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 自分の作品をどのように見るかに、一番自分の邪念は現れるのかもね。

 わたしは自分の表現が、いまいち今時じゃないなと思う。
 でも同時に、あんまり今時のものがそもそも得意じゃないのかもしれないとも思う。
 流行りには疎く、むしろ流行に逆行し、人の注目が集まっている場所に近づくのが刺激多くて嫌で、一人で根暗に自分の好きなものと引きこもっていたいと思うから。自分の好きなものから影響は受けてるけど、流行りに乗るのがそもそも好きじゃない。
 というわけで、いつ聴いても古く、いつ聴いても古くならない、そんな音楽性が、良くも悪くもわたしの特色。

 でもさ、自分に邪念があるときは、それじゃダメなんじゃないかって思う。思ってしまう。自分に新鮮さを感じなくなり、自分に失望するのが怖くて、自分の表現に触れるのが怖くなる。……そういう心境だった、ここ数日。
 それは多分、自分の中で大きな変化が起きて、脱皮したからでもあると思うけどね。詳しくはこの記事に書いた。↓

 その邪念というのは、「取り残されてしまうんじゃないか」ということだったり、「人気にならなければ」という焦りだったりする。本当は「人気」というエネルギーは得意じゃないのに。
 人の熱気や応援を受ける存在というよりは、畏怖の対象でありたい。どちらかと言えば、厳粛な場の中心になりたいから、本当は取り残されるとか、人気じゃなきゃとか、自分の観念じゃないのに、外側から影響を受けてしまっている。

 イメージとしては、わたしは御社の中におわすとされる(誰も姿を見たことがない)御神体になりたいのだ。

「古いものは古くならない」という有名な言い回しがある。目指すところが御神体ならば、わたしにもバチバチに当てはまっている言葉だ。わたしは御神体、むしろ由緒が重要な存在なので、流行りに乗る必要はないのだ。

 ……と、頭ではわかっているけれど、つい邪念が頭をよぎってしまう。そんなわたしも可愛いよね。