一つ前の記事の補足。

 

 あえて厳しい言い方をする……というか、思いついた通りの言い回しをするけれど、

「自分の表現(作品、声、容姿、話し方、文章、etc…)が嫌い」というのは、単に未熟なだけだ。

 もっと言えば、「自分が嫌い」というのは、未熟だ。

 

 この世に自分は一人だけで、
 自分を自分だけの姿に磨けるのも自分だけだ。
 その、磨かれた自分だけの姿というのは、絶対人々を惹きつけるし、
 オリジナルの、素晴らしい、憧れのあの人のような輝きを放つものだ。

 ……っていうことを理解していない、無い物ねだりをするだけの、未熟。

 自分への戒めとして書いておかないといけない。

 自分からの逃げでしかないんだ、それは。

 

 輝いているあの人は、
 見慣れなくて醜悪に感じたり、あるいは実際嫌いだったりする自分を、それでも見つめて、自分なりに磨いてきたからこそ、あの輝きを放っているのだ。

 見つめるしかないだろう、自分に与えられた条件が気に入らないからって、「自分」を返品することはできないから。

 もちろん、自分を磨くというのは、必ずしもずっと一人でやらなきゃいけないことではないし、人の助けを借りることも、続けるために、無理をしないために大切なこと。

 でも、助けを求めるのもまた、「助けて」と口にしたり、動くのは自分だから、
 結局は自分に賭かっている。

 自分の人生を生きるのは自分だし、自分の人生の責任を取ってくれるのは自分だけだから。

 

 ……あなたは大丈夫。

 だって、このまんまじゃ嫌だって、常に頑張ってるから。

 これ以上頑張る必要はない、ただ一つ言えるとしたら、
 自分にあるものを見つめてあげて。

 

 だから、これはわたし自身に向かって言うことでもあるけど、

 自分の表現が、自分自身が、パッとしなく見えるのは、
 単にまだまだ磨きしろ(伸びしろ、伸ばししろ)があるからであって、
 それを既にめちゃくちゃ磨いてきた人と比べたらパッとしないのは当然であって、
 自分に何かが欠落しているとか、劣っているからとかではない

 ってこと。

 単に反復の差だし、
 ってことは、自分だって積み重ねていけば、何にだってなれる。

 だから誰もズルなんてしてないんだよね、
 悔しいけど。

 

 わたしももっと早く自分を磨くことを始めたかったよ。
 それで最近泣いてる。

 憧れのあの人はすごいな、わたしと全然歳も変わらないのに、早くに初めて、今あんなにカッコよくて……って。
 わたしだってもっと早く始めたかった、早く自分のことに集中したかった、なんであの人はあんなに早くから自分の世界を持てたの? なんでよ、なんでわたしは……って。

 ま、それはそれでしゃーない。
 わたしはわたしで、色々その代わりに経験してきたことがあるし、それもまたオリジナルってことなんだろう。
 それもまた無い物ねだりだ。
 しゃーない。

 子ども時代のことはだいたい運だ。笑
 たまたま周りと自分の波長が合うかで、そもそもメンタルの安定具合が全然変わってしまうし、メンタルが安定してなかったら、生き延びることがまず先決だから、自己実現どころじゃない。そしてその状況に陥ってしまうのも、なかなか抜け出せないのも、子ども時代は、マジで運だ。自分でどうにかできることじゃない。

 だからきっとそれも、何か意味があって起きたことなんだと思う。
 考えられることを増やすために? 言語化できることを増やすために? バリエーション豊かな感情を知るために? 想像力の幅を広げるために? ……結構、いろんな「意味」をそこから引き出してくることもできるだろう。

 だからまあ、病むのも悪くない……と思うことにする。笑
 そうしないと辛いからね。笑

 どうせ、人生殿堂入りやり込み要素全開放(=自分で、しかも身体を楽に稼いだお金で完全に生きていけるようになること)したら、昔のことなんてさほどどうでもよくなってる。

 

 だからさ、自分のこと、見つめて、愛して、磨いて、輝かせてあげるしかないよなこりゃ。
 人間の奥底には魂があって、
 その魂が本領を発揮すれば、みんな神様レベルのカリスマになれるんだよ。