってこと。

 飛び込んでいきたい。
 それに、怖いことにも思い切って飛び込める人を、わたしは尊敬するし、
 そんな大人が昔から周囲にいてくれればどんなにか希望とわくわくを貰えたか分からないし、
 そういう人の姿って美しいと思うし、
 だから、わたしもそういう人になりたいの。

 

 宵部憂